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2009年08月 アーカイブ


2009年08月28日

山にて

川上村GR00.jpg

ファッションとは?

ファッション・デザイナーとは?

語呂合わせのようだが、パッションがなければファッションではない。

ジャンルは問わずだが、ひとつの真理を全身で体感させてもらった。

私にとって、ファッションとは先導であり、煽動でもあった。

が、今日日、私が纏うものはいわゆる作業着だ。

作業着は楽が目的だから特別私をどうこうしてはくれない。

それが今日私が望んでいる場所との関係だ。

ほとんどほぼ過去形だが、私のいうファッションを身に纏う時、

私の精神も自ずと高揚する。

私の思い込みだが日本では数少ないぶれないファッションデザイナーのひとり、

小林節正の最新作「マウンテン・リサーチ」の山で製作した作品を鑑賞した。

これまで衝動的なひとだと思っていたが、

この作品はそんな私の思い込みを根底から覆した。

変わったのだろうか?それとも私の眼が節穴だったのか?

私自身の生き方を大きく揺らす重心の低い素晴らしい作品だった。

これまでの生き方へのリベンジでありぶれない足跡の集大成でもあった。

現代美術は西洋の美術史の文脈の中できちんと評価されることが大事で、

その上で、ビジネスとしても成立するもの…

私の理解がいつも相当曖昧だが、これはその小林節正と対談して頂いた、

グルービジョンの伊藤弘さんに投げかけた質問、

”私にとってのアートとは?”

これがその答の一部だ。

この文脈を私流に理解するなら、

長野の山奥に数年の歳月をかけて作り出したこの作品は、

小林節正自身の生きて来た文脈(思想)に沿った

非常に整合性のはっきりした作品という事で

私にとっては間違いなくアートだった。

詳細はdictionaryの1010発行130号を是非。

で、零下20度まで冷え込む山では、実際の意味で生きる為の道具が必要になる。

もちろんファッション・デザイナー小林のこだわりは半端じゃない訳だから、

納得するデザインと生きる為に必要な道具を一ミリもぶれないで収集していく。

もちろん、今も日々このアートは生きて動いているのだ。

そのあきれるほどの 執着心=集中力(思い一徹)

その熱い思いを、あえて伊藤弘流に例えれば、

”狂っている”

ということになる。

そもそも、ひとを感動させるには、

狂ってる!=感動した!ではないか。

私はあの場に立ってはっきり分かった事は、あらかじめひとは狂っているのだ。

自然には誰も勝てるはずもないというか、

つまり簡単にできる事には誰もムキにはならない。

出来ない。と思う事に挑戦してこそ、そしてそれを成し遂げなければ、

ひとが生み出す脳内麻薬はちびっとも反応しないのだ。

山に手を入れる。なんて文字で読むならいざしらず、

自然のまま放り出されている雑木林を目の当たりにすると、

ひるみますよ。まず怖い。だから、

そこにモダンな作品を作ってしまったからには、

分かってる人なら、当然世界からも訪ねてくる。

文明社会?で疲弊し改ざんされた人間が、

もう一度本来の人間を呼び起こすきっかけを与えてくれるこの作品を、

アート、と呼ばずになにがアートだ芸術だ。

とすっかり私はいつものお調子ではしゃいでいたら、

小林節正はこう言う、

”私はレセプターだから、受動態なんで、外的刺激や情報が入ってこなければ

 自分では自分の方向が出せない…”


MR00.jpg


謙虚に言ってる訳ではない。と彼は念押しまでした。

ならば、今日という時代に生きる事に真摯だ。ということにしておこう。

偏屈という言葉はネガティブだが創造者にはなくてはならないものというか、

我がままでなければ奇跡も生まれない。

などなど、作品の素晴らしさもさることながら、

私にとってなにより強烈な体験だったのは、

私自身が人間として”狂っていた”。ことに気づかされた事だ。

ひとは自然と離れて暮らすと…

自然とつらなっている生命体だということを忘れてしまうと、

血の通わない心になっていることさえ気がつかないのですね。

最近はとうとう救心のお世話になるほど運動不足と資金不足(^^;

