2008年04月 アーカイブ
2008年04月20日
そしてまた我々も他者なのだ。

善のネーション応答せよ!!
フリー!ダライ・ラマ
フリー!チベット
フリー・アウンサンスーチー
フリー!BURMA(ビルマ)

昔から、いとうせいこうの
怒った顔が好きだった。
久しぶりに本気で怒っている
本来のロックが、あの瞬間、
復活したといえばいいのか、
パンクが一瞬、蘇ったような
あの頃の気分が
めらめらとフラッシュバックした。
いとうせいこうが激しく沸騰していたのだ
本気になった人間の顔は眩しく素敵だ
噂では、
いまだに、しきたりの残っている東京の下町
あの浅草で、
もうずいぶんながく、
粋な暮らしをしているとか…
あんなに吠えていた男が、
あの いとうせいこう
が、久しぶりに声をからして叫んでいる。
全共闘も三島由紀夫も、その昔叫んだ。
曇り空の、風が吹きすさぶ、年に一度のアースデーに
ゆるゆると集う若者たちは、
彼の本気さに、タジタジ になったのではないか…
いつもライブのようにこれは乗っていいのか?
それとも伝播する怒りを素直にぶちまければいいのか?
怒りはそれだけでアドレナリンが吹き出す。
ここにある怒りの矛先をどこへ向ければいいのか…
煽られて次第に熱くなるオーディエンスの
エネルギーの向かう先が
どこか
空をつかむような
足場のぐらつく工事現場に出くわしたような
行き場を見失ったエネルギーが右往左往しながら
大気中に分散していくといえばいいのか
ステージから連射される明快な意思に主張に
激しくアジるいとうせいこうに、
ゆらぎは、まったくなかった。
こんな本気な男がここにいる。
変わったが変わらない。
もう若くはない、いとうせいこうに、
ひとりから始めればいいんだ。
本当にそう思うのだったら
たった一人で戦えばいい。
そんな、めちゃかっこいいメッセージが
代々木公園に、ここから世界へ
木霊した木霊した木霊した木霊した木霊した…
今日は、楽しんでいいのか?怒っていいのか?
だったら、竹中直人がその昔流行らせてくれたように
笑いながら怒る人、→ 踊りながら怒る人へ、
また、来年もやってくる お祭りアースデー
の気を引く出し物、なんかじゃなかった
いとうせいこうの強い意思を
枯らさず絶やさず
あせらず、あきらめず…
いとうせいこうの本気に私は痺れた。

もう若くない完ちゃんの音も流石だった。
音は昔から買っていた今回初見ライブだったDJ BAKUもね?
腕に自信ありDUB MASTER Xの
DUBで言葉は強く無限に広がっていった。

そうそう、終わった瞬間に、恥を知れ!中国。
と叫ぶ○顔○恥なアナウンスはあの場で忘れていい。
で、同じ穴のむじなの私もこれは買いました。
オーガニックだったらなおうれしかったのですが…

