2009年06月06日
見ていても見ていなかった

見ていても見ていなかった
このフレーズに寸ときた。
杉本博司の「現な像」(うつつなぞう)を読み始めたらこのフレーズに出会った。
見ていても見ていなかった。
読んでいても読んでいなかった。
聞いていても聞いていなかった。
食べていても食べていなかった。
セックスしていてもセックスしていなかった…
ひととはなんと、うつろな、いきもの
ひととはなんと、虚ろにも 生きて
存在する いきものであろうか。
確かに、息をして、動いてはいるが、そこに魂は
入れ忘れて、あえて入れず、どちらでもない、
そんな生き物が溢れ生息する都会で
私は生きている。
二十代でも、三十代でも、四十代でも、五十代でも、どの時代でも
繰り返し、必ず話題に上る
そうあの茂木健一郎さんも 俎上に載せる事の多い
日本映画の名作 「東京物語」
Life is disappointing,Yes it is
と英語で表現したスーザン・ソンタグに
ハッとした杉本博司さんの息づかいは、
この時代を同伴する凡な私にも寸ときたのだ。

『 京子「いやーね、世の中って」
紀子「そう、いやなことばっかり」
原節子扮する紀子がこのせりふを言うときに私はどきりとしたのだ。
彼女は全世界を否定するせりふを言いながらも、
微笑みを浮かべてまるで観音菩薩の来迎のように見えるのだ。
杉本博司著「現な像」引かれ者の小唄 より引用 』

つまりみんながすごいすごいというひとの息づかいは
すなわち時代の息づかいというこになる。たぶん。
寸寸と、もっと、もっと、もっと、と、その息づかいに俺も突っ込んでみたい。
なかなか突っ込めないエイジングに…
いつしか私もなってしまっているのだから空…

「…戦争を生きた世代は少なくなり、何事もなかったかのように生きる世代が、
この国の大半をしめる時代になった。私もまったくその世代で、
戦争のために人を殺したり家族が死んだりすることのない
平和な時代を過ごしてきたと思う。しかし、父の背中を見て育ち、
あまり家族には語ることのなかった戦争の悲惨さについて、
なにかのはずみで父の口から語られる時、その重さと悲しさが、
ずっと楔のようにあの時代と切れることなく現在まで繋がっていることを知る。
特攻隊員で父の戦友だった加治木少尉の残した
「人が人を愛し、愛する者のために犠牲になる心のある限り、
日本民族は滅びる事はない。俺はそれを信じて逝く」の言葉。
私たちは、この国のために命をおとした人たちに、
恥じない国を守っているだろうか。私はそうは思わない。
そのことを考える時、ほんとうに申し訳なく思う。日々そう思っている。」
空蝉の夏・大貫妙子
新潮社 考える人 連載中「私の暮らしかた」 より引用
昨日、大貫妙子さんと初めて電話で話した。初めて電話で話した。
今までも、
”私、以外と面白いの好きだから”と挨拶ぐらいはしていたが、
たぶんスネークマンショーのことなら私も知ってるよって
気遣ってくれているのかもやさしい…で、
「考える人」でこの文章を読んでからは
大貫さんの前に出るといつの間にか緊張モードが発令されてしまうのだ。
心で敬礼!!
だから昨日の電話も、電話で話した。事だけしか思い出せないのだ。
それをボケともいう。
しかも最近ますますほどよく忘れもの物忘れもをする私の魂は
あんなに小柄にみえても漆黒の強い魂の宿る凛とした大貫さんの佇まいの前では
すっかりドリフターズしてしまうのだ。浮遊するのね。
そんなふらふらの私がいま入れ込んでいる
あのメロディーメーカー阿部海太郎が
大貫妙子の朗読にその場で音楽を奏でるっていうじゃないの。
しかも人間シヌッ通じゃないの。
急告!救国? 6月29日月曜日夜18:00 魂の置き忘れを憂う集いがあります。
お経よりもなんだか浮かれるあのラテンのリズムでお迎え致します。
みなさまぜひお誘い合わせの上ふるってご参加ください。

投稿者 moichi : 2009年06月06日 10:55
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