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2008年01月 アーカイブ


2008年01月19日

 新番組 「くどく」

hibearbyebear:kudoku.jpg


http://ffffound.com/image/6abf625e4f3ed09e885777272035702122ffc5e8

「くどく」とは、

ひとが楽しく生きる為の九つの毒のことであり、

それに耐える孤独のことでもある。

しかも、相手をオルグする、つまり、

甘い言葉や、恐い言葉で、説き伏せる、

ごねる、ぼやく、泣き落とす、言い籠める、

その他、あれやこれやのあらゆる方法で

自分の思い通りに欲しい相手をコマすことの総称でもある。

さて、そんな手練手管の、遣り口、手口、仁術、

の四十八手を、とくと、ご覧頂く

危ういドラマの企画が

こうして書きながら決まりました。

そう、私たち(comedyclubkin)がお見せするのは、

そのものずばり、

「○○○をくどく」

ドキュメント風シネマ風それなりの映像です。

来る、連続ドラマ「くどく」

間もなく制作開始です。

で、ご覧頂けるのは、ご存知、podcast!

不思議なことに、最近は多いときで、

一日に六千七百ものダウンロードがあります。

もちろん、タダで見れるからといって、
この全員が
聞いたり見たりしている訳ではないでしょうが
思ったより沢山の方々に関心をもって頂けるのなら
もっと面白いものつくらなくてはね、っと
やる気モードです。

[MEDIA CLUB KING]

http://www.clubking.com/news/

COMEDY CLUB KING にて自由放送します、、

乞うご期待。

といっても、HAYAKUTE,春かな〜。

因に、
可愛い奇麗美しい怪しい魔界の女性の出演者はもとより、
言葉の巧みな趣顔系男性の出演者を求めております。
それが無理でも映像制作に参加したい現場に痛い方々には
まずは気の利く、でなければ、技術のある
若者系スタッフなら参加を、
若くなくても協力を資金援助を求めています。

連絡はメイルで写真付き履歴書を送ってくだされませ。

メイルアドレスは9moichi@gmail.com

ものづくりはひとだから…
愛、愛、愛、エゴ、エゴ、エゴ、笑い、笑い、笑い…

投稿者 moichi : 08:37 | トラックバック


2008年01月16日

明日のことだけ考える

izumi mino.jpg

7~8年ぶりに福岡の友人にあった。

泉栄一君は、人気ブランド・MINOTAUR(ミノトール)のオーナーだ。

MINOTAUR


1999年に始めたVIDEO DICTIONARYの創刊時になんどか福岡へ取材へ行き、なんどもインタビューをさせて頂いた。

今も当時も、彼はDJでイベントのオーガナイザーでもある。
昨日も、当たり前のように、DJイベントが自分の仕事の原動力だと語ってくれた。

やむにやまれずすきだからつづけている。
音楽をつくり続けたいとも。

もうすぐ幼稚園にいく息子さんもいて
とても幸せそうだった。

生きようとするイメージがぶれない人はみんな清々しい。

で、久しぶりに会ったのも、
今年はDICTIONARYが20周年を迎えたので、
改めてTシャツを色々な方々とつくっていこうと思っているからだ。もちろん、オーガニックコットンで。

もうこの頃はわざわざ
Tシャツはメディアだ。
なんて説明するすることもなくなった。
分かりやすく言うと、
ポスターやフライヤーやカードと同じく、
印刷物のメディアの一アイテムになっているのだから。
メッセージを伝えたいかどうかは別にして、
いつのまにか印刷メディアとしてちゃんと浸透している。

が、泉君はファッションのひとなので、
そこに、着る洋服としての楽しさや喜びを縫い込んでいく
つまりボタン一つ、がとても大切なことだと
改めてファッションの魅力を教えられた。

ということは、

たかがTシャツされどTシャツ。
最初はエイズの啓蒙を促す為の寄付金集めの道具だったTシャツが、クラブ・ファッションと呼ばれ、日本にはアート生活に取り入れる習慣がないから…Tシャツは着るアートなんだよ。の役割りを担い、いつのまにかクラブキングは二十年もTシャツをつくってきた。

