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2011年03月 アーカイブ


2011年03月31日

Diary-T 0026 Ravel が好きだ。

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Ravel が好きだ。

その昔、強烈な個性の魅力的な歌手から

亡き王女のためのパヴァーヌ(Sviatoslav Richter plays Ravel "Pavane")

を教えられ涙したこともあった。が、

ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、

「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている

そのせいか、どの?小さな王女が踊った、この曲を聞くと

どうしても尋常ではなかった時代が蘇る。

音楽によって時代が変わる。と信じ、音楽に酔って私自身が朽ちて崩れていった。

そんな時代が誰かにも私にもあった。

が、幸運にもその音楽の魔法に依ってかろうじて蘇生し、

心を奮い立たせる音楽の力で今日がある。

年を重ねるたびに音楽への思いは高まるばかりだ。

そんな気がするだけじゃないの?

そんな突っ込みを己に向けたくなる浪花節もないではないが、

なぜかピアノ・ソロには特別な思いがある。

なかでもグレン・グールドの有名なセリフには憧れ痺れる。

「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、

むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」

グレン・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932年9月25日 - 1982年10月4日)は、カナダのピアニスト、作曲家。

しかも今日初めて知ったのだが、

グールドは「ギフテッド」ではなかったかとも言われているそうだ。

うん?私は初めて聞くことばだ。

ギフテッド (Gifted)は先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っていることである。その傾向は誕生時から生涯にかけて見られる。世間的な成功を収めることではなく、学び方の素質や生まれつきの学習能力を持つことを指す。
ギフテッドを英才児、優秀児、天才児などと訳すが、日本では「飛び級できるような賢い子」という一面でしか捉えられておらず誤解が生じているため、本項ではギフテッドと称する。
ギフテッド (gifted)は、贈り物を意味するギフト (gift) が語源で、神あるいは天から与えられた資質、つまり生まれつきの神経系素質である。精神的に特異であるという点では、ギフテッドも特別支援教育の範疇にある。
「ギフテッドの才能を伸ばす」という言い方はできるが、
「こうすればギフテッドになる」とは言わない。


過ぎたるは、なお及ばざるが如し

そんなことわざもあるにはあるが、私にはいまのところ上の空だ。

できることなら、それいうなら、雀百まで踊り忘れず で生き抜きたいものだ。

そう素晴らしい表現に出会うと、必ず同じ思いにかられる。

私はこれまでちゃんと生きていなかった。

もう百回以上は問いかけたはずだ。誰に?私に。

いいものもある。わるいものもある。 

そんな気運が迫っている今日この頃。

壮絶な覚醒を促すピアノがここにある。


La Valse - Maurice Ravel - Transcribed by Glenn Gould - Part 2


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投稿者 moichi : 15:09 | トラックバック


Diary-T0025 セクシーな服装でパーティに行く。

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How to help japan

セクシーな服装でパーティに行く。


パリ在住の友人ローランから、こんな粋なメイルが届いた。


How to help japan


1どのようにして日本を助けるか?
セクシーな服装でパーティに行く。

2 男が電話番号を聞いてきたら
彼の携帯電話奪い取って。

3 9099にredcrossをテキストを送る

そうするとにほんのため10$が寄付される。

http://www.agitprod.net

Laurent Anzai Momy
creative technologist


深刻なときに、膝を”かっくん”することも必要だ。

私のバイブルのひとつに、渡辺京二さんの「逝きし世の面影」がある。

再三引用しているの耳に凧?目から鱗、目くじらを立て板に水だ。


以下引用

徳川期の日本人は、人間をそれほどありがたいもの、

万物の上に君臨するものとは思っていなかった。

徳川期の日本人が病者や障害者などに冷淡だと見なされたとしたら、

それは彼らの独特な諦念による。

不運や不幸は生きることのつきものとして甘受されたのだ。

他人の苦しみだから構わないというのではない。

自分がおなじ苦しみにおちたときも、忍従の心構えはできていた。

近代ヒューマニズムからすればけして承認できないことだが、

不幸は自他ともに甘受するしかない運命だったのである。

彼らにはいつでも死ぬ用意があった。

侍の話ではない。

ふつうの庶民がそうだったのである。カッテンディーケは言う。

「日本人の死を恐れないことは格別である。
むろん日本人とても、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。彼らはその肉親の死について、まるで茶飯事のように話、地震火事その他の天災をば茶化してしまう。…私は長崎の町の付近で散歩の途次、たびたび葬儀をみた。中にはすこぶる著名の士のそれさえ見たが、棺は我々の考えでは、非常に嫌な方法で担がれ、あたかもお祭り騒ぎのように戯れていた」。


参列者が快活に軽口を飛ばし、笑い声をたてているのを見た。

「死は日本人にとって忌むべきことではけしてない。日本人は死の訪れを避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ」

エドウイン・アーノルドも1889年〜滞京中に、大火事を二度目撃した。

「住民の冷静さが目立つけれど、それは疑いもなく、自分の持ち家に住んでいる者が少ないという事実によるものだ。自分たちのまずかな家財道具を運び出してしまうと、紅蓮の焔が自分たちの都市をなめ尽くし、黒煙が空に巨大で奇妙な形の雲を生み出すのを、彼らはむしろ楽しんでいるようにみえる」

子連れの母親とか祖母とかが、道傍に持ち出した簞笥の番をしているが、やおら
「近くの家のまだ燃えている残骸から火をつけて、落ち着き払って煙管をくゆらすのである」


「逝きし世の面影」渡辺京二著 より抜粋


私は生きることに従順な江戸時代の祖先を見習いたい。

死は何よりも尊いものだが、度が過ぎると

万物の上に君臨するもの

地球の上で生かされている謙虚さを忘れ、傲慢な生物に成り下がってしまう。

前だけむいて、上だけむいて、進むことこそ、死者への究極の愛ではないか。

私は、表現者は、偉くなってはいけないと思う。

”あいつら、遊んで暮らしやがって、いいよな。”


そういわれてこそ、表現者冥利に尽きるということではないか?


不運や不幸は生きることのつきものとして甘受されたのだ。
他人の苦しみだから構わないというのではない。
自分がおなじ苦しみにおちたときも、忍従の心構えはできていた。
不幸は自他ともに甘受するしかない運命だったのである。


そうした覚悟をもった人々の心を慰め、奮い立たせてこそ、

 表現者ではないか。

”こんな時に、あいつら、何考えてんだ?バカじゃねぇの。”

これこそ私は最高の褒め言葉だと思う。


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セクシーな服装でパーティに行く。


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投稿者 moichi : 08:14 | トラックバック


2011年03月30日

Diary-T 0024 嫌いなことから、人は学ぶ

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養老孟司さんの第二弾が届いた。

「希望とは自分が変わること」につづく二作目のこのタイトルは、

この震災で、これまで以上に大きな意味を持つことになった。

いまこそ、学ぶべきことがあるー

宣伝ように、堀江貴文さんとの対談の一部が添付されていたが、

学ぶ「態度」に言及するくだりはすべてガツンと心に響いた。

偶然だが、今朝の日経新聞の朝刊文化欄に、

何度か仕事をさせて頂いたことがある。

冒険家で作家の石川直樹さんの「被災地で新聞を読む」に頭芯と感銘を受けた。

自分自身が震災後二日後には現地に物資を運びつぶさにみたことを綴っている。

まず新聞がこうした非常時に如何に有効かを解き、

激しい現場で不休の取材を続ける記者を励まし、以下のように結ぶ。

…死亡者・行方不明者数にばかり気をとられてしまうが、その背景に存在する膨大な数の避難者数が意味するのは、生きてなお苦しみを被る人の数でもある。マスコミに取り上げられることのない、無数の人の人生を、ぼくたちは表に出ている報道のその奥から、今後読み取っていかねばならない。


「学ぶ態度」をもつことは、意外に難しい。

出来上がった気になっている自分の思考に溺れるからだ。

この、「嫌なことから、人は学ぶ。」を私たちの日々の仕事や、

家庭生活に置き換えると、その誠にビンゴ〜な視点に顎が落ちるはずだ。

楽な仕事はない。というが、流してしまう仕事のなんと多いことか、

実は私は石川直樹くんとの仕事ではなんども学ばせてもらった。

常に頭を垂れてそれぞれの仕事へ向かう態度を忘れないようにしよう!

