2009年03月27日
美しいものしか見えない眼

道を歩かない人
歩いたあとが道になる人
みにくいもの見えないめくら
美しいものしか見えない眼
美はすべての人を愛して居る
美はすべての人に愛されたがって居る
美はすべての人のものになりたがって居る

模様は人にだけしかつくれない精神なのだ。
模様は人にだけしか持てない悲願なのだ。
模様の国という国は、あらゆるものが愛と美とをしか出せない所なのだ。
汚れたものやみにくいものは一切出せない所なのだ。
すべてのものが幸福にしかなれない所なのだ。
そういう此処は第二の世界なのだ。
「いのちの窓」河井寛次郎より抜粋

教授の岡山公演の帰りに寄った河井寛次郎からも
すべてのことは、常に響き合っているのだと…
失った時間というのは、やはりないのだと…
多くのヒントをもらった。
が、問題は、美、なのでR

坂本龍一 2009 in 岡山
音楽は 自由にする
この日本語としては少し変なタイトルには
実は明解な意味があった。
岡山公演の夜、教授とあんな風にじっくり話せるとは思ってもみなかった。
犬はうれしくなると尻尾を振るが、
私の場合は脳の回転もろ列も回らなくなる癖がある。
で、二日酔いと引き換えに多くの答えを見つけた。
そう、やはり、坂本龍一は革命家だったのだ。あの頃も今も変わらずね。
もちろん百年後に、ちゃんと愛されている音楽家であることは間違いないが、
坂本龍一は革命家でもあった。と語り継がれるはずだと私は確信している。
この地球に生きている一人の人間として
常に世界の今日をしっかり受け止め、そこに起こっている問題から
決して眼を背けることなく、敢然と立ち向かっていく姿勢に、
私はいつも感動を覚えるが、
その夜の教授が叩き出すピアノの音に、まさに生きて来たそのすべてが
しっかり新しい音楽となって現れていた。
岡山公演の素晴らしさには、私が生まれ育った土地であるということは、
あまり付加価値にはならなかったが、
音楽を発見し一番必要としていた時代に暮らしていた岡山のオーラは
私を教授との時間へ引き寄せてくれたのかもしれない。
それにしても、なんと幸運なことだろう。
さて、岡山公演では、いくつかの発見があった。
例えば音楽家の時間の捉え方についての勝手な考察とか、
会場で咳をする頻度とその土地の民度との具合とか(笑い)
息を詰めるというが、指揮者にはその間を司る魔法の力があるとか、
これは私にはディズニーの魔法使いの弟子ともだぶって大変興味深かった。
左手を右手がまるで指揮しているように演奏する
教授のスタイルに、
その時、右脳と左脳はどう反応し合っているのだろうか?とか、
私の妄想は膨らむばかりだ。
では、このつづきは、映像の編集が終わったらということで…
投稿者 moichi : 2009年03月27日 21:26
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