アンダーカバー ビルマ フリー Tシャツ
いとうせいこうさんのブログがきっかけで制作された"FREE BURMA"。ミャンマー軍事政権への憤りを表した"FREE BURMA"のメッセージをフロントにプリント。バックには"WE ARE BUDDHIST"といったミャンマーでデモを行なっている僧侶たちへの熱い応援を綴っています。売り上げの一部を"ビルマ民主の声"に寄付されるそうです。
PS.許可が出れば動画も流したいものです。
& そういえば、こぎれいなホームレス?
もしかしたらホームレスではないのかも、
イギリスで生まれたホームレスを援助するフリー・ペーパー
あのビッグイシューの日本版を同じ場所で
五百円で買った。
おつりは寄付した。たぶん茂木さんの影響かも。
追記
あの場では聞き取れなかったメッセージ(声明文)が
いとうせいこうのブログに張られていたので、
勝手に転載させていただいた。
無抵抗の僧侶を威嚇してはならない
無抵抗の僧侶を殴打してはならない
無抵抗の僧侶を投獄してはならない
無抵抗の僧侶を殺害してはならない
彼らは権力の外にいて、
権力とはまったく別の法にのっとって生きているからである
彼らを威嚇し、殴打し、投獄し、殺害することは「別の法を持つもの」への圧倒的な無理解、圧倒的な暴力であり、つまりは他者の破壊である
そして、我々もまた他者なのだ
無抵抗の我々を威嚇してはならない
無抵抗の我々を殴打してはならない
無抵抗の我々を投獄してはならない
無抵抗の我々を殺害してはならない
我々は権力の外にいて、
権力とはまったく別の法にのっとって生きる自由を常に必ず持つ
我々を威嚇し、殴打し、投獄し、殺害することは「自由を持つもの」への圧倒的な無理解、圧倒的な暴力であり、つまりは他者の破壊である
他者を破壊してはならない
彼らを、そして我々を破壊してはならない
威嚇するな
殴打するな
投獄するな
殺害するな
ミャンマー軍事政権よ
中国政府よ
フリー・アウンサンスーチー
フリー・アウンサンスーチー
フリー・ダライラマ
フリー・ダライラマ
我々もまた彼らである
彼らはまた我々である
話し合いを拒んではならない
なぜなら、話し合うことが唯一、他者と他者をつなぐ道だからだ
他者と他者がつながれなければ、威嚇が始まり、殴打が始まり、投獄が始まり、殺害が始まる
だから対話せよ! 対話せよ!
そして、対話のためにこそ伝え合え!
言論の自由と、報道の自由はこうして、威嚇と殴打と投獄と殺害を防ぐためにある
対話せよと言い、伝え合えと訴えることは、威嚇と殴打と投獄と殺害の目の前に立ちふさがることだ
ミャンマー軍事政権よ
中国政府よ
対話せよ 威嚇するな
対話せよ 殴打するな
対話せよ 投獄するな
対話せよ 殺害するな
対話せよ!
我々もまた彼らである
彼らはまた我々である
2008年04月17日
"Baby Let’s Play House"
ELVIS PRESLEY
"Baby Let’s Play House"
(Spankox Re:Version)
壁にぶち当たったら、振り返ってみることも大事かも。
エルビスがイタリアで流行っているらしい。
予感的中!
来年の春に向けて
間違いなく”ELVIS”は来るでしょう。
と、私はレオに同意を求めた。
物価が高くて庶民が暗いイタリア…、
暗いイタリア人には笑えるが、
時代は増々戦前ムードを醸し出す。
と私は私に同意を求めた。
三木くんもイタリアに行くそうだから
帰ったら暗いイタリア人のことを聞いてみたい。
今日も百合の花はしっかり開いて私の心を和ませてくれる。
花の性器は頗る優しいのだ。それにひきかえ…
と私の言葉は宙に浮かんだ。
そうそう、ローランからの情報。
パンゲアとは、アルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説において、現在の諸大陸が分裂する前にひとつであったときの超大陸の名前(Wikipedia参照).
「Pangea Day」とは世界中で5月10日に行われるイベント. 映像を通じて国境を超えた世界、超大陸を目指しているのだろう...2分半の映像だが、説得力のあるコンセプトに納得.
世界は調和を求めてる。
と私はあなたに同意を求めた。
2008年04月14日
報道ステーションの反逆
坂本龍一さんが主宰のAPのMLでも何度も紹介されている
参議院議員 河野太郎発行メルマガ
「ごまめの歯ぎしり」ブログ版
「報道ステーションの反逆」の回が痛快だ。
参議院議員という責任をとれる立場ではっきりもの言う。
当たり前だが、
それがなければ支持する気持ちは生まれないのだから、
これが政治家としての基本姿勢だと納得した。
河野太郎に一票!
問題は、いまの政治の構造で、
自由民主党の一員としての参議院議員である
河野太郎の主張がどこまで
国政に反映できるのか?だ。
つまり具体的にはここから何が出来るのか?
その辺りの可能性や方法についてまで、
はっきりものをいってくれたら、
痛快から喝采へ、希望へと心が躍るのだが…
もちろん私自身もその辺りのことをもっと勉強しなければ、
有権者のひとりとしてすら発言できない責任も、
当然ともなっている。
有権者になるにも覚悟は必要というわけだ。
つまり社会人になるには、
税金をどうしても払はなければならないと同時に
責任が生まれるんですぜ。
いまさらいうことか?(ーー;
で、こうした本来のジャーナリストの姿勢をもった
テレビ制作者が出てきたことで、
stop rokkashoへの一般の関心が高まることに期待したい。
かるいなぁ〜。
”真剣さが足りない。喝!!”
昨日、もぎけんさんから、茂木健一郎さまから
叱咤激励っていうか、
「頂門の一新」(調べた)を頂戴した。
あっつぅ〜超痛い。
曰く、
日本のチャリティー運動にはビジョンと真剣さが足りない。
「ニューヨークのNPO(アメニティ?聞き取れなかった)で
もぎけんが感じた明快なビジョンと真剣さを引き合いに出し、ガツンと喝を入れられた。」
”いいことをしているひとたち”
が前提にあることで、
私もまた飼い馴らされた思考停止に気づかず
つい賛同してしまう悪い癖習慣慣習風習をもっている。
それを即刻正さなければならないのであります。
このままいくと、邪悪なひとになってしまうのでありんす。
まだ間に合う。はず。
一体いつから俺は魂を売って生きて来たのだぁ〜
あっつぅ〜超痛い2
で、もぎけんは橋本治他を例に出し、
白黒是非是々非々ではない
おねぇ、の、感覚的な主張の明快さに共鳴し
男、女、両方、そのどちらでもない、であっても、
母性はある。
地球(マザーアース)という母性に住む我々は
地球滅亡は間違いで、愚かな人類滅亡の危機に瀕した
いまこそ母性をハッキせよ!
注ぎすぎてコップから溢れる水のようなものが
自らが幸せになってこそ溢れ出るものが
仁愛、博愛、の心ではないか…
ともぎけんさんは云うのであります。