と今朝は、なんども繰り返し反芻した。

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投稿者 moichi : 08:31 | トラックバック


2011年03月29日

Diary-not'T0023 Doll Making

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デザイナーは現代の錬金術師ではないかと思う。


錬金術(れんきんじゅつ、Alchemy)とは、最も狭義には、化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。
広義では、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/錬金術


気に入った洋服を纏い鏡に映った自分をみて

エモイワレヌ高揚感を感じた人は少なくないはずだ。

しかし、その高揚感を他の何かに置き換えようとすると、途端に真っ暗になる。

人間の心を簡単にもてあそぶデザイナーをもし錬金術師と呼んで、

顔を真っ赤にするひとは、本来のデザイナーではない。

私がジョニオのコレクションをファッションショーを拝見するたびに

そのみたこともない世界に遭遇するたびに、

といっても最近のコレクションは存じないが、

私の知る十年近く前までの世界のことだが、

きっといまもそれは変わることはないだろう。

つまり、みたこともないものを見せてくれる人を

私は真のクリエーターだと思っている。

そのファッションデザイナーの、クリエーターの資質を、その発信源を、

知る術はないが、明らかに認められるのは、

「集中力だ。」 この一点が天才と凡人を分ける力だと思う。

いつのことだったか、かれの絵画に遭遇したときの衝撃は今も忘れられない。


”狂ってる!” おもわず私はそうつぶやいていた。


そのジョニオの最近の表現のひとつがこの「Doll Maiking」だ。

近い将来に、本人も気に入ってくれている

ディクショナリー倶楽部で遭遇することを祈念している。


さて今夜のPIRATE RADIO はジョニオのインタビューをお送りする。

3/29 tue : 夜11時~12時

76.1 InterFM+radiko「桑原茂一のPIRATE RADIO」#64

高橋 盾(UNDERCOVER デザイナー)インタビュー

http://www.clubking.com/topics/archives/05radio/315_tues_2300_interfmpirate_ra.php

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このTシャツの販売はありません。ご了承ください。

投稿者 moichi : 07:46 | トラックバック


2011年03月27日

Diary-T0022 融通無碍

twitterを世間だと思って過ごしていると

いつのまにかぬかるみにはまって動けなくなってしまう。

実際は引っ越しのノルマに身動き出来ないのだが…それはさておき、

このところ融通無碍という言葉が気になって調べてみたら、

いつのまにか、吉田 松陰の世界に導かれた。

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人を観察するのは、その人の目によってするのである。

胸のなかが正しいか、正しくないかは、

ひとみがはっきりしているか、暗いかによってわかるものである


法律をやぶったことについてのつぐないは、

死罪になるにせよ、罪に服することによってできるが、

もし人間道徳の根本義をやぶれば、

誰に向かってつぐないえるか、

つぐないようがないではありませぬか。


君子は何事に臨んでも、

それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。

小人は何事に臨んでも、

それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。


「国家とともに」という志がないならば、人ではないのである。

味方の協和が得られて、初めて地形の有利さも 自然の条件も役に立つのである。

それ故に国家の務めを論ずる場合には、

まず味方の協和の問題を取り上げねばならない。


人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。

わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、

絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。


だいたいにおいて、世間の毀誉(人から言われる事)というものは、

あてにならぬものである。


学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある。

末の世において道義を実践したならば、

必ずその時の人々から、極端だといわれるであろう。

もしまた、世人から極端だと いわれるくらいでなければ、

決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し、

濁った世に迎合したものにすぎない。


賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。

責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。

武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。

武士の心懐は、

いかに逆境に遭おうとも、

爽快でなければならぬ。

心懐爽快ならば人間やつれることはない。


人間たる者、

自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。


思想を維持する精神は、

狂気でなければならない。


「吉田 松陰(よしだ しょういん)」(1830~1859)

