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2009年05月07日

もう今夜は、

kiss.jpg

(架空の料理空想の食卓より/詳細は後日)


”またコンビで誘ってください。”

リリー・フランキーからうれしいメイルが届いた。
ふたりもあの夜が楽しかったらしく…、ほんと、よかった。

4.28 club dictionary # 02 に出演してくれた
リリー・フランキーとみうらじゅんのトークから閃いた、

人間,死ぬっつうじゃないですか。

これがテーマなら、何でも出来るじゃまいか。

ふたりのライブトークにピンと来て企画会議でパツンとハマった

これぞ、ブリっコラージュ?だが、

時代をこんなにうまくあらわしたフレーズもないだろう。

素ぽんぽんで捨て身でまる裸で生きてこそ生まれる言葉だ。

もういいだろう、三十歳以上の奴は、

十分ぬくぬく温々生きて来たのだ。

この先も甘いものだけ食べて生きていこうなんて

虫がよすぎるだろう。

いまさらどこにも逃げるとこなんかないのだから、

たとえテポドン飛んで来てもね。

さぁ、ここからは行動するしかないのだ。諸君!

徴兵も国から命令されれば反抗するが、

意気に感じて自ら進んで戦うのなら誰も異論はないはずだ。

もちろん、武器はペンだ。議論だ。行動だ。という意味ね。

国は私たちの為に在るのだろう。

で、黄金週間に年甲斐もなく三本立てで映画を見た。

これって、アメリカ?気触れの合理主義のつもりか

冴えないシネコンスタイルの

この安っぽさはいったい

ここはどこの地方都市だ。

しかもあんなに混んでたらいくら森林浴が売り物にしても

きれいな空気なんて、もうそのロビーにはないだろう、

しかも揚げ物ばかりが並んだHelthy & Beautyが
コンセプトだとか…

なんだか狐につままれたような気分になった。

それにしてもあんなに通路が狭くては、

火災でも起きたらどうするつもりだろう。

まぁ、私が心配することでないのかもしれないが、

事故が起きてからではね。

そんな一見新しい感じの新宿の映画館で感じたこの気持ち悪さは、

旧態依然とした儲けたい方法論の終末を
図らずも見ることになったのかもしれない。

肌で感じることでしか分からないリアリティーってあると思う。

だから、もう白人至上主義というか
白人が優越感をもって世界を支配する時代が
とっくに壊れているよ。
と、
この三本立てで見た映画たちから
それを教えられたような気がした。

もし人類の祖先が黒人という説があるなら、
白いというだけでもう異端ではなかったのか。

私のように子供時代から白人優越主義のプロパガンダを大量に浴びた地方都市住民にとっては、いまだに白に頭が上がらない感じが確かにある。もしここが敗戦国でなかったら、黒も白も黄色も赤も、

美しさの定義は、もっと自由であったはずではないか。

白いが美しい。

一度植え付けられた感性を剥ぎ取るのは用意でないのだ。

そういえば、本編前に、だから三度も見てしまった。
随分手の込んだシャンプーCFの女性タレントも
真っ白ではなかったから、
大衆を洗脳する広告屋はいつも先を読んでいるのだ。
夜道は黒いから気をつけよう。

で、白い、「ミルク」が一本目だ。


milk-sean-penn-2.jpg


これもどうも偶然ではないような気がするが、

1972?年に初めて米国に渡航し迷子になり葉っぱに救われ、
1976?年には勤めていた雑誌社が倒産し
人生を見直す?為に友人を訪ね
二ヶ月ほど過ごしたあのとてもロマンチックな
花のサンフランシスコが舞台の映画だった。
当時も迫害されたゲイたちが集まって来ると聞いてはいたが…
友人がそのゲイコミュニティー発祥の地、
カストロでショップを開いていたこともあり、
右も左も前も後ろもすべてゲイたちという
ちょっとお尻がむずいカルチャーショック受けたことも
今では懐かしい。
それまでもファッション業界で働く友人が多かったこともあり、
昔から、私の周りにもゲイのクリエーターたちは多かったが、
カミングアウトできない日本の雰囲気を思えば、
あんなに開放的だった彼らにもこの映画のような激しい現実があったとは…
あの頃は今も音楽が好き以外に頭が空っぽの私には、

誰よりも人生をエンジョイしているひとたち

という以外にみじんもそれを実感できていなかった。
その後幸運にもラジオ番組を制作することになり、
ゲイであることをカミングアウトする番組を企画したり、
ゲイは特殊なことではなく、細胞の一つの種類であること等、
フリーペーパーdictionaryで繰り返し編集したことも
あの時代を目撃したことが多少影響しているのかもしれない。
もちろん、今日もゲイたちには
決して良好な環境ではないだろうが、
この映画示すように自分たちの力で
自由を手に入れる勇気に対して、
いつまでも甘いものだけ食べて生きていこうとする
あなたも私もみんな国家の奴隷ですよ。
であることにすら自覚のない我々に
この映画を語る言葉はあまりない。
おっと、…で、映画は、
この時間をちゃらっとやり過ごすだけの楽しみだけではない。
映画にはもっと深くて暗い闇の力がある。
人間なら誰しも潜在的にもっている素晴らしい力、
正義?の為に戦う勇気であったりとかね。
明日はもうすっかり忘れている映画ではなく、
生きている間、なんども繰り返し反芻し、
自分を映す鏡のような力が映画にはある。
と信じているひとたちが創る映画が私はめちゃ好きだ。
勉強一筋から優れた作品が生まれるのではなく、
そのひとにしか出来なかった
想像を絶するほどの経験の積み重ねからのみ、
ひとを感動させる映画が生まれる
のではないか?