ここで、ピンポ〜ン、
自愛からチャリティーに向かうことを
素直に受け入れなければ
はっきりいえば、
”自分を癒したいから人助けをしているのだ。”
(このセリフ、淡路阪神大震災後の被災現場のボランティアの方々から何度も聞いた。)
あたいの心に欠けたものがあるから行動するのよ。
で行動しなければ…
又は、生活のためという自覚がなければ
拙者の心は邪悪の沼に沈んでいくのであります。
生活の為、生活の為、…
すなわち、母性の重要性こそ、
「母の日」百年記念の日に、語ることだと
今日は締めくくることになって仕舞った。
今日、よかったこと。
いつもほんわかした気持ちにしてくれる
内田也哉子さんと
始祖開祖木鐸のひと 茂木健一郎さんが出会ったこと。

今日のもぎけんさんのお言葉。
独裁者は一見強くみえるが、
ひととしてのエネルギーは弱い。
ps.
坂本さんがAPMLで教えてくれるまで私はこの番組の存在を知らなかった。
詳細を同じAPMLのメンバーの谷崎テトラが探してくれた。
投稿者 moichi : 03:32
2008年04月12日
自己を放擲(ほうてき)した。

まるでアジトのようですね、と云われたこともある。
その昔、寺○修○が住んでいたという。
朽ちた一軒家
そのアジトの一番上にある仕事部屋へ向かう階段を昇る間にも百合の甘い匂いが体に纏わりついてくる。
ほぼ一昨日、新しいディクショナリーが納品された。
うれしさと寝耳に水が吹き出し湧きだす
ぐら〜んぐわーんと揺らぎどよめく冷たい空気の中に
そのたっぷり盛られた豪快な百合は
剥げてめくれ上がったメキシコ製のまあるいテーブルに
どかっと置かれていた。
夢の中に現れるような贅沢なユリが金沢から届いたのだ。
そういえば、匂いに人一倍敏感だった。昔から
…匂いから湧き上がる記憶にときおり溺れることがある。
金沢にある。偶然出会った花屋さんの凛としたご主人が
ディクショナリーの二十周年を祝ってくださったのだ。
三拝九拝 胸が一杯
で、あの黄金週間にあの21世紀美術館で
dictionary20執念記念と区別Tシャツの展覧会をする
予定が決まった。
美術館の新緑緑の芝生でそのイベントは
五月一日から組み立てが始まり、
多分、三日には完成?始まる。
作り始めるところかもうら始まっているが…六日までつづく
しかも秋には、この縁の仲人でもある
茂木健一郎さんとのトークショーも待っている。
さらに、あの「ホープフル・モンスターを探して」の、
金沢での第二回パワーアップ快哉開催も乞うご期待だ。
こうしてセレンディピティーに始まった金沢との縁が
これからいよいよますます花開く満開を願って願って…
ところで注意すべきは、
花とは植物の性器である、という事実だ。(澁澤龍彦)