で血の巡りが悪いことの自覚はもちろんあったのだが…

まさかここまで自分自身の心が腐っていたとは…

やはり身体は全身で捉えないと分からない。

病院で身体を直すという対処療法ではなにも問題は解決しない。

ばかりか、問題をますます複雑に、問題からますます遠ざかってしまう。

そして終いには、問題を他へ置いて問題そのものを忘れてしまう。

余談だが、「幕末史」半藤一利著 乱読中にて横道だが、

勝つはずのない戦いに向かっていく真理は、

最悪の結果は、分かっていても、見て見ぬ振りをしてしまう性。

悪い事は考えなければそうならないはずだという思い込みが原因。

すべての悪い結果は、起こってから、まさか?は、まったくの嘘で、

実はみんな最初から知っていることなんだね。

他人に言い訳が上手な人は、自分にもそれ以上のいい訳をしている。のだった。

だから、心が腐って悲鳴を上げていることにさえ気づかない。

山はリアルな情報が強烈に押し寄せてくるので、

もう、いるだけで、いっぱい、いっぱい ですよ。

伊藤弘さんの実際の表現はもっとインテリジェンスだが、

しばらくしてその意味が分かった。

それにしても伊藤さんも小林さんも、ほんと、

その道の研究者みたくなんでも驚くほど詳しい。

関東ではブヨ、 関西ではブトとも呼ばれる

ヒトなどの哺乳類から吸血する、危険な衛生害虫である。

そのブヨに刺された伊東さんに小林さんの助言、

小林

普通の虫除けはブヨには効かない。

昨今の農薬類でもうすでに抗体が出来てるから、

伊藤

最近、皮膚をコーティングする薬が開発されたんですよ。

その名も「蚊刺せない」

山を語る資格はない。と言い張るおふたり、

しかし何年もかけて東京近郊で最高のロケーションを探し出す

そのお宅的研究ぶりに私には無理!だと舌を巻いた。

ぼんやり浮かんでいた。イメージ。

思考する山。

そんな甘いもんじゃおまへんで!

だった。

命の選択は、命の洗濯をしてから考えても遅くないのだ。

迷ったら山へ行け!

はい!はい!

はい!は一回。

しかし、山で迷ったらそこで死ぬしかない。

死と向き合う緊張感=ひとがひとになる。

そんな気がした。

だからおのずとビールもうまい。

そういえば、

高度成長期のTVCFで、男は黙って○○ビールというのが流行った。

今思えば命を張って生きている奴はかっこいいということ。だろう。

だからビールもうまいと。

時代がどう変わろうとも山はそこにある。

言い訳は山でしろ!と私は山に諭された。




mountain_research

eye をクリックすると、小林節正の作品の一部を感じることができる。

投稿者 moichi : 07:17 | トラックバック


2009年08月23日

ネッセサリー

狩野亨吉.jpg


狩野亨吉 曰く

「自由なんてものはキリスト教がつくったフィクションだ。

日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ」

松岡正剛の「多読術」を読み終え、

思い返してひっかかった狩野亨吉の放ったセリフにぐっと来て、

うん?ネッセサリーってなんだっけ?とグーグルしたら、

同じような事を感じている 以下のようなブログに出くわした。

なななんと茂木健一郎さんとも仕事をされているとか…


引用初め

読んでいて思わず「カッコイー」と声に出してしまった箇所。

そこで、この狩野享吉があまりにすばらしいというので、時の皇太子の教育掛に推挙されたんです。ところが本人は、これを断った。「ぼくは危険人物だ」というんですね。そして、大学をさっさとやめると、好色本のコレクションと書画骨董の鑑定をやりはじめた。 それでいて、時の知識人たち、たとえば長谷川如是閑が「これからの日本における自由とはどういうものだと思うか」と尋ねると、「自由なんてものはキリスト教が作ったフィクションだ。日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ」といってのけたりする。・・・
多読術 174ページ。

自由なんてものはキリスト教が作ったフィクションだ。日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ

である。

かっこええ・・・。


フェムトセカンド


引用終わり


そうなんだよ。かっこええ。

しかし私の問題は、ネッセサリー!


AreMenNecessary.jpg

検索 引用初め

**nec・es・sar・y[ nssri | -sri ]

[形]

1 必要な, (…に)欠くことのできない, 必須(ひっす)の((to, for ...))

・ a necessary condition

必要条件

・ items necessary for daily life

日常生活に必要な物

・ if [when, where] necessary

必要ならば

・ take the time necessary

必要なだけ時間をかける

・ Clean air is necessary to good health.

きれいな空気は健康には欠かせない

・ Is it necessary for me to attend the meeting?

