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2008年04月01日

クラブキングおでんくんとリリーフランキー

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1990年代の初頭にブルーフィルムという

プロジェクトがあった。


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当時、脚本家として、いろいろお手伝いいただいた

リリー・フランキーから


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まるで、絵を描くように流麗に書かれた

お手紙をいただいた。

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4月10日発行のdictionary

20TH ANNIVERSARY CELEBRATION
THANK YOU ALL FOR YOUR SUPPORT

二十周年特集に多くの方々に参加いただき

感涙にむせぶ思いです。

二十年前にお会いしたときから

すでに活躍されている方もいれば、

その後に目覚ましく活躍される方もたくさんいてはる。

どちらも、私にはとても眩しいのですが、

とくに後者の方々にお会いするときは、

なんだか恥ずかしくむやみに緊張します。

縁あって、一緒に仕事をさせていただいた方が

手の届かぬ高嶺の花になってしまった。

そんな方と出会えた幸運を素直に喜ぶと同時に

己のふがいなさを自虐することにもなるのです。

感性の違いとえば、それまでだが、

つまり、当時からそうなることが

予測できた方とそうでない方がいるのです。

…目に見えない、触れない 

今までになかったものをコラボレーションから生み出す

たとえようのない脚本のない私の現場では、

どうしても、

表現者に 「おんぶにだっこ」

になってしまう。

私がうまく引く出せる幸運な場合もないわけではないが、

多くは、みなさんの溢れでる才能に

手助けしていただくことになる。

だから恥ずかしいのだ。

当時、その才能に気づかず

現場にその才能を正しく活かせなかったことが

情けないのだ。

未来の才能を見抜けなかった。

本質を見抜く能力が足りなかった。

そんな他力本願の自分が恥ずかしいのだ。

過去の話をしているが、これは現在も進行している話だ。

しかし

そんな眩しいひとたちにも

今回はたくさん参加していただくことができた。

本音を言えば

タイムマシンに乗って当時の皆様に

お詫びしたい心境でもある。

人間はほっとくと傲慢になる生き物だと

しみじみ思う…

だから節目はそんな反省大会ばかりで

実は継続ごときで、祝うどころではないのだ。

とはいえ、寿命がくるまで、

今日を生きなければならない愉快な使命もある。

祝える時が

きっとくると信じて…

幸運な今日を迎えられたことに感謝して…

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その後、リリー・フランキーからこんな手紙が来た。

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クラブキングおでんくんTシャツの撮影の折に、

シングルレコードを録音したと聞いていた。

彼も音楽が大好きなのだ。

それにしても、東京に暮らしているにもかかわらず、

まるで、昔のままの、北九州にくらしているような

素朴な心を失わない佇まいが

リリー・フランキーにはある。

九州男児という概念があるが、

ひとのために愛を貫く。自分の信念を曲げない。

本当に強い男は優しいのだ。

それを、男らしい、男というのだ。

泥臭い。

モダンな東京で、モダンな人たちに囲まれて、

ここまで泥臭い表現ができる男がいる。

感性の違いといってすませるわけにはいかない。

噂では、芝の東京タワーはもうすぐ50年とか…

東京は、

実はそんなにモダンな街ではなかったのではないか…


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投稿者 moichi : 2008年04月01日 08:04

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