2008年10月13日
チョット・マッテ・クダサイ
奈良在住のトラックメーカー、
エビス・ビーツのセンスにここ数年やられている。

EVISBEATSのjust a momentは、
チョット・マッテ・クダサイ/ゴールデンハーフ
1971年12月1日発売

をサンプリングしているが、
オリジナルはハワイの男性シンガー サム・カプー
第245回 オール・ジャパン・ポップ20
1972年 1月第2週
文化放送での放送日:1972年 1月10日
39 - ちょと待て下さい サム・カプー
ランクされている。

まっすぐな気持ちを音楽にするのは
つくる方はともかく、
聞く方は、時に痛い。
が、私は彼の真っ白な気持ちの爽やかさは
お寺が沢山ある奈良という環境も
それには関係していると睨んでいる…
とかく地方には突っ張る若者が多いが
奈良では、若鹿たちがその役割も担う得意な街だ。
中学の卒業旅行の記憶だからあてにならないが
きっと通常のつっぱりもいると思う…
さらに、あのカンヌを制覇した映画監督、
河瀬直美さんの凛とした佇まいも
二度しかお会いしてないが…
最初は3秒で、二度目は風邪気味な上
あのリリー・フランキーとの対談だったし
しかも住んだことがないのでほんとうのことは
よくは分からないが、
ドッグ嫌〜と呼ばれるマッハの時代とは
別の、大河ドラマのような
悠久の時が奈良には流れているのではないか
と思ったりなんかしている。
で、問題は「ちょっと待ってください。」なのだ。
今朝の毎日新聞 文化欄
「現在を読む」米国金融危機 原田泰
以下引用
愚行権は、人間の自由のもっとも大事なものだ。
なぜなら、ある行動が本当に愚かであるかどうか、
誰にも分からないからだ。
途中略
金融機関の救済でアメリカが失うものは
自由、アメリカの魂だ。
引用終わり
かいつまんで言うと、
もうけたい一心で大風呂敷を敷き、
それで失敗したなら
その責任は自分たちでとれ、
いくらその金額が巨大だからといって
その責任は自分たちでとれ、
今メディアが大騒ぎしているあらゆる問題は
すべて間違いだし、ほっておいても
二三年の不況は仕方がないが
それほど大したことにはならない
だから国が救済することは
未来に大きなつけを残すだけで、
何もいいことはない。
そういえば、その昔、
「悪い奴ほどよく眠る」
なんて映画があったな。
この日本でも個人的にも大きな倒産は
救済され、小さな被害者はまったく救済されない。
私もそのひとり。
これって、つまり、特権階級を守ること
それが政治の本質だったのか?
そう考えれば、お金でがんじがらめに操られている
巨大メディアが、
大変だぁ〜大変だぁ〜
今すぐなんとかしないととんでもないことが起こるぞ〜
は、もうけ損なった奴らの巧みなプロパガンダ
というわけだ。
どんだけ、愚かな私たちなのだ…
かと思えば、
日経ビジネスの「敗軍の将、兵を語る」で、
あの石破 茂氏はこう語る。
政治家として心構えを教えてくれたのは、
ミッチー(故・渡辺美智雄氏、元副総理)先生でした。
「お金が欲しい、『先生、先生、』と呼ばれたい、女にもてたい、勲一等が欲しい、そんな動機で政治家を目指す奴はすぐ帰れ」「いい加減な奴が100人いても世の中は変わらMないけれど、(信念を持つ)確信犯なら20人で世の中変えられるんだ」と。全部聴き終わって「ひえ〜」と感動しました。
それから半世紀。今、総理になって一番したいことは、日米安全保障条約の改定です。現在、日本は米国の庇護下にあります。ただ、最後は米国がなんとかしてくれるという考え方は間違っています。日本に利用価値がなくなれば、米国だって見捨てると覚悟しておかねばなりません。日本は今後はどうやって生きていくのか、日本人が自ら考え、決められるようにする必要があります。そのためにも日米関係を対等なものに改めるべきです。私は、総理大臣になって日本を本当の独立国家にします。
私も全部読み終えて「ひえ〜」と爆○しました。
断定する人を見たらバカと思え
期間限定の思想 内田樹(うちだ・たつる)著
当自比率今や最高の内田さんのお言葉を
勝手に引用させて頂く、
人間というのは「どういう基準で判断しているか分からないことがらについて、きっぱりと断言する人間」に対しては「必ず気後れがする」という心理的な構造に生まれついているからなのだ。
途中略
人間の根本的な弱さというのは、実は「自分の感覚」に基づいては決して断定できない。という点にあるのだよ。
途中略
「断定するというのは、要するに、『他人の言葉』を繰り返すということなんですね」
途中略
「とすると、社会的に非力で、ものを知らない人間ほど、より断定的になる傾向がある、ということになりますね」
みんな、自分の持論のふりして、
実は他人の持論だったのか…

チョットマッテクダサイ
Please Excuse me
While I cry
Seems SAYONARA means Good-Bye
But no one ever told me why
ところで、
今更?、ファンの方には起こられそうだが、
私は最近、大貫妙子さんの存在に感動している。
会えば、こんにちは、の挨拶ぐらいはして頂く関係だが、
何故か
今まで私は大貫さんの音楽や文章に
あまり触れて来なかったようだ。
きっかけは、
トベタ・パジュンから渡された音楽CDだった。
憧れのそして彼のリスペクトする音楽家へのオマージュともいうべき音楽CDで、しかもなんとこの豪華なメンバーとのコラボ作品がすべて彼の個人制作だと聞いて
全部聴き終わって「ひえ〜」と感動しました。
その中に、大貫妙子さんが歌った、
「静かの海」にガツンとやられたのだ。
美しい。な、なんとも染み入る音楽なのだ。
きれいな声というのでは足りない。
言葉にならない音魂が潜んでいるのだ。
古いお寺の誰も気に留めないところに置いてある石の上に生えている美しい苔に魅惑されるような気持ち…
細胞に残された記憶
三日で変化するというが…
そのしっとりとした記憶に
ズバッ!と達人のひと太刀が振り下ろされた。
あの雪だるまを片手切りする瞬間とでも…
そう、大貫妙子さんの連載がすごいのだ。
新潮社 季刊誌 「考える人」
私の暮らし方
第十二回
空蝉の夏
引用
隊長は腰にぶら下げた拳銃を空に向けて一発撃った。
すると蝉はぴたっと鳴き止む、
がそれもつかの間、
また鳴き出す。
引用終わり
美しい映画を見たように
大貫さんの文章を読ませて頂いた。
大切なものがあることを、
忘れないでと…
私の中にもあるもの。
心の奥の方に小さく縮んでうずくまっているがちゃんとある。
大貫さんは、歌っている。呼びかけている。叫んでいる。
力強く、自信に溢れた、
とても、美しい声 で。
…ぜひ、お読みください。切に、切に、
投稿者 moichi : 2008年10月13日 08:49
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