私がその会合に出席する必要があるのですか(▼×Am I necessary to be ... ?とはいえない)

・ It is necessary that he (should) go there.

彼がそこへ行く必要がある(▼he goesと直説法にするときもある).

[類語]necessary絶対不可欠ではないが, さしあたり必要な. indispensableぜひ必要な, 不可欠の:Water is indispensable to plants. 水は植物の生長に欠かせない. essentialそれなしには成り立たない, 本質的に必要な:Love is essential to human life. 愛なしには人生は成り立たない. requisiteそれがあることを要求される, 条件として必要な:Repentance is requisite to salvation. 救われるにはまず悔悟が必要だ.

引用終わり

ということだから、とりあえず疑問には、答えを??????

で、この検索途中に、こんなブログにも引っ張られた。


引用初め

日産のCM「NOTE」に出てくるアメフトコーチが

「あッ、ネッセサリー(necessary)」っていいながらダンスはじめる

アレは以前から気になってた。


goldeneggs2.jpg

The World of GOLDEN EGGS(ザ・ワールド・オブ・ゴールデン・エッグス)が

最近ものすごい人気らしい。

 名前を知らない人でも、ゴールデンエッグスのキャラはNECのノートパソコン

「LaVie A」や日産「NOTE」のCMで見たことがあるのでは?
 
 日産のCM「NOTE」に出てくるアメフトコーチが

「あッ、ネッセサリー(necessary)」っていいながらダンスはじめる

アレは以前から気になってた。

 一見するとアメリカのCGアニメかと思ったんだけど、

実はメイド イン ジャパンということで、

ずいぶん日本もポップになったもんだと驚かされた。

 資料によると、ゴールデンエッグスは2005年にキッズステーションや、

MUSIC ON TV!でオンエアされ大反響であったため2006年に

シーズン2としてオンエアされた。架空のアメリカの田舎町「ターキーズヒル」が

舞台になっていて、個性豊かなキャラクターたちが繰り広げる

めっちゃオモロイ物語。

なぜか英語の字幕がついているので(それでアメリカのキッズアニメかと思った)、

英会話の勉強を楽しみながらするにはもってこいかも。

いづれは英語の教材も作られるかも。

笑っちゃったよ。

Episod15(ボディービル部)

「ブラじゃなぁい 大胸筋矯正サポーターだよォ〜ッ」

youtubeでゴールデンエッグスの動画を探してみるのですが、

あったと思っても見れないことが多いです。というのも著作権の問題があり、

アップされては削除されるという繰り返しのようです。

それもこれも人気が出てきて有名になってしまったためでしょう。

以下のサイトにepisod15がアップされていたので見てない人は覗いてみたら。

おもろいよ

YouTube:ゴールデン・エッグス 

そこにアップされてないけど

家庭教師ミシェル先生のフランス語講座も最高!

ミシェル先生:アン(un)、ドゥー(deux)、トロワ(trois)

ミシェル先生:アン、ドゥー、トワッ

ミシェル先生:アンドゥォとわッ?

ミシェル先生:安藤とは?... 
 
生徒:先生ぇー、安藤って? 誰?  (o_ _)ノ彡☆バンバン


引用終わり


で、YouTube から検索引用


The World of Golden Eggs trailer



低燃費少女ハイジは、なかなかおもろい。

よくCMにこんなん出来たな。


これが突破口になって日本のコメディーの箍(たが)が外れるといいのだが。


一冊の書物に出会い、ひとつの言葉に出会い、

先のみえない迷路を直感に導かれて進んでいくことはそれなりに○しい。

しかしデジタルの世界をいたずらに遊んでみたところで

ツリーは広がるが…

多読術的には??????

ブリコラージュ的+の影響?

迷ったら、ただ歩け歩け歩け…

うん?もしかしたら、

この「多読術」は、ひとそのものを振り分けていく

まるで踏み絵のような役割を持つ閻魔書籍かも…

二股に分かれた道の前に未知の前に水を張ったバケツを両手に持って立たされ

途方に暮れている自分がそこにいる。

このままでいいなら、右。

人生を変えたいなら、左。

言い換えれば、これまでで良かったのなら、右。

もうこのままでは駄目になると思うなら、左。

私はどうしたいのだろか? 10 9 8 7 6 …


狩野亨吉1.jpg

”日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ”


私は私のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ


だから、ネッセサリーってなんだ?