夏目漱石の「それから」(1909年)には
「代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩(おお)ふ強い香の中に、残りなく自己を放擲(ほうてき)した。」
(14章7節)とある。
四 放擲とは、何も囚われないこと(houteki)
六 放擲とは、放棄を行為すること
八 放擲は、肯定して離れる、遠離
ほうてき[はう―] 0 【放▼擲・▼抛▼擲】
(名)
スル
ほうってしまうこと。うちすてること。
・ 地位も名誉も―して隠棲する
ユリ(百合)は、ユリ目ユリ科のうち主としてユリ属(学名:Lilium)の多年草の総称である。属名のLiliumの語源はケルト語の白い花(Li Lium)といわれるが、ラテン語もしくはそれ以前の古い言語に由来するとも言われている。
オリエンタル・ハイブリッド
ヤマユリ
ヤマユリやカノコユリ、タモトユリなど森林のユリを交配して作られた品種群で日陰を好む。アジアティック・ハイブリッドほど丈夫ではないが、香りのある優雅で華麗な花が魅力である。「カサブランカ」が有名であるが、カサブランカを生み出す交配で主要な役割を果たしたトカラ列島口之島原産のタモトユリは、皮肉なことに自然状態ではほぼ絶滅してしまっている。
幕末にシーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行すると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得した。そしていわば逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行した。
花言葉
ユリ全般:威厳・純潔・無垢
テッポウユリ:あなたは正直・純潔・甘美
オニユリ:愉快・華麗・陽気・富と誇り・賢者
2008年04月09日
ある夜の出来事

気がついたら、消防車に囲まれていた。
その通りは十台近くの消防車で埋め尽くされていた。
身動きができない。
予期せぬ出来事はこうして起こる。
ほんの数十分前には、
私の右となりにSUGIZO
私の左となりにsingo2
stop rokkasho ストップ『ロッカショ』トーク
身動きでない。
SUGIZOは愛を語り、singo2は道徳を語った。
私は、
”ピンポーン!閉館10分前です。お急ぎご退場ください。”
を語った。
大きなテーマを抽象的に語ることに
今までなら疑問を持つこともなかった。
私もそれで気持ちがよかったからだ。
しかし実はそれが思考停止状態に
ほぼ接近しているという認識がなかったのだ。
例えば、音楽家は社会問題を語るときも
その語り口は
まさにその音楽家が生み出す音楽と同じ風合いを醸し出す。
つまり音楽家という立ち位置から
一歩も踏み出してはいない。当然といえばそれまでだが…
もちろん、政治家はどんなときも
私に清き一票を
個人への政党への支持を促す政治家でしかない。
常に目的が先にあるから、結局それを演じてしまう。
目的が語ることとは別のところにあるのだ。
曖昧な記憶だが、ノーベル賞受賞の科学者曰く、
この国の民主主義はいまだに未成熟ではないか、
それは真にものごとを論理的に語ることを
放棄しているからだ。と。
たるくても、ださくても、うざくても、
私たちは語る為の作法から学ばなければならないようだ。
と痛切に痛烈に猛省自虐した夜だった。
2008年04月06日
像と綱引き バナナマン傑作選ライブ

像と綱引きをする勇気を示すことで
恋人や妻へ愛する思いを伝える…
そんな心温まるロマンチックコメディを
ライブのとりに配した
バナナマン傑作選ライブをギロッポンの俳優座でみた。
縁あって、彼らと知り合い、もう十年以上にもなる。
逢う度に違う眼鏡のフレームで個性を演出する日村や

