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2010年04月 アーカイブ


2010年04月20日

モノ二カコマレテイル。

またもやもや古い書きかけのブログの登場。

三宿香港麺.jpg

ものにかこまれている。

モノ二カコマレテイル。

ものに囲まれている。

三回書いてもものの数は変わらない。

仕事をする机の周りやその周辺に

なにごとかと問いただしたくなるほどものに囲まれている。

喉が乾くならペットボトルから直接水を飲めばいい

それをわざわざガラスのボトルに注いでガラスのコップで飲む。

なぜなら美しいグラスは目を楽しませてくれるだけでなく、

水の味まで美味しくしてくれるからだ。

そしてものは増えていく。

触れない情報は使ってみるまで分からない

にもかかわらず、webからの情報には便利という魔法がついている。

ついそうあればいいのにの思い込みを自分勝手に解釈して、

楽しみたくて、必要に迫られて、いつのまにかクリックを繰り返す。

で、モノは増えていく。る。モノが増えると今度はモノ同士がぶつかり合って
まったく思ってもみなかったうっとうしさをwazawazatoザワザワと醸し出す。

三宿香港麺2.jpg

瞬間の出会いがモノはすべてだから、衝動買いともいうが、だからそんなバラバラの思考を統合しながらものを集めることはしないできないのだから、どこか心が乱れているといつのまにかとんでもないものに囲まれ手終うことになってしまう。時を越え場所を選ばず個々には心をワクワク時に豊かにするものたちも結果集合すれば心の乱れを増幅させてしまうというパラドックス。それを打ち壊そうと排除し整理し乱れた心を打ち払い祈り再び私はもっともっともっと美しいものへ向かう。


「隠喩」 メタファーとは、あるものに、別の所属の名前をつけること。だそうだ。


あぁ〜

桜新町の桜.jpg


 

投稿者 moichi : 07:24 | トラックバック


2010年04月18日

トラウマ(comedy)

トラウマ00.jpg

記憶は自己都合でどんなふうにも書き換えられるそうだ。

が、書き換えたくても、変えられない記憶を、

トラウマ

と呼ぶそうだ。

正しい記憶というものはない。

なんとなくそう思っていたが、やはりそうだったのか。

知的好奇心は快感だ。

で、記憶は自己都合でどんなふうにも書き換えられる。

そうでなければ、ひとは過去に縛られて、辛くて,辛くて、

生きていけない。のかもしれない。

私の座右名のである。今日を生きよう。も、

過去に縛れていたくないという

自己都合な我が侭な心の言い訳のひとつかもしれない。

さて、私のトラウマなんだろう?

それは多分、幼少の頃の環境からくるものだろうか?

両親が側にいなかった。

母親に会ったのは中一の時、夜行列車に乗って

東京にいる母親にお金を届けにいった。
母も借金まみれだったのだ。

残念ながら、映画のような、熱い抱擁はなかった。

雨に濡れた街を歩く、売店に売っていた安っぽいエクレアを買った東京の記憶。何もかもがグレーでモノクロだった。


トラウマ02.jpg

父親の写真は未だにみたことがない。

で、私は祖母の家で育った。

しかも、いくつかの家をタライ回しにされていた。
施設にもいた。曖昧。
知らない家にも連れて行かれて
知らない人たちと一夜を過ごしたことも、
なんどかある。曖昧。

なぜなら、祖母の家は、当時水商売と呼ばれ、

卑下される職業 「Bar」 であった。

祖母の家は常に女性が泊まり込みで働いていた。

春は売らない。

軍歌と芸者ワルツ、黒い花びらとモナリザ。

自衛隊とヤクザの喧嘩。

その仲裁に入る鉄火場の祖母。

そこに来る客未婚の男に気に入られて

わざわざ電車の乗って泊まりにいくことがあったのだ。

そのときの恐いような寂しいような恥ずかしいような

この記憶は消せない。彼らはホモだったのか?

単に子供が欲しかったのか?

肉体は犯されたことはないが心はなんども犯された。

トラウマ03.jpg

つまり、私はひとより劣っている環境に

生まれついてしまった。

存在そのものが私は恥ずかしい。

しかも切り傷に塩を擦り込むように輪をかけるように、

外部から持ち込まれた記憶。

これがまた厄介だ。

いくつの時だったか、
母親といる男の写真を見せられたことがある。

しばらく、その男が父親だと思っていた。

が、後で知ったのだが、
その男とは女の子を産んで別れていた。
ハンサムな男だったと思う。曖昧。

もしかしたら、
私を置いて東京に出る原因だったのかもしれない。

なぜ、父親と別れたのか?