ネッセサリー2.jpg






投稿者 moichi : 14:06 | トラックバック


2009年08月22日

And life is like a song


CADILLAC RECORDS

CadillacRecords

この音楽映画に魅了されて書いている。

「扉をたたく人」を鑑賞したときの予告編にイカレて

RSRが終わったら真っ先に見ようと思っていたら、

幸運にもその願いが叶った。

その土曜日は午後二時半辺りの上演って以外と混むんだね。

年齢層も当然か、幅が広かった。つまり熟年カップルたちが、

”これ俺たちの映画”ってムードがおかしかった。

そういえば、昨夜、お邪魔した、

畠山美由紀(Miyuki Hatakeyama)
1972年8月18日 宮城県気仙沼生まれ。

さんの教会ライブ第七回目にお集りの皆さんも

想像以上に年齢層が豊かだった。

まるでそこに自分は入っていないかのようなこの口ぶりが
自分でもかなりおかしい。

そう、それだけ東京の音楽文化が豊かになっている証拠だ。

教会の中で体感する大人の音楽愛好家の集まる豊かな夜でした。

img_hatakeyama.jpg

畠山美由紀


で、キャデラックだ。

もちろん製作総指揮でもあるビヨンセの魅力もさることながら、

新しい音楽が生まれる瞬間を描く映画はもちろん何でもどえらい好きだが

思い出を含む当時のグルーヴを再現し体感させてくれる映画ならではのワクワク感なら音楽のジャンルはなんでいいからもう私は堪りませんのよ。
畠山さんではないが、

”始まったばかりで恐縮ですが、今日のライブも終わってしまうんですね。

それを思うと、切なくて…”

次々と歌いながら終わっていく、

その帰らない時間を、もうライブの最初から、惜しむ思い…

ものすごく分かる。

分かる分かる分かる分かる分かる分かる分かる分かる。
もういい?

で、えっ?終わっちゃうの?って思いも、

究極、音楽映画?は

画面で流れる音楽が私のハートを鷲掴みにするか否かだ?

エタ・ジェームス の名曲 「AT LAST」を歌う、

ビヨンセに私は完璧に鷲掴みにされた。

story.jpg

そうなったら、映画として優れているかなんてもうもうどうでもよくなるのだから私は分からない。

えっ?もう終わるの?だったのよこの映画。

そうそう、こうした事実に基づいた映画に肝心なのはそれぞれが伝説の巨人だから

キャスティングを誤るともう弩っチラ毛になる。が、この映画の俳優たちの

火花もレベルの高いレースだった。ちなみにレースは競い合うという意味だが、

レイス(Race)は、人種、だが、黒人たちを蔑視する意味で、

レイス(Race)・ミュージック(Records)と呼ばれた時代があったそうだ。

それは「リズム&ブルース」(1949年辺りから呼ばれるようになる)が生まれる以前のことだとか。


で、私を鷲掴みにした俳優はふたり、

ハウリン・ウルフを演じた、イーモン・ウォーカー

EamonnWalke


チャック・ベリーを演じた、モス・デフ

MosDef

もちろん他の出演者も的を得ていて素晴らしかった。

で私的には16歳あたりで黒人音楽、特に、モータウン・レコードの楽曲たちに完全に嵌って次々と生まれる音楽とそのステップをあきれるほど追いかけた過去を持つ男としては、

この映画もう、うぁ〜 もう堪りませんぜ、旦那。

なんでも、モータウンに寝返った恋人もいた

エタ・ジェームス曰く、

モータウンはアップタウンの音楽だとか、

つまり、都会的で洗練された音楽…

エタ・ジェームスは、私はダウンタウンよ。つまり、…

私は都会的で洗練された音楽…

の洗礼を受けてしまったのだから

そうか、モダンが私の底辺にあるのは

そういうことか…と自慢納得。

もちろん、私もエタ・ジェームスのアルバムは数枚もっているがどうりで…もういい。

eta.jpeg


ビヨンセに完璧に鷲掴みにされたのはこの映画がモダンだからだ。もういいって。

しかも都会的で洗練された恵比寿ガーデンシネマだしね

似非モダンだったりして…えっ?わ、わたしが?

