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2010年09月27日

人間の精神の自由

鹿とガラス.jpg


人は、見かけが違うし、能力にも差があるし、趣味や嗜好も違う。ところが、恋愛事件のようなことがあると、誰でも、似たような感情を抱き、同じような衝動にかられる傾向がある。なによりも、この私のなかにも、そのような精神の力動がある。そのことを、とてもおもしろいと思った。無意識のダイナミクスに着目することによって、人間を、いわば普遍的存在として理解できる可能性がある。そのように感じたのです。


不可避的に、「予想ができること」と「予想ができないこと」がいり混じった、「偶有性」が避けられないものとなります。生物の形態、振る舞いが進化論で決定されていたとしても、若い女よりも、目の前のしわくちゃの老婆を熱烈に愛するということはありうる。若い女のほうが魅力があると、したり顔で説明する生物学的常識論など、知ったことじゃない。それこそが、人間の精神の自由というものである。


どのくらい前のことだか、思い出せないが、

これらのフレーズに、ハッとして、ノートにカットアップしておいた。

で、なにを言いたかったのかが、もう思い出せない。


で、昨夜は私の落ち度で、茂木さんに大変ご迷惑をかけてしまった。

一期一会 一触即発 を大切にしたトークショーを心がけているつもりだが、

明らかに昨夜のディクショナリー倶楽部は私の準備不足だった。


過失の弁解をすると、その過失を目立たせる。

シェイクスピア


まったくその通りで、お恥ずかしい限りです。猛省。

昨夜のことを反省し思い返してみる。それをなんども反芻する。


理解されるということは、一種の贅沢である

エマーソン(思想家・哲学者・作家・詩人・エッセイスト)


自己主張することが平等である証、という勘違いは

悔い改めなければならないと思う。

例え自己主張本を百冊書こうが、ちゃんと自分が理解されるかと言えば、

それはかなり疑わしい。

そんなことは、よく分かった上で、

それでも理解しようという、

思いやりに 感謝を表明できない輩は、

人間としてのマナーも問題だが、

そこからの飛躍は到底望めない。と残念な気持ちになる。

歳上の方にはまず礼を尽くす。

まずそこから人との関係は始まるべきだと考えている。

そのうえで、相手の話を良く聞く。良く聞く。良く聞く。

これが中々出来ない。

言いたいことがつっかえている場合は、つい息を吸うことを忘れてしまうから、

当然血が上る。思考はバラバラになる、

そして今度は相手の言葉尻に意識が向かう。

自分がどうみられたいか、その思いが過剰に反応しているからではないか。

それを、昔の人は、若い!と一喝した。

で、会話は、例えれば将棋を指しているようなものではないかと思う。

自分の手ばかりを考えている間は、強くなれない。と聞いた。

気の遠くなるほどの相手の思考に思いを馳せることが出来て始めて、

次の一手が一声が湧き上げてくる。ということだろうか。

さらに、上から目線を嫌うなら、

自分自身が相手の目線にまで必死で登らなければならないのではないか。

威嚇しても、恫喝しても、その事実は変わらない。

何度テーブルをひっくり返しても、壊れるのはテーブルだけではなく、

ひっくり返した当事者にも消せない心の傷を残すことになる。たぶん。

平等という言葉ほど、自由という言葉ほど、誤解の多い言葉も

ないのではないか。と改めて思う。

猛省した上で沈思黙考へて次のページを捲ろう。

とベッド中で眠れない私は私にそう言い聞かせる。


感謝とは、過去に向けられた徳行というよりは、未来に生かされる徳行である

(不明)

今日こそ、もう一歩踏み出さねば、と。たとえ、そこが絶壁であろうとも。


絶壁.jpg


…たしかにハイデガーは人柄は悪いし、そのナチス加担も弁護できない事実だが、彼の著作や講義録を読むと、その古典の読解力や、世界史の根本動向を見抜く洞察力には深く震撼される。近頃私は、なるほど彼は性格は悪い、だが思想はすごい、それで悪いかと座り直すようになった。
むしろ、誰にでも好かれる善人が世界史を覆すような思想を形成するということの方がありそうにもないと思わないか、と。

哲学者 木田 元 日経 私の履歴書 より

投稿者 moichi : 2010年09月27日 22:19

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