幕末にかけて活躍した武士(長州藩士)、教育家。

その短い生涯の中で、木戸孝允、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文など、

日本史に残る多くの偉人を育てあげた人物。

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2011年03月26日

近田春夫のメッセージ!「我々はあなた方とともにある」

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地震が起こり、津波が押し寄せ、原発のニュースが入っってきた。そのあたりの細かい記憶は、もう定かではない。
最初の首相記者会見(正式にはメッセージ発信なのかもしれないが)の模様をTVで観ていた。
僕には首相や、ことに官房長官が案外リーダーシップを発揮しているように映った。
だが画面ではキャスターが「どうなんでしょうか?」とすこし納得のいかぬ風にもみえる面持ちで木村太郎に問いかけている。
すると木村太郎は全く躊躇することなく、 
 「いいと思います」
これで国民はとりあえず安心するでしょう、といった趣旨のことを述べた。
あ、このひとも自分と同じことを感じているんだと思ったら、少しホッとした。もし否定的なコメンだったら、きっと必要以上の不安が心に広がっていたに違いない。 
 今回、各地で暴動や略奪がほとんど見られないことを諸外国のメディアが伝えている。実際スーパーなどに立ち寄っても皆冷静で、また店側のサービスも誠実で、あるいは、たまたまその場に居合わせた人同士が、普段にも増して自然にコミュニケーションを取り合っていたりと、まさにそうした「奇跡」を目の当たりにし思ったのは、これはひとつには"海外の評価"に後押しされた部分もあるのではないかということだ。つまり、自分たちにとっては当たり前の行動を、世界はビックリして尊敬のまなざしで見ている。ならば、これから先もみっともない真似は出来ないぞ、という誇りにも似た心理の動きがあったのではないか。すくなくとも自身に問えばその可能性がないとはいえない。褒められれば勇気がわく。それは普遍的なことだと思うのだ。
 ところで、新聞その他は当初、政府の対応などについて《危機管理チグハグ》といった批判的な見出しをよく載せていた。また、災害時の心理に詳しい専門家の談話として、
《「わかること、分からないことをはっきりさせて、説明するのが危機管理の基本だ。私たちのリスク観はもっと成熟しているのにバカにしている」》
 などという記事もあり、こうしたものを読み、大丈夫かという気持ちにもなったのであるが、報道の内容はともかく、思ったのはいいまわしのことである。こんな書き方はあきらかに人心を煽っていると思ったのだ。なぜというに、この事態において、国が我々国民のリスク観を"バカにする"なんてことはありえないからで------検証、批判は報道の第一義的な役目と承知の上でいうが------それを専門家の話として活字にすることの効果は、結果論的に申せば「憎悪のブースト」以外にないだろう。
 だがしかし、そのような"扇情的"物言いは、日を追うごとに減っていったようにも思える。気のせいなのだろうか? 
 いや、そうではない。  
 そこで冒頭の話にも重なるが、それは枝野官房長官が日々の記者会見のなかで本当に少しづづつ築き上げてきた"なにか"の賜物なのではないかと思ったのである。"なにか"と書いてしまったのは適当なコトバが見つからないからだが、ハッキリいえるのはそれは枝野官房長官そのひとの「表現力」と無関係ではないということだ。
 表現とはすなわち何かを伝えようとすることだろう。ひとつのことを伝えるにも様々な表わしかたがある。先の"バカにしている"にしてもちょっといい方を変えれば、受け手は同じ意味を別の感情で受け止めることが出来たと思うのだ。
 記者と官房長官のやり取りをみていて気付くのは、意地悪な「揚げ足取り」が減ってきていることだ。無論そんなことをやっている場合じゃないというのもあるけれど、官房長官の表現にある種の抑止力(相手の心を鎮める力)があるというのもたしかなのではないか。同じ内容なら、一番落ち着いた形で人に届くような言葉、言い回し、トーンを意識して選んでいるように思えてならないのである。そうしたことが、自然と記者たちにも伝搬して、今度は質問も------同じ内容でも------とげとげしさのない聞き方に変わってきた......。
 繰り返しになるが、同じ内容でも選ぶ言葉によっては受け手のこころを「逆撫で」してしまう。知る限り、官房長官はそうした無神経なミスを一度も犯していない。だとしたらそれはとても評価されることではないか。
 話は飛ぶが、サッカーなど選手が日の丸をしょって戦うのを観ていると、僕のようなものでもどうしても応援したくなる。だがそのとき出来るのは結局TVに向かって「がんばれ!」と心を込めることだけかもしれない。ならばそんなものが、本当に得点や勝利につながるのか? 
 僕は一応音楽家でステージに立つこともあるから、経験上いえるのだが、リスナーの気持ちというのは演奏していると本当に正直に伝わってくる。想い出しても最高のステージ、心に残るプレイといったものは、必ず客席のポジティヴな"気"が支えてくれていた時のものである。逆にいえば冷やかな客席ほど演奏をちぢこませるものもない。まァ、それはプレイヤー側にまず問題のあることも多いのだが......。
 いずれにせよ、ただ「がんばれ!」とシャウトするだけといい、(送る側の)想像以上に、応援という行為にパワーがあることを、職業上、僕は実感しているのだ。
 この国難になんとか力を添えたいと思わぬ人はいない。申すまでもなく様々な形で民間の支援は途切れることなく続いている。僕も師である内田裕也の呼びかけに応じ、3月19日に街頭に立ち義援金集めなどの手伝いをしたがそれは今述べたような------応援の------意義、可能性を信じてのことだった。渋谷の街では支持してくれる人も多く、カンパも予想以上の額が集まったと思うが、はたしてこの巨大規模の災害を前にして、と考えると、あまりにも自身の行いの非力であるその現実に、心の晴れることのなかったのも正直なところだ。
 よく目にするのが『今、出来ること!』のスローガンだ。すこしでも余裕のある人ならそう考えるのは当たり前だ。では一体何をすればいいのか。著名人のコメントなどをみるにつけ------普段よくものを考えているようなひとでさえ------たとえ応援しか出来ないにしろ、どこにむかってしたらいいのか、明確な対象を見つけあぐねている感が強い。そしておそらく、我々大多数も、同じように持って行き場のない、しかし強い気持ちを抱えて、手をこまねいているのではないか。
 ならばである。僕は今、その気持ちを国、すなわち政府に向けてみてはどうかと思うのだ。国は、本当に未曾有のこの災害に、最終的な判断や責任を任されているのである。首相をはじめそれこそ命がけでことに臨んでいると思う。なのに世間は、うまくいって当然、失敗したら許さない、というスタンスを当たり前にとり過ぎていると僕は思うのだ。誰も応援なんかしやしない。褒めない。それでは上手くいくものも上手くいかないよ。
 今我々は物凄い敵と戦っている。野球やサッカーだって、そんなとき、それぞれがばらばらに動いては、いい結果にはならない。なすべきことは先ずシステムとしてチームとして一丸となることだ。それには------そのひとが誰だとして------リーダーの能力を最大限に発揮してもらうのが何よりの優先順位だ。このことは間違いないことだろう。
 なら、管を励ませ! 
 枝野を褒めよう! 
 国を信じよう。
みんなPK戦の応援を想い出してほしい。
失敗した選手を誰が責めたというのか。そんな日本人は一人もいなかった。
くどくど述べてきたが、もしやれることがみつからず、模索している人がいたら、頼みたい。それこそ、外国の首脳からのメッセージではないが、官邸に、
「我々はあなた方とともにある」
と、心のなかでもいいから、そう伝えてほしいのだ。
本当をいえば、政府にいいたいこと、不満は山ほどある。だが、僕はそれは後にしよう。 管ジャパンは最大の敵と戦っている。
 いまわれわれのなすべきことのひとつは、サムライニッポンを信じて応援することなのではないかと思うのである。
            
近田春夫

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2011年03月25日

Diary-T21 Double Face

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知は個人に属するが、本能は自然に属する。

知は現在の力であるが、本能は歴史の力である。

本能は識らずして多くを識っている。本能は智慧にまさる智慧ではないか。

…茶と美 柳 宗悦

ここで語られている本能とは扉の違う粗末な話だが、

とかく野生とか本能という響きは性欲を取り巻くことが多かった。

しかしその次元の本能=性欲ですらも

今日では知に依存していることを否めない。そう私の頭はどこにある。

つのだせ、やりだせ、あたまだせ、

弛緩→視姦→やかん→遺憾。

つまり本能が弛緩している時代は、だれもがDouble Faceになってしまう。

のではないかの〜う、おぬし、先ほどから心にもないこと云いおって

そうか、そうか、そんなに、そうか、わっはははは、そこまでいうなら、

お主にも褒美を執らせてやろう。

そこに、千両ある、もっていけ、お前の国の困っている民に与えてやれ!

わっはははは、ポン、ポン、(柏を打つ音)おい、酒をもて、酒杯じゃ、

おい、おんなはどこじゃ、おんなじゃ、わっはははは、今夜は無礼講じゃ、

楽しめ、笑え、遊べ、遊べ、遊べ、わっはははは…

辺り一面に黄金の小判が振りそそぎ舞い踊った。

それを奪い合う裸の、おんな、おんな、おんな、

まったくもって不覚にも不謹慎な夢をみた。

だから問題は本能なのだ。なぜ、みんな、そんなことを、こんなときにするかな?

…本能は識らずして多くを識っている。本能は智慧にまさる智慧ではないか。

つのだせ、やりだせ、あたまだせ、


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2011年03月24日

Diary-T20 Black to Black

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いつのことだったか、この黒い塊は、

京都の河井寛次郎記念館の記憶のひとつだ。

なぜかあの日、あの場所で、妙にこの黒い塊に惹かれた。

そう確かに私はあの頃からずっと心の居場所を見失っている。

Black to Black をwebで検索すると

I Don't Care What They Say と出た。まさにまさに、で、もしかしたら、

お探しの BlacktoBlack は Back To Blackでは?

Google検索は、なにを勘違いしたか、Amy Winehouse - Back To Black

http://www.dailymotion.com/video/x3jtji_amy-winehouse-back-to-black_music

しかし、この Amy Winehouse の醸し出す黒ならもう存分に良い。

閉じ込められた部屋で思いっきり泣き叫んでも、

その声は閉じ込められた部屋から漏れることはない。

それが私の感じるBlack MusicianのVoiceだ.

