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2009年03月13日

生け花のような音楽


ある麻酔学者は、手術時にメスを入れられている患者の体の中で起こっている変化を調べて、彼(または彼女)は手術台から逃れようとしているのだという意見を述べている。

これは実に恐ろしい発言だ。

意識がない状態でもひとはみえない意思を働かせていることを

見えるものしか信じない人(医者)にも分かっていたとは…

人間を数値に置き換え自由に操ることが進歩だと信じて来た?

ここまでのもろもろを、ここからどう解体真書するのか、

幼少から学んだクラッシック音楽のTHE ENDを早々と看破し、

民族音楽を始めあらゆる音楽を消化した先に行き着いたところが

「生け花のような音楽」

これは幸宏のPUPAのライブをCCレモンで、

うん?元渋谷公会堂で拝見したときにも感じたことだが、

いつもうまいところを提示してくれる雑誌ブルータスでも以前特集していた、

琳派(りんぱ)の世界をみているような、

美術を堪能するような、豊かさが幸宏(高橋幸宏さん)の音楽にもあった。

ポップミュージックから始めた音楽もその職人技を突き詰めていくと

柳宗悦のいう民芸(美の思想)のような世界へ到達するのかもしれない。

そうした極めた音楽の到達点を、

教授は、坂本龍一は、「生け花のような音楽」と表現した。

この的を得た発言を発見し我が意を得たりだった美しい美術書

「音楽は自由にする」坂本龍一著 を拝読した。

音楽は自由にする


音楽を自由にする.jpg


同時代をおなじく生きたものとして大変感銘をめちゃ受けた。

改めて教授の偉業を振り返り確認し、深いため息をついた。

”ぼくはほんとうにラッキーかつ豊かな時間を過ごしてきたと思う。”

謙虚すぎるのではないかと思うほどに客観的に冷徹に

自分自身と対峙するその姿勢に

教授の生み出す音楽と同じ品性を感じて誠に恐れ入った。

大いなるものから生まれるゆとりといえばよいのか、

強くなければ優しくなれないに通じる佇まいだ。

その自信を作り出すものはなにか?

分かっているからといって、どうにでもなるものではないが…

もしかしたら、達観なのかな。

開き直ること。とはまったく違う。境地だ。と思う。

”エコな音楽というのはどんなものか?

という質問をされることがよくあります。

基本的には、そんな音楽はないと思っている。

でもずっと答えを探してはいて、もしあるとしたら

「人間は死んだ」ではないけれど、

ある種人間的なものを否定するようなものではないかと思うんです。

…できだけ遠ざかりたい。”


ふ〜、まるで遺書読んでいるような気持ちになるのはなぜなのか…

”それって、死でしょ。死ぬってことでしょ。”

開口一番、インタビューで幸宏もそういった。

”茂一もわかってると思うけど、三人ともめちゃくちゃ仕事してるよね。”

いまは嘘のように仲良しなYMO.は時代の温度。


教授の「音楽は自由にする」は、確かに、私にも

○7年生きてきた私にも、私にも、もう、自分らしくていいじゃないか、

鎧を着て生きることなんかないじゃないか、

借金なんかほっとけばいいじゃないか、(それはないか)

読み終えた瞬間ほんとうに私は自由になった。

その瞬間、だけ、なんだけどね。そう、永遠の自由なんてないのだ。

その瞬間を目指す生き方だよね。ね。ね。ね。

射精の瞬間を求める時代は終わった。

えっ?終わっちゃうの?もう、終わっちゃうの?

喝!


YMO:7-2.jpg

投稿者 moichi : 2009年03月13日 07:11

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