時代の匂いをちゃんと取り入れた
ファッションセンスの設楽も

その頃は、といっても、ほんの数年前のことだが、
売れなくても、稼げなくても
自分たちの笑いをつくろうとする
若々しいエネルギーがいつもまぶしかった。
スネークマンショーが好きで
バナナマンと名付けてくれたそうだが、
もちろん私の笑いのセンスとは別物だ。
それでも自分たちとは違う笑いの世界も、
なんとか分かろうとしてくれる
その爽やかな向上心や心意気に、驚き、感謝し、
もの作りを一緒に出来ることがほんとうに楽しかった。
正直いえば、最初のうちは、かれらの笑いの乗りに
腰が引ける場面も多々あった。
が、911の衝撃で再び笑いに向かった私の心情を
バナナマンのふたりは見事に
無邪気に無意味でかわしてくれた。
コラボレートする醍醐味がそこにはあったのだ。
つまり、お互いにものづくりにハングリーだった。
ということだ。
そして、15年。だそうだ。
いまや、テレビで引っ張りダコになり、
売れて、売れて、金も入り、
いまや飛ぶ鳥を落とす勢い
もう絶好調だ。と思う。
たぶん、このまま増々上昇気流に乗って
イケイケどんどんの時期に入っていくのだろう。
その自信とキャリアが今回の舞台にも
しっかり現れていた。
技巧的にもうまくなり、今までに何度かみたコントが
今回は本当に押しの強い笑いに成長していた。
しかも今回は傑作選ということもあり、
一緒につくったコメディ映像
「荒井博和」も幕間ブリッジに紹介してくれた。
さて、笑いは奥が深いから
微妙な振り加減で天国と地獄を簡単に行き来する。
一ミリでもどこかに不安があれば
天国の門は固く閉ざしたままなのだ。
しかし15年というバナナマンのキャリアは
その不安を見事に払拭していた。
継続できたからこそできるふたりの芸は
小劇場の俳優には決して真似のできないものなのだ。
さてさて、テレビは怖いもので…
俳優座に定期公演を組むようになってからといえばいいのか
今回の俳優座の観客もテレビでファンになった方がたぶん多いのだろう、
ま、箸が転んでも笑ってくれる優しい信者たちだった。
もちろん、二人はそんなことで脇を甘くしたりはしないが…
で、今回のライブの素晴らしさを伝えようと
いつものように楽屋へ向かった。
しかし、彼らの人気は楽屋でも思い知らされることになる。
今までなら気楽に挨拶できたバナナマンの楽屋だったが
今回はとんでもない長蛇の列に変わっていた。
まるで楽屋詣でと呼ぶべき長蛇の列に
神妙に並んで待っていた私の脇を、
あのエレキコミックの やつい いちろう が
ひょいっと、すり抜けていった。
つづいて偶然私の隣に大きな紙袋を平気で抱えて座った
いかにも芸能界チックなちゃらい女たちも、
そんな楽屋詣での長蛇の列をパスしていたから
とうぜん深い関係者だろう…
今更ながら思ったのだが、
芸能界はある意味戦場なのかもしれない。
テレビで売れてるやつが、テレビで生き残っているやつが、
強くて偉いのだ。
テレビという王様に侍づく家来たちなのだ。
売れてなんぼ!
もちろん裸の王様だが。
そんな芸能界の戦場とはまったく無縁の私が、
”よかったよ。”
バナナマンに、そんな思いを伝えたくて
久しぶりに逢いたくて
こうして長蛇の列に並んでいる自分を、
そのとき一瞬、私は俯瞰から眺めた。
なんてことだ。
すっかり私はひからびた死体になっていた。
馬鹿か?
無縁じゃない。無縁である訳がないではないか。
この戦場も、どの戦場も、つまるところ
戦場に変わりはないのだ。
世界平和を願い戦う戦士ならば
どんな戦場とも無縁という認識なんか
ハナからあるわけないではないか。
泣くな、馬鹿。戦え!ひからびた精神よ!!
笑え、馬鹿!
馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!
馬鹿になって笑え!
いまここに必要なものは、馬鹿笑いだ。