例えれば、そのマービン・ゲイの甘い声に浸りたいが、

今日の黒は、民芸の黒田、黒田節の黒も悪くない。が、

黒い花びらの黒に私の心はいつだって収斂されていく。

で、民芸の黒。


日本民藝館の仕事

民藝館の使命は美の標準の提示にある。

その価値基準は「健康の美」「正常の美」にある。

美の理念として之を超えるものはない。

かかる一貫した美の目標の下に個々の品物を又全体を整理することは

極めて重要な仕事と思はれる。

云ふまでもなく,かかる標準を最初から理論で組み立てるべきではなく,

深く直観に根差すべきなのはもとよりである。

ここで民俗博物館との差異が起る。

後者は直観に基く美的価値を中心とする美術館ではない。

民藝館は単なる陳列場ではない。

従つて列べ方も事情の許す限り物の美しさを活かすやうに意を注いである。

品物は置き方や,列べる棚や,背景の色合や,

光線の取り方によつて少からぬ影響を受ける。

陳列はそれ自身一つの技藝であり創作であつて,

出来得るなら民藝館全体が一つの作物となるやうに育てたいと思ふ。

とかく美術館は冷たい静止的な陳列場に陥り易いのであるから,

もつと親しく温い場所にしたいといつも念じてゐる。

初代館長柳宗悦「日本民藝館案内」より。 

http://www.mingeikan.or.jp/home.html


このところ、

心の隅にある黒い塊が大きくなり過ぎて身動きができなくなっている。

さて、そろそろ民芸館へ

…深く直観に根差すべきなのはもとよりである。

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2011年03月23日

 平常心ブラザース誕生 公式T生まれる。

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”いま、大事なのは平常心だ。わたしの平常心を存分に楽しんでいただきたい。”

そんな宮沢章夫の強い意志に、

エレキコミックのやついいちろうが賛同し生まれたのが

平常心ブラザースだ。

aki_u_ench 宮沢章夫
@ 真心ブラザーズに対抗したいと思う。 RT @Yatsuiichiro 平常心ブラザーズ!


そんな二人の熱い熱気に煽られたinterFMさん、

担当の高原さんのご好意で実現した生放送「ラジオ平常心」

昨夜PIRATE RADIOは特番生放送でお送り致しました。

しかも非常時故 radiko 全国放送! だった。できるならこのまま全国放送に、

やれば、ラジオは復活するのに…たぶん。

生放送「ラジオ平常心」当然、USTも敢行したが

回線の問題かほぼ静止画像になっていたのは残念だった。

楽しかった。愉快だった。あっという間の一時間だった。

しかも、”電気がつくと明るいね。”

そんなふたりのギャクを、最後は、落としてくれる。まさかの速報!

福島原子力発電所一号期に遂に電気もついたのであった。

私は朝から宮沢くんからの依頼で、

スティービー・ワンダーの曲、お願いします。あと平常心をおびやかす曲も。あと、帰りは茂一さんのクルマに便乗させてもらえるのでしょうか。よろしくお願いします。

そのすべてを叶える為に私も奮闘した。

アナログをデジタル化するのも以外と大変、しかも、スティービーの魅力に嵌って

スタジオ入りはなんと10分前。

楽しいのはやはり緊張感があるからではないか?

弛緩した日常は駄目だね。毎日が勉強だ。

今朝のtwitter情報でははなんでも宮沢くんスタジオに傘を忘れたそうだ、

毎日が緊張だ。

で、こんなTシャツが生まれました。

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2011年03月20日

Diary-T19 やついいちろうと宮沢章夫の「ラジオ平常心」 どうぞ〜!

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皆さん今晩は、「ラジオ平常心」の時間がやって参りました。

只今ご紹介している曲は、

フランシス・プーランク作曲 ナゼルの夜 7.不幸の味 

(ピアノ) パスカル・ロジェ 

でございます。

 司会のクワハラモイチでございます。

東日本大震災がこの国を襲ってから今夜で十二日目になります。

原子力発電所の深刻な事故を伴った未曾有の地震は、

この時代を生きる私達日本人の

マンタリテ、心性、しんせい、

仏教では、しんしょう ともいいます、

仏 不変な心の姿。本来の清浄な心。

で、マンタリテとは、

フランスのアナール学派が使いだした社会史の用語だそうです。

要約しますと、ある時代の、ある集団の人々が共有する心の動きや、

ものの感じ方を表す言葉で、

それが歴史の大きな要素だということだそうです。

つまり、私たちの精神を激しく揺さぶっている今回の震災は

間違いなく時代の転換点になるはずだし、

この震災体験のなかに歴史を動かす力が、

満ち満ちているかもしれないのです。

三月十一日午後二時四十六分、

首都東京も含めて激しい揺れを体験しました。

そうです、直接の被災者だけでなく、きわめて広い範囲の、

さまざまな人々が共通体験をもつことになったわけです。

こうして広く共有されることになった被災体験、

秩序の崩壊体験は、ともすれば、

経済の動揺と相まって気分が萎え、

虚無感にとらわれてさえいるかもしれません。

思えば、高度経済成長もバブルの時代も遠く過ぎて方向感を見失い、

関心は社会よりもそれぞれの身辺へと向かってきた日本、

ひたむきなものに対し、

どこか冷笑的な気分を漂わせてきたのも否いなめない事実です。

しかし、この3.11を機に、私たちのなかに残っていた

共生の、DNAがよみがえって来たのではないでしょうか。

関東大震災からも、敗戦からも立ち直ってきた

勇気を失わなかった歴史が、この日本にはあります。

さぁ、いまこそ、この廃墟のがれき中から新しい心の目覚めが、

萌えだすときではないでしょうか。

せっかくわき出してきた共助(利他性)と

連帯の力をうまく生かして

1人ひとりができることを始めましょう。

今は、批判の専門家になるときではありません。

みんなで、次の時代を築こうではありませんか、マンタリテ!日本、

それでは、ご紹介致しましょう。

やついいちろうと宮沢章夫の「ラジオ平常心」 どうぞ〜!


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76.1 interFM PIRATE RADIO 特別番組 

やついいちろうと宮沢章夫の「ラジオ平常心」

三月二十二日火曜日夜十一時より十二時までの一時間


この震災が引き起こした、さまざまな状況に一切、振り回されず、いつも通りの「平常心」で、お二人にお話ししていただきます。いま必要なのは「平常心」です。みなさまもどうか平常心を忘れず、誰よりも平常心を持った二人の、愉快な話をたっぷり聞かせていただきましょう。(宮沢章夫)


みなさま、お聞き逃しなく。

尚、この放送は、radikoを通じて全国へお届け出来るのではないでしょうか?

また、UST skype その他 只今調整中でございます。

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2011年03月18日

Diary-T 0018 A chandelier

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…腕の仕事を目がとらえ、それを脳に伝達する。

すると脳は出来栄の良さに満足し、さらなる満足を求めて叡智をふり絞る。

その指令が腕に伝わり、絵はさらに生き生きとしたものに仕上がっていく。

絵描きにとって、これは至福の瞬間である。ひとたびこうした喜びを覚えた者は、

さらなる高みを求めて努力をつづけずにはいられなくなる。

等伯 安部龍太郎日経朝刊連載より

この躍動する人間の欲望の高まりを

己自身の高揚感に重ね合わせ一気に読み切ってしまう。

ふむ、と微笑む間もなく、突然バケツの水を浴びせられる。

「 表現とは病である。

どんなに美しく描こうと真実をとらえようと、

我欲や煩悩にあやつられた技にすぎない。

腹を減らした獣が、大きな獲物に飛びつこうと全力で疾走するようなものだ。」

等伯 安倍龍太郎 日経朝刊より

昨日と今日を結んでみた。一喜一憂 では軽すぎるが、

脳裏に浮かぶ思ってもみない快感は望むと望まざるに関わらず日々私を翻弄する。

そう急な流れの小川に浮かぶ小さな枯れ葉のように…

私の生きるは否応無しに天国と地獄を行き来しているんだ

とめちゃ大げさにとらえれば、

天国も地獄もここにしかなく、死んだあとに残るものなどなにもない…

もしあるとするなら、平和な静寂…、たぶん。

そうあれからずっと、だれもが怯えている。そのストレスを消し去ろうと

必死になって探すが、なかなか、みつからない。

一ミリでも希望のニュースはないかと…

あった、と思うその瞬間、また別の恐怖に呑み込まれる。

いったいどうなるのだ!原発から拡散される放射能は…

こんなときは、天に任せて、深い深呼吸を、ってなわけにはいかないのが、

わたしといういきもの。

どうしても手に入れてみたい美しいものは、

一瞬にして粉々になり飛び散り辺りを血の海にしてしまう危険なものか、

危険なものを欲しがるわたしといういきもののナゾとしておいてやるか、

欲網のコスト = A chandelier


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Diary-Tはより着やすくより美しくを目指しております。


