2009年05月28日
be full of life.
存在様態
よう‐たい【様態】
(1)物の存在や行動のさま。状態。様相。「生活の―」
(2)文法で、想像など不確定な言表のあり方。
(3)〔哲〕(modusラテン) デカルト・スピノザ以来、与えられた独特な意味では、実体の変化してゆくかりそめの形態、従って実体の非本質的な状態のこと。
偶有性。
我々の心と称される心についての自己知・(志向性の自己回帰成分)として、
アレ?なぜ、この「様態」を調べて日記に書こうとしたのか?
いまとなっては思い出せないが、
さっき、そば屋で座った魚種レットの便座がとても暖かく、
思わず眠くなって本来の目的を忘れて出来てしまった。
ので、忘れないうちに、宮沢章夫のことを書きます。

そうそう、デジタルカメラが撮影旅行中に壊れた。
こんな画像が出て来て終わり。ですがな〜
デジタルは壊れるのだ。
そんな壊れる乞われるデジタル、主にMac従にPC
が突然壊れる顛末記を書かせたら彼の右に出る者はいない。
なぜ左ではいけないの?
いけません。教えてgooより
日本の古来の伝統である縦書きを考えてください。
名簿などを書くとき、縦書きでは、右から書き始めて左へ並べていきますね。
つまり、右に書くということははじめに書くということです。
優先順位があるような場合、
はじめに書くべき人の名前が右に書かれることになります。
「右に同じ」は縦書きの場合、ごく当たり前です。
そんな日常をおもしろおかしく表現することの天才宮沢章夫、
いけません。教えてgooより 2回目の回答をさせていただきます。
先ほどは少し雑な回答をしてしまって申し訳ないです。
古事記に見る「左」の優位性についてですが、
伊邪那美命(イザナギノミコト)の三貴子誕生の場面で、
左目から天照太神(アマテラスオオカミ)が生まれ、
右の目から月読命(ツキヨミノミコト)、
鼻から須佐之男命(スサノオノミコト)が生まれたという場面があります。
これは、「左」の優位性を表れのひとつだと思われます。
な、なるほど、
で、宮沢章夫は子供の頃から欠かさず日記を書いていた
と伺ったこともあるからなるほど、
文章の達人が、今度は超話技を披露してくれた。
私の知る限り舞台を降りると舞台が刎ねると
いつも顔色が土色に優れない宮沢章夫、だから壮絶な感じが漂うとも。
たぶん全身の血液が舌と唇と脳に集中するためではないかと推測しているのだが…
そんな宮沢章夫がほんとうに忙しいそうにしている(富士日記2.1ブログ比)
にもかかわらず、
club dictionary #03で
絶品!「赤塚不二夫論」を披露してくれたのでありました。
これが実に見事で誠に還付金しました。
違う。感服しました。
私のような門外漢がそもそも落語の世界を引用して語ることは
まったくもって分福茶釜だが、
いけません。さらに詳しく 教えてgooより
宗教的な意味合いからも左(手)よりも右(手)に優位性を持たせるという見方もあります。南国等のヒンズー教・イスラム教・仏教を信仰する地域に多いのですが、
左手は用便(大便)をすませた後処理をする不浄な手という発想があります。
その意味からも、左よりも右が優位性を持つ訳です。
ひな人形の飾りかたについてですが、これは皇家をモデルに作ったものですから、皇室内での並び方に準じて配置されます。(以前は逆であったが)昭和天皇即位の時から向かって右(本人から見れば左)に上位の者が座るようになり、それをモデルにそのように配置されるようになりました。以前の日本の風習では、「天子南面」という言葉があるとおり、(本人から見て)左側が上位の者の位置するところだった訳です。(南に向いた時、左(方角的には東)が太陽のいずる方角であるために上座、逆に右(方角的には西)が日没の方角として下座とされてきました。皇太子を日継御子(ひつぎのみこ)と呼び、「春宮」や「東宮」と書くのはこの現れです。)
中世のヨーロッパでは家にはいる時には必ず右足から入らなければならず、左足からはいると悪魔が付いては行って来るという迷信もあったそうです。悪魔(サタン)の左足も山羊の足で、左足さえ見れば悪魔かどうか判断できるという迷信もあったそうです。
結婚指輪を左手の薬指につけるのにも意味があって、太古から女性の血は心臓から左手の薬指にかけて一本の導管が真っ直ぐにつながっているものだと信じられていたようで、女性の左手の薬指にリングをつけることが相手のハート(心臓)をつなぎ止めておく手段だと信じられていた頃の名残があるようです。
他にもいろいろと迷信とも言えるような“右”の優位性に関する話はありますが、多くは古き時代の女性差別を伴った思想に基づくものであるため、この辺りで終了といたします
たぶん、名人芸とは、アレのことではないか。
アレをみてないひとにはこうして話し手も、手は入らない。ても分からないから、
要するにアレで済ましてしまいますが、
名人と呼ばれる落語家の高座を堪能した時のような高揚感=アレ
それ、だったのです。
しかも、90分の講座を30分です小茄子。
小茄子はうまくても当て字が少し違う。
こな・す。
(3)身につけた技術・知識によって、困難で手間のかかる事柄をうまく処理する。
「どんな役でも器用に―・す」
「これだけの仕事はとても私一人では―・し切れない」
「このロボット一台で三〇人分の仕事を―・す」
「数を―・す(=多数ノモノヲ扱ウ)」
(6)(他の動詞の下に付いて)その動作を楽々としてしまう。巧みにする。
「難曲を弾き―・す」
「着―・す」
つまり、早稲田での90分の講義を
我々の為に三分の一に短縮したことで、(ちっょっと怒っている口調だったが…)
まず、普通に考えれば、当然三倍のスピードで話すことになる。
その息もつかせぬ語り口に私はすっかり舌を巻いたのですが。
技量とセンスと直感、その全部。
これって、ブリコラージュ?
例えば、バートバカラックが作曲した楽曲を
様々な音楽家の演奏で楽しんでいたのだが、
あるとき、その楽曲をバカラック自身が演奏したものを聞いた時の感動。
なんていうのはどう?
「そのとき現在に横溢するエネルギーはその多くが失われるとはいえ、
残余が抑圧され蓄積され、予定された終末で利用されて凄まじい
カタルシスを起こす。
おういつ 横溢
・ 生気が〜する be full of life.」
be full of life→@nifty翻訳 [人生でいっぱいにしてください。]
少し違うような気がするが、だいたい気分は伝わるよね。
be full of life いい感じだ。

時折一人飯する sasaya に写る風景に、なぜかしんみりする。
何かを書こうと思って写メールしたのだが、忘れた。
ま、 しんみり があってこその、be full of life.

東北一の神社にも裏はある。
投稿者 moichi : 2009年05月28日 17:47
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://202.218.113.107/~kuwaharamoichi/blog/mt-tb.cgi/810