私の世界とは違う?
2008年04月05日
「のどに刺さった小骨」その一

自然哲学者であり、概念世界の吟遊詩人
そして、脳科学者 茂木健一郎
「思考の補助線」から引用した
私の勝手な 茂木健一郎 語録
「のどに刺さった小骨」その一
わかったことと、わからないことの、
「割合」は、いつまで経っても同じことである。
不思議という不条理から逃げられないとしたら、
それを思いっきり抱きしめてしまえ。
現代の混迷から抜け出るための道順は
よく考え抜かれた生命哲学の実践の中に
こそ見出される。
世界の進行は力学においてとらえられる。
これは繰り返し確認しておくべきこの世界に関する
基本的真実である。
意識の中に立ち現れる
静止的印象に託された世界の消息を明らかにすることで、
私たちはここから先へと行けるはずなのである。
すべては無根拠であるという
宇宙の不条理を見通す透徹した観点…
本当は生と死の間に不連続など存在しない。
生きているものと死んでいるものは、
等しく宇宙の万有の運動の中でとらえられる。
哲学、思想、社会学、経済学、数学、
あらゆる知のディシプリンにおいて、
不用意に淫すると堕ちてしまう「罠」は至る所にある。
ここでいう「罠」とはつまり、
世界の多様性を
正しく見ることが出来なくなるということである。
とりわけ、「普遍性」の概念を
不用意に立ててしまうことの中に、
人間を怠慢にするトラップが仕掛けられている。
生命の本質は関係性にあるが、
その核にあるものを把握するためには、
逆説的でああるが、
一度私たちの生の有限性を経由しなければならない。
私たちは、思考の自由を得るためには、
どうしても一度自らの生の有限性を
通過しなければならないのだろう。
価値や倫理を最終的には自分で判断し、
決定しなければならないという点において、
私たち現代人は本来すべて
「超人」であるはずだ。
考えることが人間にとって最大の快楽
であるということだけは確信している。
思考の補助線は、
近代の知的探求の方向とは異なる、
未知の空虚に向けて引かれなければならない。
思考の補助線を引き続けることで、
私たちは不思議ということの内実を変えることができる。
知に対する欲望は、
あらゆる人間の欲望の中で最も強烈である。
本居宣長のもとに集まった商人たちは、
「自分たちは散々遊びを尽くしたが、
学問の快楽に勝るものはない」
と目を輝かせたという。
世界という広大な偶有性の海に飛び込むべきであろう。
見逃せないトークショーへのご案内です。
対談:茂木健一郎(脳科学者)× 内田也哉子(文筆家)
・日程:2008 年 4 月 13 日(日)
13:00 ~ 15:30(12:30受付開始)
・会場: 時事通信ホール
(〒 104-8178 東京都中央区銀座 5-15-8)
・参加費:1000 円
対談:茂木健一郎(脳科学者)× 内田也哉子(文筆家)

茂木健一郎さんたちの花見にお邪魔した。
モイチ、モイチ、モイチ、茂一コールで迎えていただくが、
場の雰囲気からは明らかに外れている。
笑顔で場を盛り上げる優しい佐々木さんの心遣いや、
落ちたNHKのイメージアップに多大に貢献している
あのプロフェッショナルのディレクター、
やるな〜本間君のお陰でなんとか置物程度にはなれた。
やれやれ…
しかも、ちょっと、どうかの寒さの中での花見の宴は
茂木さんの教え子である博士号を目指す学生さんたち?
の集いでもある。わたしもわりあい長く生きているが、
目標への意思がしっかり顔に現れている街ではあまり出会わない自信満々ムードを醸し出す若者たちのなかではやはりわたしは透明人間になりたい願望がむくむくだったのだった。
冷える心。冷える花見。うなだれた寒い心に…
なんていっているが実は
昨夜棒広告代理店のテレビプロデューサーとプールBARで
ハッスルし過ぎたただの二日酔いのおっさんやんけだった。
無気力な思考で寒さに耐える置物に
突如熱い炎の女ライダー博士号雀師出現!
このおんな面白すぎるが、長くなるので次回。
で、置物といえば、
みんなから”不思議な生き物”と愛されていた
茂木さんのまぶだち研究者or科学者の存在も強烈だった。

さむいさむいさむいからげろげろに突入するのだが、
この場に居合わせた若者たちは恐ろしいほど優しい。
まったく人間が優れているのだ。
ほんとうに人間らしいのだ。
この一瞬に、私はガツン!ときた。
この花見を主催した茂木健一郎さんの周りには、
あの、佐々木さんの言葉ではないが、
「すべてのひとを受け入れる茂木健一郎さん」
だからこそ、暖かい、人間らしい人間が集っている。