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2011年03月17日

Diary-T 0017 ここにはいない。manless

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ここにはいない。ここにもいない。ドアが開く音、ギィー〜 トイレの水を流す音

みたなぁ〜 ここで音楽。

音楽番組スネークマンショーは

耳から湧き上がるイメージを遊ぶラジオ番組だった。

目で見ることができないから、できる想像力。

ラジオを聞く、その瞬間だれもが主役になれる。

個々の想像力は、ひとの顔のように、同じはない。にもかかわらず、

それを聞くひとたちで共有出来る楽しさ面白さ。

あの頃、ラジオにしかできないことを、発見し、

その実験が楽しくて楽しくてしかたなかった。

昨夜は、縁あって、

そのスネークマンショーのおふたり、小林克也さん、伊武雅刀さん

との映像番組の本編集を西麻布のスタジオで行った。

私は普段Finalcutで映像を編集し、音声はProtooles9を使っている。

昨夜のスタジオは大変高価なシステムで、”へぇ〜なんでもできるんだ。”

技術は日進月歩だ。が、レンダリングの待ち時間は結局埋まらない。

これはたぶん人間の性質に問題があるのであって、

技術やシステムの問題ではないのでないか?

進歩という名の堂々巡り。そう思って、周りを見渡すと、

頷くことしきり。例えば、安全より優先したい「ひとの欲望」という奴だ。

みんなのこと、といいながらの個人欲。

力の支配(権力欲)で動いてしまうのではないか?

「 表現とは病である。

どんなに美しく描こうと真実をとらえようと、

我欲や煩悩にあやつられた技にすぎない。

腹を減らした獣が、大きな獲物に飛びつこうと全力で疾走するようなものだ。」

等伯 安倍龍太郎 日経朝刊より

さて、三十年ぶりの、お二人との番組づくりは本当に楽しかった。

もともとおふたりの発案で始まったこの番組「R60」は

wowwowで四月の毎週土曜の夜に放送されるらしい。

私はその四本目を担当した。乞うご期待。


さぁ、今日の欲望はこんな感じ。


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2011年03月16日

Diary-T 0016「希望とは」

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希望とは自分が変わること

養老孟司さんの最新の著書のタイトルだ。

三十すぎたら、ひとは変われない。なんてことを真に受けていたら、

人間は腐っていくだけなんだろうな、漫然と漠然と感じていた。

腐女子という言葉があるらしいが、その真意を私は知らない。

腐男子というのもあるのだろうか?

階段を一歩ずつ上がることを生きる変化に例える人もいる。

確かに視界の変化は起こる。

だから視点が視野が広がる必要を説いているのだろう。

数多くの知恵を授かり、自らも多くの書物から影響を受ける。

そうすることで、確かに少なからず私は変化しているのを認めることができる。

が、本当に、それで、自分が変わることができているのか?

と問われれば、まったく自信がない。

その変われない自分をみて、変われ!変われ!

とひとに問う私の心根は間違いなく腐ってその腐臭を辺りに撒き散らしている。

希望とは自分が変わること。

分かってはいるだよ。”なんど自問しても答えはいまだに返ってこない。

さて、昨日は、その苦悶する私にストレートパンチが飛び込んできた。

安全は100%主催者の責任。

危機管理は人に問うことではなく、自らが判断するべきこと。

参加者に責任を持たせるような考えは100%間違っている。

三連打である。痛い。痛い。また痛い。

頑固な人。という存在は実はいないのではないか?

いつでもだれでも簡単に頑固な人になれるのだ。

その原因は、もしかしたら、巷では、「プライド」とか「自尊心」とか呼ばれ、

思ったより、高価なものとして扱われているのかもしれない。

ひとのふりみてわがふりなおせ、ひとは他人からみる私を愛している。

こんな風説も風評もないこともないようだ。

そう風に乗ってくるものは本当に怖い。

さて、希望とは?自分が変わること。

もしかしたら、「100%」できないことを進められているのかもしれない。

しかも、今こそ、希望!を持て!と世界中から求められている。

どうする日本?どうする私。


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2011年03月15日

Diary-T 0015「日本を元気にするのは誰だ」

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あの淡路阪神大震災につづき、

未曾有な災害の前で足がすくんでいる。

私達らしく今出来ることを考え行動しようと思うが、

どうにも身体も思考も思うように働かない。

クラブキングが生まれて今年で二十四年、

フリーペーパー・ディクショナリーが発行されて二十三年、

もしこの小さな集りが継続不能になったとしても、

その意志を継続しようとする人たちが現れることを願って

今日を精一杯進もうと私は私を説得する。

三月十八日のイベントの決行を決意した。

フリーペーパー・ディクショナリーを

そしてディクショナリー倶楽部を支援する会のイベントを開催します。

校長 茂木健一郎さんを筆頭に、多くの勇士たちが集合し、

この災害をどう受け止め、この日本の未来をどう元気にするかを、

朝まで皆さんと話し合いたいと思う。

外圧に弱い日本、と呼ばれ、自らの改革を先送りしてきたこの国の将来を、

今こそ、語り、行動する時ではないか。

革命は、こうして始まると信じたい。

尊い犠牲の上に建設するものはなにか?

新生日本は、世界から愛される心豊かな人々の住む美しい国、

そんな日本に再生したい。

だから、今こそ、”日本を元気するのは誰だ?”


私もすくむ足を一歩前へ。


http://www.clubking.com/topics/archives/02event/318_fri_artschool8.php

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まずは日常を粛々と生きることから。

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2011年03月13日

Diary-T 0014「愛が試されている」

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曇りガラスのように霞のかかった私の愛はまだそこにあるのか?

The love that seems to vanish

試されている。愛が試されている。

twitterに生まれた #prayforjapan

この世界からの愛は、

同時に日本に暮らす私達の行動を

世界が目を凝らして見つめているということだ。

愛が試されている。

禿かかって風に揺れる私の愛を、私は、私は、

ちゃんと自覚することから始めるしかないのだから。

「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、

人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。」

三木 清 人生論ノート


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2011年03月12日

彼の目は自分がその一員にすぎぬ森羅万象を見つめていたのだった。

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「なすすべない」

見開きの新聞紙面からこの文字が飛び出してくる。

あの瞬間、私といえば、

ディクショナリー倶楽部の編集室でパソコンに向かっていた

うん?これはいつものようには収まらないかも、みんなは?