全部祖母の所為だと聞かされたような気もするが…曖昧。

そういえば私の父親は交通事故で40代の後半で亡くなった。と聞かされた。が、これも曖昧。

また、父親は税務署員で祖母に気に入られた為に、

私の母親と結婚することになったとも聞いた。

母は岡山県だか岡山市だかの美人コンテストで優勝したとか入賞したとか、どうも美人だったらしい。

しかも、当時はそうしたことが日常茶飯事だっとか、祖母も元気が出るといって、ヒロポンを注射していたような微かな記憶がある。なんたってヒロポンは普通に薬局に売っていたのだ。今でいう、ユンケルだ。
で、見たこともない父親は収賄容疑で逮捕されたか首になったか、

よくわからない暗い話を聞かされた。外部から植え付けられた記憶が残っている。

なんでも出身地は神戸らしいが、満州からの引き上げでもあるとか、

こうして外部から植え付けられた信憑性の薄い記憶ほど迷惑なものはない。

自己記憶なら自己都合でどうにでも変えられるが、

外部から植え付けられた記憶はどうにも処理に困る。

自慢できない父親だったという記憶だ。

これもトラウマのひとつだろうか?

トラウマ01.jpg

話は変わるが繋がっている。

聖書によると、女性を犯したい。と想像するだけで、

もうその瞬間、すでに罪を犯している。ことになるそうだ。

であれば、
本意ではなく相手を妊娠させてしまい、その責任で結婚を迫られた場合、できるだけ早い段階で妊娠中絶が起こってくれないか?
事故で階段から転んで、本人に怪我はなかったが、
妊娠中絶が起こった。
そんな風な思いに追い込まれた男も少なからずいるのではないか?

つまり、それを男は想像したと記憶し、
女は男がそれを実行したと記憶する。
事故都合で記憶を変えてしまう。
大変分かりやすい事例ではないかと思う。


トラウマ04.jpg


ところが話は急転直下、フランスに住む友人曰く、

フランスでは、妊娠は女の責任。そう望まないなら、
ピルを飲め。と、男の親が詫びる日本と男の親が抗議するフランス。モラルを博愛で語ることも平和を唱えることも共に一筋縄ではいかないのだ。国際的という言葉は時に人の思考を停止させる。気をつけたいものだ。


話はトラウマだった。

存在そのものが恥ずかしい私のトラウマ探しの旅は、

つづく。


トラウマ05.jpg

投稿者 moichi : 08:01 | トラックバック


2010年04月13日

人間、死ぬ、つうじゃないですか。

0327夜.jpg


半年以上前に書き始めてそのままになっていた
ブログを振り返る。

以下、


人間、死ぬ、つうじゃないですか。

このリリー・フランキーの言葉に反応した。

リリー・フランキーとみうらじゅんの

Club dictionary #02 でのトークショーのことだ。

ふたりの息の在ったチンポ話の笑いの連打に、

ランニング・ハイは、まだバージンだが、

手当り次第に観客をレイプする二人の笑いのガスで

Laughing ハイ!になった

そう、私も観客もふたりの笑いに完全にイカれていたのだ。

と、同時にその記憶がフラッシュバックした。

ロンドンの外れで体験しカルチャー・ショックの思い出だ。

あのL.K.J.を教会のような多分教会、で目撃した。

以下引用

LKJことリントン・クウェシ・ジョンソンは

ダブ・ポエットの第一人者にして

英国の黒人解放運動家のマルキスト。

大学在学中にブラック・パンサーに加わり、

政治意識を高める一方で、詩作をはじめる。

74年に自ら編集にも加わっていた反人種差別雑誌

『Race Today』誌に詩を発表し、

さらに同誌からジャマイカン・クレオールで書かれた

第一詩集

『死者と生者の声(Voices of the Living and the Dead)』

を出版。

LKJは、ミュージシャン以前に活動家であり出版人であり

詩人である。

レゲエ/ダブでは一般的なラスタ思想や恋愛を歌うのではなく、

一貫して社会的主張をポエットしてきた LKJ。

音楽的には、UKダブ特有のクールでダークなベースラインにホーンセクションが絡み、

LKJの頑固一徹アジテージョンがダブワイズ!

