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2009年05月17日

考えることに慣らされた人たち

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昨夜、小泉今日子さんの出演している舞台「楽屋」を鑑賞した。

結論を先に言う、完璧!だった。

で、その昔、私のつくるコメディにも参加して頂いたこともある、

声の響きがとても上品にもかかわらず、狂気の芝居もうまい。

類い稀なる才能の持ち主、村岡希美さんが出演していることも、

私がこのお芝居へ向かう強い動機でもあった。

動機が肝心、動悸息切れが心配、

そう、おとといも、同じく、キャロットタワー
(何とかならないかこのベジタブルな安い響きの公共施設名)の
三階にある、なんとアールデコ調の「パブリックシアター」にて開催中のイベントにご招待して頂きながら、私は途中で堪らず帰ってしまった。

そういえば、客席へのアナウンスが、キョンちゃん?だった。
あれ?同じく一階のシアタートラムでで小泉今日子の「楽屋」だし、
これはどういうこと…

はともかく、桜井圭介の紹介で知り合った

桜井圭介

容姿端麗なダンス・パフォーマーの康本雅子が、
な、なんと、
小泉今日子さんの歌う「背中」に
合わせて踊るシーンはミュージカルのように、衣装が普段着だったことで
とてもセクシーだった。
そういえばあの時は着物姿が色っぽくみえた
デビューして間もない頃の康本雅子さんのパフォーマンスも新鮮だったのだ。

あの北の夏フェスの巨人RSRのブラックホールの舞台を
じっくり思い出させてくれて

〜流れれるものはやがてなつかしき〜

いつの間にかダンスは市民権を得たのだね。

もちろん、気になっていたスチャダラパーのaniも参加していた。

その抑えたパフォーマンスも?ダンスも、

とても、らしくて、好感がもてたから、

帰った理由はその夜の音楽そのもに波長が合わなかったんだろう。な。

どちらにしろ随分失礼な話だ。招待して頂いたにもかかわらずだ。

その分「楽屋」は当日券で入れたので、仮に途中で失礼しても…

そういう問題ではないだろう。私の品性とか人間性とかにどうも問題がある。

正直に生きることは容易くないな。

話は、「楽屋」

見るまでまったく予備知識ゼロという真っ白な状態で対面したから、

なんせ、私の常識知らずは計り知れない大バカなるカフェで、

なんと小泉今日子さんが男優の永瀬正敏さんと結婚していたことさえ知らず、

うる覚えだった、演出家を、生瀬を永瀬と見間違え、

へぇ〜、永瀬さんは演出もするのか〜

「楽屋」というお芝居が、

劇作家、清水邦夫さんの代表的な作品だということさえも知らず、

そもそも演劇の世界を知らない。

せいぜい、宮沢章夫さんやケラさんや、大堀こういちや小林顕作や池鉄や、阿佐ヶ谷スパイダーズや、その流れ?や派生的な分野しか見たことがないのだから語るに落ちるよまったくお恥ずかしい。

で、私の妄想は、永瀬さんなら、素晴らしい俳優さんだから、きっと数えきれないほどの楽屋話があるだろう。だから、それを今日という時代の比喩としての楽屋をスパット切ればこれは相当面白いお芝居になるのではないかと…
日本らしいブラック・コメディだ〜なんて勝手に想像してしまった。
しかも、よりによって、吉田レオ君にまで、
そのことを話し、怪訝な顔をされ、それはないでしょう。ときっぱり否定され、

こんなん、おつむ大丈夫?なことを書きながら、

そういえば、先日民芸館でのdic表紙撮影で、

永瀬さんと新しい映画の話で興味を持ちその人物の本も買って読んでいるが、

今はまだ非公開だから話せないからいづれ。

というのも、この芝居のことは、

ヤッコさんと小泉さんが対談した原宿でのイベントで、
キョンキョンの狂信的なファンである我スタッフから
この「楽屋」の件を聞いていたこともあり、

しかも今誰も彼も大好きなすこぶる話題の蒼井優さんも共演するんだから、

これはもう「芸能界は時代の旬を売る仕事」だよね…と

まったく頭の悪い想像を働かせてしまったのだ。

終わってる。もう地獄に堕ちろ!私。


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だもんで、もちろんチェーホフを読んだこともない。
関連したお芝居なら付き合いで見たかもしれないが思い出せない
つまり記憶力の悪いのはいうまでもなく頭の悪い証拠だから
日本も私も世間は世界はそんな馬鹿は認めないのである。
日本は中国で朝鮮でひどいことをしたのである。私は「カモメ」を知らない。