まずいと思う間もなく部屋全体が激しく揺れ始め、

座っている椅子の真後ろのレコード棚の上やそこかしこに、

引っ越しのまま、ともかくなんでもつんでいたものが

次々と崩れるように飛び出してきた。やばい!これは、いつも違う、

ぐるんぐるんする思考と船酔いのような気分が同時に襲ってくる

動かねば、スタッフは?部屋から出なければ、

さっきBBBで買ったばかりのカフェレの紙コップを左手に持ち、

右手に倒れたら割れる、パソコンが水浸し、持った瞬間滑り出しそうになるガラスの水差しを右手、そのまま肩で方々に掴まりながら、

スタッフの様子を見に廊下へ、そこで立ったまま私は呆然とした。

低いちゃぶ台の下に頭だけ突っ込んで、

お尻丸出しの女子二名が,和室で叫んでいる。

窓開けなくちゃ、窓開けなくちゃ、

ぼ〜とそれらをみながら私はなんとか目の前の炊事場にたどり着き、

カフェオレの紙コップを流しに捨て洗い、

今にも滑り落ちそうな水差しそう先ほどのガラスの瓶を近くに置いてあった二リットル入りのナチュラルミネラルウォーター温泉水99の段ボール箱に滑り込ませ、

それで両手が自由になり、もう一度、廊下にもどり、次々と落ちていく書籍類やCD群やらなんでもかんでも、を、

なすすべもなく、眺めていた。

もう気分はすっかり,出来るなら死ぬ迄乗りたくない、あの、船酔いだ。

七八分は揺れていたのではないかと思うが、ようやく、校庭に出て、

さっきスタッフ三人とカフェオやラテを購入したコーヒースタンドBBBの

いつも笑顔がさすがに不安そうなスタッフたちの笑顔をみる。

考えてみれば、ここは渋谷区の水道局の敷地の中だから、

当然、その時が来れば避難場所にも想定されていたはずだ。

だから周りには何もなく、渋谷とは思えない広々とした緑たっぷりの敷地だ。

とはいえ、さっきからなんども地面が揺れている。が、空は晴れて来た。

四十年前のプレハブだから柔らかいのだろうなどと私は不安を懸命に茶化しながら、やはりめまいの中にいる。
近くのビルから次々と避難し始めた人々がオリンピック跡地周辺に群がっている。避難訓練を実践しているのではないか、とスタッフたちがつぶやく。

そのゆれてる時間は、twitterだけが情報源で、携帯も固定電話も繋がらない。

私達は脆弱なシステムに囲まれて暮らしていることを改めて認識する。

「なすすべない」

さて、ここで時代の針を戻そう。

1876年十一月に銀座が焼けた翌朝、

さっそく火事場を見に出かけたアメリカ人の少女の証言を聞こう。

「この人たちが快活なのを見ると救われる思いだった。笑ったり、しゃべったり、冗談を言ったり、タバコを吸ったり、食べたり飲んだり、お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のようだった。家や家庭から追い出されながら、それを茶化そうと努め、助け合っているのだ。涙に暮れている者は一人も見なかった。」

しかも彼女が「驚嘆したことはには、あちらこちらに新しい建築の枠組みが立てられていた。その進行の早さは驚くべきものだった。」

日本橋から京橋にかけて一万戸を焼いたというこの火事は、
その年の六月に来日し、東京医学校で教鞭をとっていたベルツErwin Balzはこう記録している。

「日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。…女や男や子供たちが三々五々小さい日を囲んですわり、タバコを吹かしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように、冗談を言ったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床を欲しがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などは、どこにも見当たらない」

焼け跡の立ち直りの早さは、江戸っ子の伝統だった。

「日本人が燃え尽くした古い家々のあとに新しい家々を急造するやり方は驚異だ。余燼はまだ燻っているのに、灰からよみがえったフェニックスのように新しい家が建てられているのが見受けられる。火事が収まって二、三時間も経つとひとつの通りがまるごと再建されるのだ。千八百六十六年十一月の横浜の大火では、こういったふうにひとつの通りがまるごと再建されたが、風向きが急に変わって火が逆もどりし、新しく建った家々を呑みつくしてしまった」

この時代の日本人は死や災害を、今日のわれわれからすれば怪しからぬと見えるほど平然と受けとめ、それを茶化すことさえできる人々だった。

いわば人間はまだ、自分自身を見つめてはいなかった。

彼の目は自分がその一員にすぎぬ森羅万象を見つめていたのだった。

そして彼らの情けは、けして家族や知人の範囲に閉じられてはいなかった。

「一般には、被災者にたいして皆がたいへん親切にしますし、その地域全体が、家を奪われた人々を保護するために自分の家を開放します」

「逝きし世の面影」渡部京二著 より抜粋させていただきました。

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2011年03月10日

Diary-T 0013「Leg Chair」

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デジタルは想像を創造するという概念を根底から覆したのかもしれない。

まるで神の領域といえばいいのか、結果は架空という文言で括ることになるが、

自らの手をつかって生み出す想像物とは明らかに違う

みたことのない妙なものが突然目の前に立ち現れる経験をこの頃しているのだ。

偶然とか、たまたまとか、言い訳がましくなるが、

私の意識の中に潜んでいる妙なものに日々遭遇してしまうのだ。

例えば、スターウォーズやエイリアンなど、

映画の中に登場する人間ではない他の生命体のみたこともない造形というものも、

実は人間が作り出しているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、

映画館の暗闇でドッキリだったのが、このデジタルワールド=APPの世界では、

いきなり自らがその想像の創造の支配者になってしまうということなのだ。

この快感は、ちょっとこれまでない快感だから、うまく言葉にならない。

誰かのみつけたみたこともないものではく、

私の中にあるみたこともないものに遭遇するスリルは、

ちょっと、これって、危なくなくなくない?

わたしっていけないことをしている?

このいけませんわのスリルはもう奥さん堪りませんことよ。

分かる。すまん。こんな説明では説明になっていない。よね。

そもそもそれを説明する必要があるのかどうか?

だってさ、寿司屋で赤貝のひもをきゅうりと一緒に巻いて香ばしい胡麻をふりかけ

たべることのおいしさに理由も説明もいらないでしょう。

ほらまだ言い訳している。か、

とこの際誰彼かまわず問いかけても良いのかもしれない

ぼぼ僕はおおおにぎりが好きなんだな…

で、ハイヒールを履いた若い女性の四本の膝下が

なんだかテーブルを支えているようにみえるこの感じ、

本物の女性の足が支える机。そんなありえないもの、

しかし、フェティシュな眼の快感はもう容赦しないのだと思う。

例えば、次の変態だが、

基は女性のヌードなんだが、なぜか私の中でこんな造形物になってしまう。

これはなに?と問われれば、分かりません。と答えるしか方法がない。

が、なんともいえない快感がある。フェティシュ。なのかな?これって。

あぁ〜こわたのい。もうやめられないもんね。


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3/11(金)【Leg Chair】#13
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Diary-T 0012「毛皮のようなもの」

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あれは、meet Mariko Goto from Midori

photo by Chikashi Suzuki

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の撮影で、とあるファッションブランドのオフィスをお借りしたときに、

発作的に撮ってしまった眼の快感が「毛皮のようなもの」だった。

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ちかしくんは、時々、dictionaryを手伝ってくれる。

このミドリとのごとうまりことのセッションも、まりこの特異な個性を、

ひかえめに引き出す、Hiファッションなセンスだった。

http://dictionary.clubking.com/画像:dic0131_0036-0037.jpg


で、ちかしくんの話す内容はいつもいつもいつも

スキャンダラスな匂いを撒き散らしながらの

ファッションの世界の最先端のことで、

とても、笑えて楽しい。写真は、撮る人の人格がほとんどだから、

かっこいい、はそのひとがかっこいいを指すことが多い、私の場合。

先日も、シアタープロダクツのみなさんとのインタビュー撮影を

お願いしたのだが、メンバーの金森さんが毛皮を首に巻いていたのをみて、

”今,パリの高校生はほとんど毛皮を身につけてますよ。”