完璧なシステムからでは
もうひとを揺り動かす感動は
生まれないのだ。
そのことを教えてくれた映画が、
インドとイギリス人の合作、

スラムドッグ$ミリオネアだ。


slum_tshirt.jpg


これもまた偶然なのだろうか、
映画の舞台となったボンベイ(ムンバイ)に、
確か1987~1989年にかけて、
クリスマスビデオ「ピースオンアース」の音楽制作で、
二度滞在したことがある。
しかも音楽収録時には、
無理を言って

あの細野晴臣さんにも同行して頂いた。
詳しい話は省くが、
まさにこの映画が暴いた驚くべき事実を
私も少しだけ覗き見した経験があった。
しかもインド商人に嵌められたことも含めてね…

ホテルから一歩踏み出せば、
右も左も前も後ろもすべて何らかの身体的不自由さを自慢する子供たち婦人たちに囲まれお金をせがまれるという

途方に暮れるあのカルチャーショックは今も忘れられない。

車が普通に走っている公道の道路脇に大量に人々が寝ているのだ。タクシーは真っ暗にも関わらず節約のつもりか壊れているのかどの車も前照灯を点けない。
かとおもえば、
おもむろに煙草に火を付け、一服し、
その決して飛ばない普通の煙草を吸えと渡される。
普段自分たち夫婦が寝ているベットを空けられ
そこに男同士スタッフと共に寝ろと気を使ってくれる。
当然一睡もすることなく外が明るくなって窓を開けると
そこは海岸通り、海に向かって男たちが並んで糞を足れている。
忘れようとしても思い出せない素敵な記憶をボンベイでは
沢山経験した。
が、
それを忘れてあまりある収穫が
ボンベイの音楽家たちとのセッションには
あった。
な、なんと階級で扱える楽器が違う
という激しい戒律の中で、
彼らの醸し出す音楽には
もうとっく私たちが失っている
神への祈りが在った。
もともとあったけ?
そう、この映画には、
これまで長く私たちが信じ込まされてきた
先進国と後進国
天国と地獄
という図式が、
人生を真っ当に生きる上では
まったく意味をもたない
かを諭してくれるのだ。
つまり
ないものが沢山あるからこそ
私たちが失ってしまった魂がある。
だから命を燃やすほどの恋や愛を
彼らは信じることができるのだ。
そこには一ミリほどの損得もないのだ。たぶん。
地獄のようなスラムで生きて来た青年が、
なに不自由なく育った高学歴者たちよりも、
実は真のお金持ちであるという
この壮絶なテーマを、
比喩として素直に受け取るには
壊れた資本主義に無自覚に住む私たちには相当の努力?
が必要かもしれない。
まるで悪代官に支配された江戸時代の貧困村?
希望ってなに?

「希望」

これがこの二作品に共通する思想の灯だと私は受け取った。

ファック、ファック、ファック、ファック、ファック、ファック、ファック、ファック、ファック、ファック、ファック、ファックが洪水のように押し寄せてくる映画だ。もういい加減うんざりだ。


burn-after-reading-poster.jpg

もう暫くこの言葉聞きたくない。
もうとっくにファックで笑える時代は終わってないか。
どうも先進国の中産階級で知識人を自認する方々の多くは、

人間を続けることに飽きてますね。

きっと。

ト・テ・モ・カ・ワ・イ・ソウデス 

といって、もしかしたら後進国と呼ばれるひとたちなら、
少しは哀れんで笑ってくれるかもしれない。

Google Earthで世界を俯瞰から眺める時代の

チンポ失礼進歩を象徴する化のような
オープニングとエンディングのシャープな映像に、
コーエン兄弟の黒い皮肉が
一ミリほど込められているのかもしれない。が、

私にはこの世になくてもいい映画作品だ。

最新技術と超マーケティングで作る、
これぞ時代の最高峰的映画の存在理由が一ミリあるとすれば、
未だに自分たちは先進国だと信じている似非インテリジェンスたちや、ひとを不幸にする代わりに手に入れた裕福な方々の嗜好する、飲んでもすぐにピスになる、
よく冷えただけのまずいカクテル程度ということか。
大きなゴミをまたしてもつくる暇があるなら、
ゴミ溜の中で暮らす子供たちに手を差し出せよ。
って、いうか、
三本立てはいくらなんでも見過ぎでしょう。
そうか、私は疲れているのか、
コーエン兄弟は好きだったのに、(泣く)ま、ともかく、
時代が大きく変わろうとしている。
というよりもうすっかり変わってしまった。
それが分かった。(祝笑い)
映画はいつの時代もそのことをちゃんと教えてくれる?
そうか、映画が大衆文化と呼ばれる所以は、これか。
それにしても、もう、ファックはたくさんだ。
で、おもわずブリコラしたのだが、

三時間しか寝ないと定説のまるでモギケンみたいな、

あのナポレオンさんの有名な台詞に、

ジョゼフィーヌ、もう今夜は、チーズはたくさんだ。

という小咄、そんなん、なかったっけ。

ブルーチーズならまだしも、

さすがにウオッシュ・チーズは堪らない。

なっが。

投稿者 moichi : 2009年05月07日 16:47

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