だから、人生はうたのよう…

cadillacmovie.jpg


AT LAST

ついに
私にも愛が訪れた
これで寂しい日々ともお別れ
歌みたいな人生ね

えぇ、そう、ついに、
頭上には青空
私の心はクローバーに包まれていた
あなたを見かけた夜に
私は話せる夢を見つけた
私のものだと呼べる夢を
頬を寄せると身震いしたわ
これまでに味わったことのない身震いよ
ええ、そう、あなたが微笑んだ時
ああ、魔法は掛けられたの
そして私たちは、天国にいる
あなたは私のもの
ついに

オリジナル・サウンドトラック 対訳より


映画は夢を見させてくれる

暗闇の二時間だけでも

そとはべったりとTシャツの背中に張り付くどろっとした夏


そして私たちは、天国にいる

映画に帰りたい。





koiha jibunn de jibunn ni suru mono Love is E&D&H&A…P


投稿者 moichi : 19:17 | トラックバック


2009年08月17日

RSR 2009 幸福速報!

きょん&かつぶろぐ.jpg

こんなロマンチックな風景がRSRなら生まれる。

RSR2009ブログ01.jpg


初めて楽屋を目にした映画狂の克さん、

”これって、フェリーニの世界だね。”


ぶろぐ親子01.jpg


”自分がボブ・ディランになったような気がする。”(喝さん)


父を見つめるレオの視線はいつも暖かくて泣けてくる。


ブログエレキ2.jpg


2005 日本初の夏フェス コメディ・テント 「ブラック・ホール」


ブラックホール

に参加してもらってから、早、4年、

エレキコミック人気の眼を見張るジャンプぶりに心が躍った。


喝写真倶楽部ぶろぐ01.jpg

父を見つめるレオの視線はいつも暖かくて泣けてくる。2

それにしても、普段語らない喝さんの、ひとこと、ひとことは、

他の誰にも語れない重量感がある。

それはひとつの信念を身体を張って

貫き通したひとにしか語れない言葉の重みだ。

”強くなければ優しくなれない。”

この言葉こそ、克幸さんの為にある。


ブログ喝.jpg

ぶろぐ/ひらま.jpg


レオくんが、平間くんのブログのトッページをみて、

”多々者じゃない。”

思わずもらした言葉が会場にこだまする。

気が利く。写真家に限らずこれがほとんどの才能を決める。

とっさの判断に気が利く人は、必ず素晴らしい仕事を生み出す。

気が利く。平間至。

どんくさいなぁ〜じぶん。とその進行スタッフ。

猛省しても直らないところが哀愁なのだ。泣く!

覚えてろよ!来年。


(声が小さい。)


ぶろぐ最後.jpg






投稿者 moichi : 08:46 | トラックバック


2009年08月16日

大人のプリン

大人のプリン.jpg

メニューに大人のプリンと描かれたデザートを食べた。

ということは、これ以外のプリンは、はすべて子供のプリンか、老人のプリンか、

大人になれないひとが食べるプリンか、

いわゆる宇宙人や未来からやって来た地球人や、

生まれ代わりとか、別の惑星やら、

その、どっちともいえない人たちが食べている

プリンということになる。なる?

で、激しかったRSRアフターの一食目の食事は今年も最高だった。

RSRの明けた翌日は寝れるだけで寝て、といっても、

神経が逆立って、誘眠剤も効かないのだが…

まるで七夕のような時差に適応しないスタマックをなだめすかし、

今年も今日は一食だけを貪る。

で、数年前に出会ったその真っ当なイタリアンは今年もドンピシャだった。

最近は教授やキョンちゃんや達郎が訪れるとか…は、

東京のイタリアン?レストランでは成し得な胃、

食への愛情があるからだろうか?

小さなレストランに宿る真心は世界へ簡単に繋がるの食のファンタジーだ。

東京のレストランの食には土地の代金が否応無しに含まれる。広告費とかも?