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毎日新聞の書評欄からの引用

「脇役スタンド・バイ・ミー」沢村凛著 渡辺保 評

チェーホフは

「私の戯曲には脇役というものはない。

どんな脇役でもその人の人生では主役だ」

その意味は、

ドラマは必ずしも波瀾万丈の中にあるのではなく、

平凡な日常にこそあるという逆転の思想である。

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さて、そんな私でも、この「楽屋」は感動した。

最後のシーンに至っては、

小泉さん、渡辺さん、蒼井さん、が抱き合うシーンで

思わずこみ上げてくるものが私なんかでもしっかりありました。

その感動の筆頭が渡辺えりさん、

渡辺さんの芝居のうまさを私が語るのはそもそもおこがましいのだが、

これまでも渡辺えりさんの発言や行動力の素晴らしさは耳にしていたものの、

このお芝居の中心を支えるのはやはり渡辺さんであり、

演劇というもののスタンダードをきっちり押さえてみせてくれた。

つまり感服した。

次に、その才能にコメディの現場で直接触れさせて頂いたこともある

台詞に伸びやかさがある村岡希美は、

言うなれば、あのナイロン100%の流れを汲む役者さんだが、

村岡はこういう、

”私自身は、役者、役をやる者、女優は女として優れていると書く訳だし、”

なんとも意味深な自己分析と的確な表現だ。

暫く振りに遭遇した、村岡さんのジャンルや垣根を越えた見事な円熟ぶりに、

私は目を見張り堪能した。

あぁ、コメディ!いつかまた一緒に楽しいお仕事ができたらと…


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それにしても、というか、

ここに集合した「女を超えた魅力」を兼ね備えた女性たちの中では

人気者の蒼井優さんの存在も一筋縄では行かぬ。ぞえ。

舞台に上がれば、けして可愛いというだけで得をするわけではないのだからね。

演劇は他のメディアとそこが違うんだなとまじ勉強になりました。

「女を超えた魅力をもつ女性」

例えば、男に媚びを売らない。

といえば、そもそもその言い方が…と女たちから怒られそうだが。

もちろん男に女が、私が女を、分かる訳がないのですが。

年を重ねるたびに心底そう思う。

女性を性の対象として捉えれば、

これがいつまでもつづく泥沼なんだが、

その女性の本質を見ることを拒否していることにもなりかねない…

分けてみるのも不自然だしね。

女を超えた魅力、

私の場合の最初の存在は、国際的にも明快に評価されている

女性デザイナーのKさんがそうであった。

年を重ねるごとに間を置いてお会いするたびに、

その存在の美しさに圧倒される。

自然の風景の中でそれに相当するものが見つからないかと思案してみるが…、

…世界遺産に認定されている建造物等が朽ちて逝く姿を追いかければ、

う〜ん、もしかしたら、

似たような感覚を覚えるかもしれない。

といって、蒼井優さん以外が、性的に魅力がないという話ではない。

おい!そこの、ちょっと、こっちこい!

やばい。女優、Bの威嚇する声が聞こえてくるようだ。

殴られたらそれもいい。

つまり、人間、女性、種として、生き物として、

すんげぇ〜荘厳な佇まいを醸し出しているとでもいいたい痛いのです。

そういえば、あのヤッコさんとの対談の折に、

小泉さんを、どう呼べば自然でしょう?の質問に答えて

じゃ、キョンちゃん、と呼ぶのはどう?

あぁ、なんて慈愛に満ちた言葉だ。

小泉さんは、そう私たちに優しくおっしゃってくださった。

が、

わたくしのように尻(けつ)の穴の小さい生き者には、

やはり小泉さんと呼ばせて頂くのが一番しっくりくるのです。

で、楽屋という芝居は、時代も場所も架空の話だが、

小泉さんの醸し出す雰囲気は強烈にズゴーンと、今、ここ、だった。

今日子 NOW ON HERE(少し違うかも)なのだ。

それにしてもだ。小泉さんには、強烈な華がある。

女優と呼ぶにふさわしい、まばゆいオーラのような華があるのだ。

小泉今日子は、まぎれもなく、女優であって、いい意味で、役者ではない。

「楽屋」は、素晴らしい四人の女優が主役するお芝居なんだと思うが、

私に、みえたのは、凛と華のある一人の女優と、

超絶した技法を備えた大変個性的な年代の違う二人の役者、

そして、今日、スターと呼ばれる、とびっきり可愛いくてとっても若い女性。

暗闇からボォ〜と浮かび上がる。出るぞ、出るぞ、と脅かされて、ビビっている

暗闇に、想像だけの幽霊が現れるようなと怖くて魅力的なオープニングから

最後のチェーホフの代表作「三人姉妹」の憧れの配役に、

それぞれが乗り移るシーンの見事さは、

ブリリアントでも、マーベラスでも、最高でもなく、

まさに、お上手〜、では、ますます歯がゆいのだ。

それにしても、小泉今日子がイブニングドレスに着替えた後の、

凛とした艶姿に、

ため息が出るような美しさに、

私は徹頭徹尾完膚無ききまで打ちのめされたのであります。


それはそれは、まれにみる、完璧なお芝居

「楽屋」だった。

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現代人ほど、決まりきったことを考えることに慣らされた人たちは、

歴史上なかったんじゃないだろうか。

毎日新聞 書評欄 「見る」目の誕生はわたしたちをどう変えたか
サイモン・イングス (著), 吉田 利子 (翻訳)

 養老孟司 評 一部引用





投稿者 moichi : 2009年05月17日 10:04

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