身震いする格好良さに一瞬、

「世界を変えるのは詩人である」なんて、

ちょっと恥ずかしいことも言ってみたくなる。

以上インターネットより。

http://www.rll.jp/hood/tee/rll13_lkj.php
http://www.lkjrecords.com/lkjblog.html

で、まわりくどい言い方は止めて、

浅間神社.jpg

「人間、死ぬ、つうじゃないですか。」

のフレーズで閃いた私の思いつきを

このプレ・イベントに据え、

今まさに企画は進行中でなのである。

といって、その閃きを具現化するのはすべてひとの力だ。

から、要はスタッフが肝心だ。

その昔、シンガーソングライターとしてデビューしたこともあった島根の出身の個性ある夢の世界に生きるスタッフMが、

ワールド.ハピネスを主催する事務所の元所属だったこともあり、っていうか自分の興味あることを中心に動く森脇は、

“僕は鈴木慶一さんとも一緒に仕事したんですよ“

という前向きな性格を尊重しつつ、

”ビートニクスは絶対ですよ!”

などと進むこの企画の危うさを伝える言葉を私は知らないが、
蛇の道は蛇ということで放棄納得前進している。

つまり楽しいという意味ですな。

楽な人生を生きていては人間は腐るのだ。

この辺りかなり分かりにくい。

しかも昨夜は新作映画三本立てを新宿の丸井で敢行観光したしね。これは後日。

半年以上前の日曜日のことね。まだ休めてた。

よし、企画趣旨だ。
楽しむ音楽から 閃き行動する音楽へ

振り返れば私のロックは反抗することだった。

しかしそれは恥ずかしいほど未熟で自己中心的で

無生産で無意味な反抗でしかなかった。

完全にアメリカのプロパガンダに教育されていた。

包装紙だけが反抗柄で、

楽しい。だけの音楽となんら変わることはない。

が、あの時の衝動や閃きなければ、

今日の私はいない…いつでもどこでも簡単に朱に染まれば赤くなる。

「人間、死ぬ、つうじゃないですか。」

で、今日の私が閃いたのは、

「音楽が生まれる現場」にいたい。ということ。

閃きが生まれる音楽とは?

音楽が生まれる現場とは?

出演予定あくまでも予定。

高橋幸宏&鈴木慶一/ビートニクス

リリー・フランキー&みうらじゅん

+川辺ヒロシ(Tokyo No.1 SoulSet)

いとうせいこう+三浦康嗣(口口口)+ダブマスターX

青柳拓次、小泉今日子、阿部海太郎、

大貫妙子、内田ヤヤコ、渡辺琢磨、

こうして思いは膨らむばかりだ。膨らむのはいい。 

以下、新ブログ、


それが、半年後には、黒い歌謡曲に化けていた。

膨らむのも、変化するのもいい。

転がる石には苔は生えない。というから、

作詞 Lillyフランキー  

補作詞 桑原茂一&近田春夫

作曲 近田春夫

補作曲 桑原茂一 Lillyフランキー

三人で作る。という意味ね。

そして、山を動かすには、歌い手の存在がすべて。

歌い手 矢沢永吉 

(これはあくまでも私の強い思いです。賞味期限今日)


心臓をわしづかみするような歌が欲しい。

生きていることを肯定できるような歌が欲しい。

しかし、もう、それを外に求めるのは止めよう。

情報なら全部 youtubeある。webにある。

とどのつまり、

新しいものはみんな自分の中にある。

もう、よそ様のなにかはいらない。

新しいものに出会いたいなら、

もう一度、心を鎖国して、自分自身に出会おう。

まだ誰も見たこともない 新しい感動に出会う為に。

死ぬかもしれないという予感が教えてくれる。最近ね、

生きることの絶壁に立て!と。

漫然とした弛緩した命では死んでいるのと変わらない。

だから、命ある限り、

いつだって、私が音楽が生まれる現場にいたい。

地球をひっくり返すようなエネルギーは誰もがもっている。

そう私は信じている。

ジョン・レノンが、ボム・マーレーが、
ジョニー・ロットンが、たった一曲が、世界を奮わせた。

そしてそのスイッチを入れるのは、いつだって、

たったひとつの小さな♥だ。


margo.jpg

心を鷲づかみする程の感動が沸き立つのは
どこまでいってもいくつになっても

たったひとつの小さな ♥だ。


盆栽.jpg


そう、人間、死ぬ、っつうじゃないですか、

できることを精一杯死ぬまでやる。っ〜こと。

たったひとつの小さな♥つかむ為に。ね。

眠れない夜の悪夢で終わらせる訳にはいかない。


piccaso2.jpg


 

投稿者 moichi : 04:01 | トラックバック