それが、札幌に限らず、地方の食文化には以外とない。

食文化が実に延び延びとしているのだ。もちろんそれも限られた店だが…

つまりRSRで聞く音楽が解放されているようにね。

世界を知る教授がうなずくように札幌の限られたレストランには

食への真っ当さがある。

観光雑誌には紹介される事のない。媚びを売らない真っ当さだ。たぶん。

音楽であれ、食であれ、それ以外のすべての文化であれ、

結局、価値の是非は、受け入れる人の教養にある訳だから、

その真意を分からないひとにテレビや雑誌で紹介されたからといって

押し寄せられても困るのだ。真っ当な音楽家とオーディエンスの関係もしかり。

そもそも、そんな姑息なメディアに

魂を売らなければならいことこそ問題なのだから…

その割には、君は、食の雑誌を貪るね。(^^; 

例えばシャンパンに一千万投資しても屁ともない放蕩力からしか生まれ得ない

生き様を文化としてを全うできるのは歴史に残る限られた天才たちだから、

私のような凡人には、

書物の中で想像する世界が関の山だ。

つまり、食に関しても、すなわち写真に関しても、○○に関しても、

一夜漬けで、うだうだいっても経験が薄ければ一貫性がどこが侘しいのだ。

あの松写真家の平間至からもRSRから札幌へ帰るバスの車中で指摘されたのだが、

私のように 心臓に問題があるのは、喜びの少ない人だと。

苦しみは、腎臓、悲しみは肺。そして怒りは肝臓。

まさに、その人の性格を内蔵は見事に表している。そうだ。

若いうちはそれが誤摩化せるから、

ひとは勘違いするのだけれどね。

RSRでリハビリ!

笑えない事実かもしれない。

話は繋がらないが、

キョンちゃんのライブの素晴らしさは、東京ではあり得ない、

聞く、見ると、演じるがフラットだから故ではないか?

まったく気持ちのいい音楽だった。

私のような世の中の当たり前を知らないドジな性格でさえ、

キョンちゃんの音楽でうれしくなったのは、

音楽への愛がこれまで以上に深まったということかもしれない。


キョンちゃん帰る.jpg

ま、長〜く生きてるって大事なことかもね。

その昔の、その時代に天才呼ばれた人たちのように

でも生誕百年って、どうよ、

思い詰めたあげく美学?を追求して自殺したとしても、

それは、もしかしたら若さ故に何も知らない大馬鹿ものだった

ということにはならないのか?

死を美学にする阿呆は、少なくともこの時代はもう終わりにしよう。

っていうのも、

18歳成人=18歳徴兵

まったく戦後生まれのかなり異様な教育を受けた

人間をおもちゃに、まさに奴隷に仕立てるような…

ファシズム国家日本にこのままひれ伏したままでいいのか?

私?

次の世代へ、なにを(平和)残せるのか?

だから問題は大人のプリンだ。

幼少の味覚は〜を開高健を引き合いに出すまでもなく、

”母ちゃんの握り飯に敵う飯はなぁ〜い〜 ”

に、遁れることはほぼ出来ない。とか東京都特許許可局…

これはもう速やかに寝るしかないだろう。

だからもちろん、つづく。(相当酔ってました)(^^;




投稿者 moichi : 21:52 | トラックバック


RSR は今年も喜びのエネルギーで溢れていた。

RSR2009:001.jpg

どんな音楽もその音楽のもっている魅力を百パーセント楽しめる音楽の祭りが

RSR だ。

ここは誠に音楽の聖地だと本気で思う。

すべての音楽が解放されているのだ。

誰に対しても分け隔てなく平等に音楽はそこに存在している。

いい音楽といまいちもという音楽は、ここにはない。

みなひとりひとり顔が違うように、音楽もちがっていい。

いいわるいはないのだ。

好きか嫌いか、その絶対数に差は当然あるだろう。

しかし、どんなにダメも超いいも、まったくここでは無意味だ。

ただそこに解放された音楽があるのだから。

それぞれが好きなだけ自分の好きな音楽を楽しめばいい。

なにもしないで、そこにいるだけもいいのだ。

喜びに溢れた顔をみること以上に幸せな事があるだろうか?

毎年私は同じ事を思う、

東京の都会の雑踏でしかめっつらの人々の醸し出すオーラと、

喜びに溢れた数万人の笑顔からくるオーラの差はいういまでもない。

イベントの仕事はどんなにがんばっても百点はないが、

集まってくれる笑顔のエネルギーに毎年感謝している。

今年はことのほか神経を使った。

大切な人に喜んでもらいたいという気持ちが強かったからだ。

もちろん,一緒にイベントを進める出演者に区別も差別はない。

しかし、今回は子供のときに多大な影響を受けた大切な先輩がゲストだったから

気がつくと、もう,自分の中で仕事という範疇を完全に逸脱していたのだろう。

心がめちゃめちゃというか,今の自分ではない子供の頃の自分を装う?