さりげない一言が、とんでもない風景を呼び起こし辺りに撒き散らす。

そこかしこの高校生が毛皮だらけ、下校中に遭遇することを考えたらもう…

ということが、

このTシャツがうまれたこととは、まったく無関係だ。

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3/10(木)【just like a fur】#12

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2011年03月08日

Diary-T 0011 「黒い縦縞」

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気がつけば、もう、63本もつくってきたのか、

生きてる間中私はラジオをつくる。宣言をして始めた、ラジオ番組

PIRATE RADIO

ここに、黒い歌謡曲というシリーズがある。

これまで私が見過ごして来た?「歌謡曲」と呼ばれる音楽のジャンルから、

私の恥ずかしい心の扉を開く

魂(ソウル)を奮わす黒い(ブラック)楽曲を紹介する番組である。

つまり、この歌謡曲が好きなんですということが、あの頃はとても恥ずかしかった。

ロックこそが音楽だと信じていたから。

なんだか人間の弱いみじめな部分を曝け出すその姿勢が当時の私には恥ずかしかった。

ところが、私の源体験でもある、水原 弘の黒い花びらを前園バンドという奇特なグループがカバーしているという噂を聞いてその楽曲をyoutubeで探していたら、

藤圭子のバージョンに出会い、つづいて、圭子の夢は夜ひらく、で私の恥部の砦は堰を切ったように崩れ去ったのです。

”昨日マー坊今日トミー明日はジョージかケン坊か…

この衝撃的なフレーズが実は藤圭子本人によるものだ。と教えてくれた「歌謡曲」高護著のはこう記してある。

”圭子の夢は夜ひらくは街にあるリアルに不幸な世界が「現代詩」として奇跡的に成立した作品である。”

このどすのきいた必読書、高護著「歌謡曲」は、音楽愛好家にかかわらず必ずロングセラーになる名著である。
とつぶやいてみたが、

私の魂を奮わす楽曲を探すのは容易ではないのだ、そもそも歌謡曲とは?

歌謡曲は誕生からまだ100年を経たない近代文化であるが、文学と音楽が融合された交配文化と捉えられる。

また詩作の手法も作曲法も歌唱も編曲も演奏も、

それぞれの部分で様々に和洋混交され無定型に異種交配された複合文化であることが大きな特徴といえる。

「歌謡曲」高護著 岩波新書

歌謡曲というジャンルをざっと見渡すだけでは、なかなかお眼鏡にかなった楽曲を見つけるのは容易なことではなかった。

そう、まだ、「歌謡曲」高護著 岩波新書この名著が世に出てなかったしね。

こうして変化球を色々模索してるうちに、

もう日本の楽曲というちっぽけな枠を取り除き、

私の記憶にブリコラージュされた音楽なら、もう、何でも好いじゃん。

おおざっぱに言えば、黒い歌謡曲=私を泣かせる音楽

ということにしてしまっちゃえば、もう、ノンジャンル。ですけんねぇ〜

で、そのもう明快なテーマみたいなものはとっととどぶへ捨て、

黒いと言う意味は、男も女も、それ以外も、聞いてる人がちょっとムラムラすればいいのでは?

そのもやもやはこの一年で発酵し、

題して、「黒い女の告白」というシリーズを勃起させることにした。

そしてその第一回目の栄えあるゲストは、

あのテレサ・テンの「愛人」をうたって私をその気にさせてくれた

あの京の都から出稼ぎに?一旗揚げに?ま、ともかく、

これも想像の域を出ないが、きっと一筋縄ではいけない黒い過去をもつ、なかの綾の登場だ。

で、ここまでは、PIRATE RADIO 黒い歌謡曲の広報活動

さて、Tシャツであるが、この「黒い縦縞」を私はとても気に入っている。

その訳は、以下に書かれたことにも関係がある。たぶん。

二十世紀の新しいエロティシズムの特色を「スコプトフィリア(覗見症)の時代」「眼の欲望」の時代として提示したが、現代の若い神経症的世代の視線に対する恐怖は、要するに、この「眼の欲望」の裏返しになった表現でなかろうか、と思わざるを得ない。欲望と恐怖は、表裏一体をなして、現代の特色を形づくっているらしく思われるのだ。

澁澤龍彦集成第三集より引用→「エロティシズム」は昭和四十二年週刊誌潮流ジャーナルの創刊から連載されたということは、もういまから、四十年以上も前に書かれたものなのか…

澁澤龍彦のすごさを私は年を重ねるごとに実感する。わ。


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Diary-T 0010 黒い真珠=Purple tears

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ところで注意すべきは、

花とは、

植物の性器である。

という事実だ。

熱い思いを花束に託し、恋する人に贈る。

その相手は、植物の性器の匂いを嗅ぎ、

”まぁ、なんていい匂いなんでしょう”

”あぁ、まるで君のようだ”

”とっても、綺麗だわ”

”あぁ、まるで君のようだ”

”この可愛らしい蕾が次第に開いていくのね”

”あぁ、まるで君のようだ”

”あぁ、まるで君のようだ”

”あぁ、まるで君のようだ”

ここまでが、昨日の「血と薔薇」だとすると、

さて、今日は「黒い真珠」

漆黒の真珠のネックレスを輝くような黒い肌と逢わせてみる。

そんな思いをTシャツに、なんてことは考えてないが、

世の男性の中には、真珠をアレに埋め込んでしまうという

奇異な方もその世界ではその昔存在したといいますが、

痛い辛い経験の代償に

その苦しみを遥かに凌駕する喜びが待っている。

とか、そのパールのお陰で、

女が驚喜する→Purple tears

とかという間違った、男の思いこみは、

どう考えても、は、は、は、笑えないが、

男と女の感性の違いからうまれたコメディともみてとれます。

さて、白いパール、黒い真珠、あなたはどちらがお好きですか?

また、あなたなら、どう、楽しみますか?

もっとも、この隠そうとする態度には一種のアンビヴァレンツに

支配されたものがあって、

隠さねばならない部分を同時に強調したような…

つづく。

明日は黒い告白。つまり朝はなにかと忙しいのだ。よ、


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2011年03月06日

Diary-T 009 「血と薔薇」

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血とは、敵を峻別するものであると同時に、彼我を合一せしめるものであり、

性を分化するものであると同時に、両性を融和せしめるものである。

薔薇とは、この決して擬固しない血を流しつづける傷口にも似た、

対立と融合におけるエロスの運動は恣意的かつ偏在的であるから、

エロティシズムは何ら体系や思想を志すものではないが、

階級的・人種的その他、あらゆる分化対立を同一平面上に解体、

均等化するものは、エロティシズムにほかならないと私たちは考える。

「血と薔薇」宣言 より抜粋

「エロティシズムと残酷の綜合研究誌」と銘打たれた澁澤龍彦責任編集(*)の澁澤色の濃い高級雑誌(**)。http://homepage2.nifty.com/weird~/titobara.htm#zassi

若かりし頃、つまり童貞時代に、

文紀堂書店 渋谷道玄坂中程 TEL(461)1776

あの頃って、すごいさっぱりきっぱりした住所の書き方だ。ったんだね。

で、なにを思って、この、「澁澤龍彦集成三」を買ったのか?

