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2009年08月28日

山にて

川上村GR00.jpg

ファッションとは?

ファッション・デザイナーとは?

語呂合わせのようだが、パッションがなければファッションではない。

ジャンルは問わずだが、ひとつの真理を全身で体感させてもらった。

私にとって、ファッションとは先導であり、煽動でもあった。

が、今日日、私が纏うものはいわゆる作業着だ。

作業着は楽が目的だから特別私をどうこうしてはくれない。

それが今日私が望んでいる場所との関係だ。

ほとんどほぼ過去形だが、私のいうファッションを身に纏う時、

私の精神も自ずと高揚する。

私の思い込みだが日本では数少ないぶれないファッションデザイナーのひとり、

小林節正の最新作「マウンテン・リサーチ」の山で製作した作品を鑑賞した。

これまで衝動的なひとだと思っていたが、

この作品はそんな私の思い込みを根底から覆した。

変わったのだろうか?それとも私の眼が節穴だったのか?

私自身の生き方を大きく揺らす重心の低い素晴らしい作品だった。

これまでの生き方へのリベンジでありぶれない足跡の集大成でもあった。

現代美術は西洋の美術史の文脈の中できちんと評価されることが大事で、

その上で、ビジネスとしても成立するもの…

私の理解がいつも相当曖昧だが、これはその小林節正と対談して頂いた、

グルービジョンの伊藤弘さんに投げかけた質問、

”私にとってのアートとは?”

これがその答の一部だ。

この文脈を私流に理解するなら、

長野の山奥に数年の歳月をかけて作り出したこの作品は、

小林節正自身の生きて来た文脈(思想)に沿った

非常に整合性のはっきりした作品という事で

私にとっては間違いなくアートだった。

詳細はdictionaryの1010発行130号を是非。

で、零下20度まで冷え込む山では、実際の意味で生きる為の道具が必要になる。

もちろんファッション・デザイナー小林のこだわりは半端じゃない訳だから、

納得するデザインと生きる為に必要な道具を一ミリもぶれないで収集していく。

もちろん、今も日々このアートは生きて動いているのだ。

そのあきれるほどの 執着心=集中力(思い一徹)

その熱い思いを、あえて伊藤弘流に例えれば、

”狂っている”

ということになる。

そもそも、ひとを感動させるには、

狂ってる!=感動した!ではないか。

私はあの場に立ってはっきり分かった事は、あらかじめひとは狂っているのだ。

自然には誰も勝てるはずもないというか、

つまり簡単にできる事には誰もムキにはならない。

出来ない。と思う事に挑戦してこそ、そしてそれを成し遂げなければ、

ひとが生み出す脳内麻薬はちびっとも反応しないのだ。

山に手を入れる。なんて文字で読むならいざしらず、

自然のまま放り出されている雑木林を目の当たりにすると、

ひるみますよ。まず怖い。だから、

そこにモダンな作品を作ってしまったからには、

分かってる人なら、当然世界からも訪ねてくる。

文明社会?で疲弊し改ざんされた人間が、

もう一度本来の人間を呼び起こすきっかけを与えてくれるこの作品を、

アート、と呼ばずになにがアートだ芸術だ。

とすっかり私はいつものお調子ではしゃいでいたら、

小林節正はこう言う、

”私はレセプターだから、受動態なんで、外的刺激や情報が入ってこなければ

 自分では自分の方向が出せない…”


MR00.jpg


謙虚に言ってる訳ではない。と彼は念押しまでした。

ならば、今日という時代に生きる事に真摯だ。ということにしておこう。

偏屈という言葉はネガティブだが創造者にはなくてはならないものというか、

我がままでなければ奇跡も生まれない。

などなど、作品の素晴らしさもさることながら、

私にとってなにより強烈な体験だったのは、

私自身が人間として”狂っていた”。ことに気づかされた事だ。

ひとは自然と離れて暮らすと…

自然とつらなっている生命体だということを忘れてしまうと、

血の通わない心になっていることさえ気がつかないのですね。

最近はとうとう救心のお世話になるほど運動不足と資金不足(^^;

で血の巡りが悪いことの自覚はもちろんあったのだが…

まさかここまで自分自身の心が腐っていたとは…

やはり身体は全身で捉えないと分からない。

病院で身体を直すという対処療法ではなにも問題は解決しない。

ばかりか、問題をますます複雑に、問題からますます遠ざかってしまう。

そして終いには、問題を他へ置いて問題そのものを忘れてしまう。

余談だが、「幕末史」半藤一利著 乱読中にて横道だが、

勝つはずのない戦いに向かっていく真理は、

最悪の結果は、分かっていても、見て見ぬ振りをしてしまう性。

悪い事は考えなければそうならないはずだという思い込みが原因。

すべての悪い結果は、起こってから、まさか?は、まったくの嘘で、

実はみんな最初から知っていることなんだね。

他人に言い訳が上手な人は、自分にもそれ以上のいい訳をしている。のだった。

だから、心が腐って悲鳴を上げていることにさえ気づかない。

山はリアルな情報が強烈に押し寄せてくるので、

もう、いるだけで、いっぱい、いっぱい ですよ。

伊藤弘さんの実際の表現はもっとインテリジェンスだが、

しばらくしてその意味が分かった。

それにしても伊藤さんも小林さんも、ほんと、

その道の研究者みたくなんでも驚くほど詳しい。

関東ではブヨ、 関西ではブトとも呼ばれる

ヒトなどの哺乳類から吸血する、危険な衛生害虫である。

そのブヨに刺された伊東さんに小林さんの助言、

小林

普通の虫除けはブヨには効かない。

昨今の農薬類でもうすでに抗体が出来てるから、

伊藤

最近、皮膚をコーティングする薬が開発されたんですよ。

その名も「蚊刺せない」

山を語る資格はない。と言い張るおふたり、

しかし何年もかけて東京近郊で最高のロケーションを探し出す

そのお宅的研究ぶりに私には無理!だと舌を巻いた。

ぼんやり浮かんでいた。イメージ。

思考する山。

そんな甘いもんじゃおまへんで!

だった。

命の選択は、命の洗濯をしてから考えても遅くないのだ。

迷ったら山へ行け!

はい!はい!

はい!は一回。

しかし、山で迷ったらそこで死ぬしかない。

死と向き合う緊張感=ひとがひとになる。

そんな気がした。

だからおのずとビールもうまい。

そういえば、

高度成長期のTVCFで、男は黙って○○ビールというのが流行った。

今思えば命を張って生きている奴はかっこいいということ。だろう。

だからビールもうまいと。

時代がどう変わろうとも山はそこにある。

言い訳は山でしろ!と私は山に諭された。




mountain_research

eye をクリックすると、小林節正の作品の一部を感じることができる。

投稿者 moichi : 2009年08月28日 07:17

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