慣れない紋付袴を着て走り回る?違うな。

過去に残した肉親たちへのギルティーな思いやそれら様々のものが

私の身体にこびりついてはがれなくなってしまったぎこちなさ。

まるでゾンビになったようだ。

自分らしく、行動する。

まったくわからなくなったてしまうのだ。

おまえは誰だ?

目の前に険しい山がある。

登らない言い訳を考えているいるうちに、

その山は再開発に利用されていつのまにか更地になってしまった。

巨大な廃墟の前で立ち尽くしている自分がいる。

もう、遅い。

…索漠とした思いのみが心を支配している。


カウント・9 を告げる声が大地に響き渡る。


RSR2009:002.jpg


つづく。





投稿者 moichi : 09:25 | トラックバック


2009年08月13日

さぁ、いよいよ、ライジングサンだ。

塩竈_桑原_6.jpg

出発だ。

このところその準備に翻弄されていた。

達人の選ぶ写真集を音楽付きのスライドショーへ編集する作業は

とても楽しい。

縁あって、チケットが当たって、中沢新一さんと内田樹さんのトークショーに

お邪魔した折に、まったく柄にもなく、買ってしまった、

クロード・レヴィ ストロース 今福竜太 著

「サンパウロへのサウダージ」を皮切りに、眠っていた

スーザン・ソンダグ 近藤耕人 訳 「写真論」

 ぐさぐさぐさぐさ…ふ〜痛い。救心救心〜

タイトル引かれて買った

「明るい部屋」 (写真についての覚書)

 ロラン・バルト 花輪 光 訳

おもしろかったり分からなかったり…

「たのしい写真 よい子のための写真教室」 うーん、よむよむ。

ホンマ タカシ著 (やっぱこのひとはカタカナだよね。)

これらを併読しながら きっと、ぶりっこラージュになるかもと儚い願い。

しかも相変わらず時代物に惹かれ弾かれ轢かれてぶぶづけ

「ジパング島発見記」 山本兼一著 開いたり閉じたり。

辻原 登 著 「許されざる者」 上下 

まったりだがついつい読見終えてしまった。

「幕末あどれさん」 松井今朝子 著 なぜか止まったまま。

「弩」 下川 博 著   

なんであんなに一気に読んでしまったのだろう。

サイモン・イングス 著 の「見る」 買ったままだし、

李朝の工芸品に一目惚れしてついつい買ってしまう駒場の民芸館が私は好き

で、映画になるかもなんて噂で…「朝鮮の土となった日本人」 高崎 宗司著  

同時に「柳宗悦と朝鮮」(自由と芸術への献身)韓 永大 

も 準備万端…

それにしても、「阿片帝国・日本」倉橋正直著 

は正直、きっついしな〜歴史は容赦ないのだ。

とかいいながら、村上陽一郎著は門外漢だが

「科学者とは何か」「やりなおし教養講座」 

コンプレックス直球買い!いつよむの?

調子に乗って、福岡伸一著 「生物と無生物のあいだ」

「世界はわけてもわからない」 これ俄然面白い。

「アバンギャルド芸術」 「恥部の思想」 「七・錯乱の論理」

花田 清輝 著 まったく知らない世界も、ドドーンとひかえている。

私は本屋か?そうそう、「マン・レイ自伝」(セルフ・ポートレート)

これ写真がもう堪りませんね。ということで、

RSR art school Dream Classroom 001

いいかんじの、スライドショーになるのではないか。

"なんったって、○○$"のすてきな方もサプライズで登場する。

浅草の下町っ子のお祭り好きの筋金入りの世界基準の

職人魂が炸裂するのだ。ドッカーン!!

もちろん、大塩竈の天才も松写真か超「H」も大暴れするだろう。

ホノボノ系の岡山&アンダー系青山MIXの

日々救心音頭の拙者がどこまで上げ上げで、もって蹴るかが勝負だ。

パートナーは島根の温泉地出身の妄想自己愛マグマだしね。

わてを始め地方出身者の根の暗さを、あのあの今年はかなり寒いらしい北の大地が

大きな愛で私たちのどうしょうもないきん玉を包み込み込んでくれるのか?