17歳の童貞くんの気持ちは今となってはもう思い出せないが、

思いだ出してもきっとかっと恥ずかしいから書けないが、

ま、その後の私のネタ本になったことはいうまでもない。

さて、Diary-Tの薔薇の話だ、

この崩れた薔薇の魅力を発見したのも、

この感じを気に入ったのも私だけの喜びであるから、

だれかと共有することは、望んではいけないことだが、

あろうことかこの喜びが自分の手から生まれた瞬間に、

私はこういうことをするのが好きなんだ。と覚醒したのだよ。

澁澤龍彦様が「血と薔薇」宣言をしたように、志は百万分の一以下だが、

この沸き立つ動機と行動はどこかできっと繋がっている。たぶん。

そう、だから私は自分の眼まなこが機能するうちは、

目の眼の視覚から始まる快感を快楽をハイになるまで

この身が灰になる迄追求することになるじゃないの〜


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2011年03月03日

Diary-T 008 a chair

do imagine not to be
do imagine not to be
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do imagine not to be どう訳せばいいのだろか?

”みたこともないもの”

こんな簡単そうにみえる言葉を私は英語で表現出来ない。

ちゃんと勉強してこなかったことを恥じるばかりだが、

養老孟司さんはこう言う。

「…私は英語教育を重視せよという意見を、ほとんど信用しない。

母国語すら十分には心得ていない人間に、

どうして外国語が「わかる」と思うのか。

ひたすら外国語を学べ。そう主張するほどまでに、

現代人が乱暴になっただけでのことであろう。」


養老孟司の大言論・希望とは自分が変わること/新潮社


この世には、ただ、気に入った椅子 というのがあるに違いない。

もし出会えたら、その椅子に座って私はなにを想像するのだろうか?

ではなくて、なんにも想像しない考えない椅子というのが

 気に入った椅子 というのではないか。

みえているようにもみえる

この椅子は、いまのところ、私の安楽椅子 である。

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2011年03月02日

Diary-T 007 Dead End

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絶壁に立つ。

人間は常に絶壁に立つ覚悟で生きることが脳にも人生にもいい。らしい。

が、私の絶壁は、そのようにカッコいいものではなく、

 破滅! に限りなく近い意味での絶壁のことである。

信国太志くんが、グルジェフの言葉を引用していたのを要約すると、

朝からそりの合わない上司に怒鳴られ、明日会社が無くなるかもしれないという不安を押し付けられ、当然家族からは毎日のようにこれからどうするんだと攻められ、そんな状態だからどんな仕事も、なにをやってもうまくいかず、疲れて病院に行けば医者からは癌かもしれないと言われ、しかも毎日が締め切りだから会社は絶対休めない。日々肉体的にも精神的にもこうして追いつめられている。

ふぅ〜、こうして書いていてもすこるぶ気分が悪くなるような、

ひどい状態のときに、にんげんは、実は、最高に、覚醒するそうなんです。

そういえば、お釈迦様は、人間は生きていることすべて苦です。とも。

もう、ここ迄来たら何も怖いものはありません。

あとはどんどん良くなることしかありません。

素敵なDEAD END-Tシャツを着て、可愛い子を見たら笑いかけましょう。

可愛い犬でも猫でも小鳥さんでもショートケーキでもエクレアでもいい。

無視されても、たとえ石をぶつけられても、ひるんではいけません。

覚醒するためです。これなら法律に違反することなく、覚醒する為です。

グルジェフもお釈迦さも、みんなを人類を幸せに導いてくれたのです。

覚醒するために私達は生きているのです。たぶん。

今日もきっと、いい日だ。


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投稿者 moichi : 19:40 | トラックバック


Dairy-T 006 a Letter

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手紙と言えば、もらってうれしいのはやはりラブレターだろう。

今時はメイルだから愛の告白もありがたみが薄いが、

直筆の匂い付きの手紙なら、もう、筆致cockの めまい、gaii、そう、 

キムノbackならたまらない。

さて、恋愛もこれからはAPPのお世話になるのだろうか?

恋愛の本質が自己愛ならまもなくそれを担うロボットが出現する。

それにしてもあのあの秋葉系趣味にも似た女性のロボットの顔と声のギャップには相も変わらず一目を気にするいやらしい日本人の本音と建前を感じる也。

もしかして,ロボットの声を、何をされても怒らない顔、に併せて可愛くすると、
未来のダッチワイフでも連想するのかな?
そんな見えない空気のような世間体に負ける未来のロボット開発
がんばれ日本!

話がカーブした。つまり愛の手紙を書く心の育成がまずなにより先決だという
おはなしでした。めでたしこぶだしかつおだし。

ヤッパリ飲んだら乗るな書くなこの日記。

Diary-T006はa Letter。

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投稿者 moichi : 00:17 | トラックバック


2011年03月01日

Dairy-T 005 The Deer Hunte

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 リアリティー、まるで自分がその映画の主人公に乗り移ったような気分になる。

まだ私が二十代の頃観た体験した映画『ディア・ハンター』のことだ。

他人の人生を自分の人生と重ね合わせる。

今世界で起こっていることに自分の人生を重ね合わせる。

自由は何よりも尊い。漠然とそう思っていた。すべてアメリカ文化の影響だ。

しかし、その自由を謳歌するためには、見知らぬアジアのジャングルで縁も縁もない人たちを殺さなければならない。

国の正義を守るため、つまり自分の自由を守るために人殺しをしなければならない。

自由の代償がこれほど大きなものだったのか。

属国に甘んじている日本人である私はこの自由を謳歌するために、

どんな責任を自覚しているのか?

ただ、自由、自由、と浮かれているだけではないのか?

私達の支配国である米国では、

真っ当な人間として生きていくことを学んで来た十八歳以上の若者たちが

戦場に連れ出され、そこでは、いきなり狂ってしまうことを強要される。

そのまったくもって理不尽なテーマを、

ロシアンルーレットという残酷な表現にこの映画は託したのではないか…

そして世界中の米国映画好きの?観客が驚愕した。

もちろん私もその衝撃に暗闇で泣いた。

ただその涙のわけには美しすぎる音楽が関与していたが。

テーマ音楽はスタンリー・マイヤーズ作曲の「カヴァティーナ」で、
ギターはジョン・ウィリアムズ。

この映画の後、私の自由に対する想いが変わったことはいうまでもない。

つまり自分が手にしているその自由の意味をしっかり吟味しないと代償は大きいということ。

それなくして、あの、ラブ&ピースはない。

自由には必ず責任が伴うということだ。

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■the deer hunte
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『ディア・ハンター』(The Deer Hunter)は、1978年公開のアメリカ映画。製作はユニバーサル映画、監督はマイケル・チミノ。脚本はデリック・ウォッシュバーン。主演はロバート・デ・ニーロ。第51回アカデミー賞並びに第44回ニューヨーク映画批評家協会賞作品賞受賞作品。ベトナム戦争を扱った映画であり、また1996年に米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の中の1本である。

1960年代末期におけるベトナム戦争での過酷な体験が原因で心身共に深く傷を負った、3人の若きベトナム帰還兵の生と死、そして友情を描いている。主人公たちの故郷であるペンシルベニア州の田舎町におけるゆったりと流れるようなタッチから一転して、戦場における壮絶な心理描写に切り替わる、183分の長尺を存分に生かした手法が特徴的である。特に、後半部分で大きなキーポイントとなるロシアンルーレットの緊迫感と悲劇性は映画史上において名高い。反戦映画という形態ではないが、戦争の悲劇性を描いた数多くの作品の中でも際立って高い評価を受けている作品である。http://ja.wikipedia.org/wiki/ディア・ハンター

投稿者 moichi : 07:43 | トラックバック