(小倉でも素敵な女性たちに囲まれる茂木さんの人徳図)
茂木さんの精神は、
まさに天才宗教家たちと同じ境地に立っている。
しかもそれを特別なこととさえ茂木さんは思っていない…
しかし私のような凡人は
いつにまにかひとを分けてしまう。
自分のすきなひと、そうでもないひと、排除したいひと、
生きているうちに自然に身についてしまった
このどうしょうもない習性の殻を破るのは
容易なことではない。っていうかまず無理!
そんな凡人にはいばらの道を、
茂木健一郎はひょうひょうと歩く。
私の目線は上がる一方だ。これもアハ〜体験。
”寒いから、そろそろ、二次会カラオケに、いくぞ〜”
百獣の王、ライオンの咆哮!
遠くでその声を聞く私…
さて、そんな暖かい心の茂木健一郎さんの
トークショーがあります。

対談相手は内田也哉子(文筆家)
音楽も、お芝居も、子育ても、もちろん文章も、
みんないい、心のとっても暖かい
私の大好きなややこちゃんです。
ぜひぜひ、お越し下さい。
・日程:2008 年 4 月 13 日(日)
13:00 ~ 15:30(12:30受付開始)
・会場: 時事通信ホール
(〒 104-8178 東京都中央区銀座 5-15-8)
・参加費:1000 円
2008年04月01日
クラブキングおでんくんとリリーフランキー

1990年代の初頭にブルーフィルムという
プロジェクトがあった。

当時、脚本家として、いろいろお手伝いいただいた
リリー・フランキーから

まるで、絵を描くように流麗に書かれた
お手紙をいただいた。

4月10日発行のdictionary
20TH ANNIVERSARY CELEBRATION
THANK YOU ALL FOR YOUR SUPPORT
二十周年特集に多くの方々に参加いただき
感涙にむせぶ思いです。
二十年前にお会いしたときから
すでに活躍されている方もいれば、
その後に目覚ましく活躍される方もたくさんいてはる。
どちらも、私にはとても眩しいのですが、
とくに後者の方々にお会いするときは、
なんだか恥ずかしくむやみに緊張します。
縁あって、一緒に仕事をさせていただいた方が
手の届かぬ高嶺の花になってしまった。
そんな方と出会えた幸運を素直に喜ぶと同時に
己のふがいなさを自虐することにもなるのです。
感性の違いとえば、それまでだが、
つまり、当時からそうなることが
予測できた方とそうでない方がいるのです。
…目に見えない、触れない
今までになかったものをコラボレーションから生み出す
たとえようのない脚本のない私の現場では、
どうしても、
表現者に 「おんぶにだっこ」
になってしまう。
私がうまく引く出せる幸運な場合もないわけではないが、
多くは、みなさんの溢れでる才能に
手助けしていただくことになる。
だから恥ずかしいのだ。
当時、その才能に気づかず
現場にその才能を正しく活かせなかったことが
情けないのだ。
未来の才能を見抜けなかった。
本質を見抜く能力が足りなかった。
そんな他力本願の自分が恥ずかしいのだ。
過去の話をしているが、これは現在も進行している話だ。
しかし
そんな眩しいひとたちにも
今回はたくさん参加していただくことができた。
本音を言えば
タイムマシンに乗って当時の皆様に
お詫びしたい心境でもある。
人間はほっとくと傲慢になる生き物だと
しみじみ思う…
だから節目はそんな反省大会ばかりで
実は継続ごときで、祝うどころではないのだ。
とはいえ、寿命がくるまで、
今日を生きなければならない愉快な使命もある。
祝える時が
きっとくると信じて…
幸運な今日を迎えられたことに感謝して…

その後、リリー・フランキーからこんな手紙が来た。

クラブキングおでんくんTシャツの撮影の折に、
シングルレコードを録音したと聞いていた。
彼も音楽が大好きなのだ。
それにしても、東京に暮らしているにもかかわらず、
まるで、昔のままの、北九州にくらしているような
素朴な心を失わない佇まいが
リリー・フランキーにはある。
九州男児という概念があるが、
ひとのために愛を貫く。自分の信念を曲げない。
本当に強い男は優しいのだ。
それを、男らしい、男というのだ。
泥臭い。
モダンな東京で、モダンな人たちに囲まれて、
ここまで泥臭い表現ができる男がいる。
感性の違いといってすませるわけにはいかない。
噂では、芝の東京タワーはもうすぐ50年とか…
東京は、
実はそんなにモダンな街ではなかったのではないか…