くぐもった魂を大地へ思いっきり放射し吹き飛ばしてくれれば、

そこへ筋金入りの江戸っ子の喝さんレオさんの粋な気っ風が

ドドーンと打ち上げ花火となって

たまや〜かぎや〜といき意気粋たいもんだ。


花火.jpg


集合場所

クリスタル・パレス

私待つわよ。


dictionary art school

俺は待ってるぜ




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2009年08月05日

僕らの時代のコレクター

365hiro71.jpg


食事の席での私の軽はずみな発言から始まった?

ヒロ杉山さんの日々作品(毎日新作を制作する)

修行のような(本人談)作品作りも、8月4日時点でなんと74枚〜とか。

それが苦行であっても、本当に楽しそうに私にはみえてしまう。

懺悔と尊敬と好奇心を胸に、

その毎日作品を青山のwatariumで拝見した。


僕らの時代のコレクター

ななな、なんと、私は思わず驚愕した。

ホームーページでほぼ毎日見ているつもりだったが、

やっぱりなにも見ていなかった。

これってまずいよ。諸君!

なにがなんでも本物を見なければ。

ブログはインターネットは やっぱり一次情報ではない。

結果、似て非なるもの。なのです。

感動の質が違うのです。

これだけのものを毎日描いているとは… 

プロの仕事の凄みというか、

私の大好きなあのピカソも毎日描いていたそうだが…

天才は多作なんだなぁ〜と口をあんぐり空けていると

もしかして…呼びかける声が聞こえた。

驚いて、声の方を見ると、ここのオーナーでキューレターのえっチャンだった。

ピテカンの頃は、みんなでよく遊びにきてくれたのだ。

久しぶりにあったが、会うたびにチャーミングになっていく、

曇りのない生き方を通したひとだけに与えられた凛とした佇まいがある。

私は門外漢だから出過ぎたいい方だが、

きっとあの水準のアートを仕事にすることは容易な事ではないはずだ。

というか、

そもそも大変な仕事をしているという気負いもないだろうが。

そこへ、弟のコウちゃんも現れた。

まったくなんて優雅な兄弟だ。

彼もまったくストレスレス〜まさに無駄のない歳の重ね方だ。

こうみせよう、ああみせよう、が感じられない。

外人のような?風情がある。うん?

ま、青山っ子とでもいえばいいのか…

東京はほとんどが元田舎の子たちの集まりだが、

つまり、なんていえばいいのか…

田舎の子からはどうも抜けない でっぱり、つっぱり?

重い鎧を着込んだような…その昔芸能人のコムデとか… 

そんな気負いも、衒いも かれら兄弟には無縁だ。

久しぶりの邂逅 (使ってみたかった。邂逅だって…)

で、アイスコーヒーをごちそうになり、近況を話し合った。

なんと地下のカフェ 手作り、かき氷もあるよ。

なんだか、色々懐かしい走馬灯。息吸うてる?吸うてる吸うてる。

最近は、青山周辺も、景気の影響で、歯抜けのようなビルが多いとか、

とはいえ、高級地には変わりがないだろうから、

だれでも住める仕事場を構えるというわけにはいかないだろう。

自分は岡山だったが中学三年生の三学期から青山住人になったから

本来は世田谷組ではない。

自慢ではなく青春時代にこびりついた香りのことね。

ま、ともかく彼らの話を聞いているとスペースが持ちたい思いが募る。

私の場合はこの先も引退や悠々自適はない。

このまま死なない程度に死ぬまでやりつづけることが

しっかり運命だから…

責任者としてね。

いまのところ死んでからの始末まではおぼつかないからどうよだが…

おっと、またたび話がそれた。

「僕らの時代のコレクター」

地下に飾られていた、ヒロさんのコレクションも当然ながら楽しめた。

さすが watarium らしい的を得たコンセプトだ。

誰でも好き勝手に好きな作品をのびのび楽しんでいいのだから…

アートを神棚にしてはいけない。

うん?ヒロさんの「9ミリオン」を私は神棚にしているか…(^^;

ま、つまり、アートはどこまでいっても個人的なものでしかない。

そもそもアートを権威にして飯食う輩に私は縁もないし

端からそんな輩は豆腐の角で脳死で売買だしね。

おっと、と、と、とうりゃんせ、とうりゃんせ、ここはどこのほそみちじゃ、

まったく朝の会議から糞渋滞のお台場まで…ボタンの掛け違いも甚だしい

参った。参った。参った狸は眼で分かる2!ポン、ポン。


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投稿者 moichi : 21:28 | トラックバック