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2008年12月06日

ホノカァボーイのサウンドトラック

bigiland1.jpg

この映画の音楽監修を担当している。

色々あって、選曲だけでは難しく、

オリジナルをつくることになった。

作曲をお願いしたのは、青柳拓次、阿部海太郎。

昨日の試写会には青柳拓次くんにも来てもらい

オリジナル楽曲について監督を交え話し合った。

当たり前だが監督のイメージは言葉では中々伝わらない。

息が合う。

この感じが難しい。

私は青柳くんと何度か一緒に仕事をした経験から

息が合う。を多少感じている。

もちろん、私の片思いだが、

そして阿部君にも同じ気を感じている。

映画は監督のもの。よく聞くセリフだが、

私の感じでは、映画は結局誰のものでもない…

つまり、その映画にかかわったひとたち

雲合霧集の気から生まれるのではないか?

ということは、その気の中心にいる監督の役割は

方向の定まらない浮遊気を

全部自分の責任として引き受けなければならないことだ。

この逃げ場のない絶体絶命の責任を

みんなで神棚に上げて置いた方が都合が良い

これが、「映画は監督のものだ」にしておくのではないか。

監督するには
強い肉体と強い精神力が求められる
その理由はここなんですね。

そうか伊達に煙草を燻らせる分けではないんだね。

尊敬納得。私も映画は作りたいが…

で、音楽で泣かせる。

これもまた答えのない禅問答だ。

泣かせ方も、私と監督では

性格が違うように全く違う。

そんな不安定な気の中へ、

私の憧れの音楽家達が集い

ある目的へ向かって音楽をつくっていく。

これはもうちちんぷいぷいごよのおたから

実にエモイワレヌ世界が展開されているのだ。

そういえば映画音楽について、

フェデリコ・フェリーニが、盟友?

ニーノ・ロータの音楽の役割について

こんなことを言っていた。

私は自分の映画で観客を泣かせることはできる。

しかし、それ以上の感動を生み出すのは、

ニーノ・ロータの音楽があるからだ…。

ノータリン記憶力なので間違っている鴨しれないが、

多分そんなことをいっていた。

で、映画音楽の作曲家という名称を嫌い、

純音楽の作曲家を名乗ったニーノ・ロータ曰く、

監督の役割は、作曲家にアイデアを与えてくれること…

さて選曲する楽曲も含めスタイルの明快な複数の楽曲が

ひとつの映画の中でどう反応し合うのか?

さらに私の出来ることはなにか?

映画が監督のものである以上、

ちんともかんとも沈魚落雁

雲霧披きて晴天を観るを私は松の実。


さて、私の大好きな青柳くんや阿部くんが

祝二十周年 club dictionaryに出演してくれます。


YES WE CAN!


クラブキングDMfix.jpg

投稿者 moichi : 2008年12月06日 09:05

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