2009年11月08日
畳を一畳買ったのである。

夏炉冬扇のごとし、衆にさかひて用る所なし
(柴門辞)
高邁不覊な性格が風流人には不可欠である。
少数者におもねる媚びも大衆におもねる媚びも
斉しく撥無した自在人が真の風流人である。
風流の基体は離俗という道徳性である。
つまり、風の流れには何らの束縛がない。
世俗を断ち因習を脱し名利を離れて虚空を吹きまくるという
気魄が風流の根底にはなくてはならなぬ。
社会的日常の形を取っている世俗的価値の破壊または
逆転ということが風流の第一歩である。
これだ。これだ。これだ。
イカを多めにしてほしやに干物を頼んだ。
そして、
世俗性を清算して自然美へ復帰することが
要求されるのである。
「風流のまことを啼くや時鳥」
そして俗の中にある風流である。
かくて色道と茶道とは
人生美を追う風流の前衛の役目をつとめるのである。
「色ふかき君がこころの花ちりて
身にしむ風の流れとぞみし」

旅と恋とが風流人の生活に本質的意義をもって浮き出てくることは当然の理である。
美的享楽が価値体験の絶対享楽として自己を否定する場面があることも知らなければならぬ。

風流の滋味を味わう心はまた白露の味を味として知る心である。
畳を一畳買ったのである。
投稿者 moichi : 2009年11月08日 12:15
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