2009年01月12日
ボタン。
”奇跡って、起こるから、奇跡って言うんだよ。”
”受け売りなんだけどね。”
3月14日公開の映画
「ホノカァ・ボーイ」に出てくる、
へんてこりんな医者の意味ありなセリフである。
そ、青柳拓次、阿部海太郎が
この映画の為にオリジナル楽曲をつくってくれた。
まったく、ふたりのこれからの飛躍を考えると
空恐ろしくなる。
つまり、ヤバイという意味。
(ヤバイはこの映画でのレオがビーさんの絶品料理を食べた時のセリフ)
ホノカア・ボーイの音楽は、ヤバイ!
これが正しい使い方。
で、奇跡の現場に立ち会える幸福に比べれば、
ここまで来るのには色々あった。も、霧の彼方へ〜
映画と音楽 まさに永久の解けない難問でもあり、
チルチルミチルの世界でもある。
毒をもって制す、とか、毒にも薬にも、とか、
ごちゃごちゃあるが、要は、
使い方次第ということだろう。
うん?簡単な言い方。 おい!(自分突っ込み)
さてっと、人生は苦悶の道というが、
私は、これまで随分楽な生き方をしていたのではないか?
自問波紋、はっと、目覚めさせられたのは、
あの、「奇跡のリンゴ」だ。
茂木健一郎さんでおなじみの、
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班=監修
「絶対不可能」を覆した農家
木村秋則の記録=石川拓治=著
”そのリンゴは信じられないくらい美味しかったのだ。”
感動で読み終えても、要は、
この一点につきるだろうだろう。
農薬を使わない。
それを素晴らしいと歌うのは、たぶん頭で食べる人だろう。
頭で考える。しかし、
頭で考えられないところまでいけるか?
理屈でメシは食えない。ちょっと違うか、
理屈を突き抜けた喜びを結果提供出来なければ、
どんな努力も水の泡だ。
で、自分をまるで農薬付けのように扱いながら
つまり、不自然なものを見境なく取り入れる生活、
風邪をひったらすぐパ○ロンする的生活を謳歌しながら
目の前の欲望まっしぐらで生きているのなら
農薬無しの、リンゴを食ってなんになるのだということだ。
同じくムードで言えば環境問題の本質はそこではないか?
そうそう、映画でも音楽でもでもいち、
クリエーションの本質もそこではないか?
水の泡に向かって
死ぬほどの努力を強要?される。こともの、すべて…
そんな空しさを、受け入れる、そんな生き方を
もう終わりにしなければ…と「切なく」思った。
自分!出来るのか?(自分突っ込み2)
その、ま、で、
無農薬でリンゴを育てるということは、
つまり自分自身が自然の一部になりきるということだしょ。
人間という生き物が
独立したアイデンティティーを獲得した
生命体だという勘違い?
それを進歩だの、モダンな生き方だの、といった
実は家畜化された生き物に成り下がって
生きているのではないか?
獰猛な自然から切り離されて生きることが
楽しい生活。おいしい生活。(ちょっと古い)
要するに、私は農薬付けの生活に憧れ
顧みることもなく生きて来たのだ。
うん、で、ここでいう奇跡とは、
木村秋則を巡る人々が
(多分この人こそ茂木さんのいうホープフル・モンスター)
あまりにもあたりまえにわたしたちが食べている
「リンゴ」で、
農薬を使わないでつくる「リンゴ」で、
人気という生き物の真理を伝えることに成功したことだ。
奇跡は起こる。起こせる。
またもや簡単?
感動と努力はイコールでなければならないと思う。
自害を込めてね。
だからどんな理屈も並べても感動がないのなら、
それまでの努力は全て水の泡なのだ。
”ボタンのかけ違い”
この、ちょっと、へんなことば言葉が、
ここでは存分に言い得て妙だ。
トライ、アゲイン。と私は頷く。

投稿者 kuwaharamoichi : 2009年01月12日 09:28
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