で、数ヶ月前、二十年前の黄色く変色したタブロイド版の頃のDICTIONARYの表紙をTシャツにプリントしたものを目の当たりにした時だ。

なんだか味があるなぁ〜
紙は変色していくんだなぁ〜
そうしてなにもかもが朽ちていくのをちゃんと見届けなければいけないなぁ〜まだ死ぬわけにはいかないなぁ〜…

前にも増して本気で限りないTシャツの魅力を突き詰めていきたいと、その瞬間思った。

これを着たい。そんな瞬間がいい。

良い曲を聞いて、これを流したい。まさに同じ気持ち。


ohori.jpg

夜。俳優の大堀こういちと会った。

二人の好きな「いちのや」だ。かんぺきにうまい。
あれを食べにいこう。これが以外と難しい。よね。
で、私は車で酒はなし。お陰で、
酒の勢いで話さなくて良かったかも。
といって仕事ぽくなりすぎるのも
それはそれで居心地はぬるい
相手を分かる自分も分かる当たり前のコミニケーション
が案外難しい
みえないものをみようとしているからかもね
で、とにもかくにも
毎日5〜6000人(最近すごい)の人が
見に来てくれているダウンロードしてくれている
メディアクラブキング「podcast」

MEDIACLUBKING

をがんばって放送してきたのだから
折角の自由放送なんだから
ここは気合いを入れてもう勝手気ままに
楽しもうという企て。
ことしのcomedy・clubkingは楽しくなりそうだ。
もちろん、フォークデュオ「羊」も
もっと活躍して欲しいしね。
そんなうれしいきぶんだが、
どうみても始まりは3月中旬以降になりそうだ。
人気俳優のスケジュールはいつもみえないのだ。
が、みえないものをみる みえないものをみたい 
そのきもち
これをたのしまなきゃ始まらない。し。

それにしても茂木健一郎さんのプロフェッショナル
坂東玉三郎さんの動きはため息がでるほど美しかった。

遠くのことを考えるより
明日のことだけ考える

痺れるセリフだった。

一番難しい生き方だ。だから美しい。

さらに、上を、上を、だから、だから、美しい。

さて…

まずは、今日を(流さないで)生きよう。せめて。

投稿者 moichi : 04:08 | トラックバック


2008年01月14日

ゆれる

yureru.jpg


「ゆれる」

西川美和 脚本 監督 

すばらしい映画だった。
日本映画の素晴らしさを見過ごしていた。
恥ずかしい限りだ。

まず、映像がきれいだった。

構図に無駄がなかった。

カット割にも不自然さを感じなかった。

編集とカメラと照明がとても優れていたのだろう。

もちろん、脚本も演出も。息を呑む出来映えだった。

欲を言えば、エンディングにスパッと始まる歌だけは、
もうちょっと、待って欲しかった。

この映画の余韻をもう少し楽しませて欲しかった。な。

で、テレビがつくる、漫画を原作につくる、

ともにマーケティングに媚を売る

が、そんな映画ばかりではない

世界へ視点を向けた
世界基準の映画
そんな志のある日本映画をいつのまにか見落としていた。

これまでの日本映画への先入観もいけなかった。
自分で確かめなきゃね。
音楽ならレコード屋を廻るのにね。

結局、一番の原因は、このところ、といっても、ここ数年、

ゆっくり映画を見る気持ちもなかったんだな。

それまでは映画館に行ってたもんな…

こうして、いつのまにか頭が固くなり、
時代を忘れていくのだろうか。

首が回らないと頭も回らなくなる
悪循環なんだな血の巡りを良くするには
愚痴を止めてもっとフットワークを軽く…
まずは動け動け!

そてにしてもこの映画はキャスティングも優れていて、
俳優はみんなよかった…

なかでも

田口トモロウの演技は今まで見た中で最高だっただな。

オダギリジョーの涙もよかった。やるときゃやるんだ。

本気にさせる現場なんだろう…

で、改めて感じることは

良い映画には独特の雰囲気が流れている。

これはすごいかも?
きっと良い映画になりそうだと
俳優たちが、感じて、分かって、芝居している
というか…お互いのバイブレーションが
お互いを高め合う刺激的で魅惑的な緊張感
良いものが生まれるときは
きっとみんなも分かるだろうからね。
ま、批評するのは簡単で勝手だが、
ひとがつくるものだから
それが正直に画面に現れるのだろう…
ほんと、久しぶりに、日本の良い映画を見た。

うちのめされた。

押忍!

tsubomi.jpg

投稿者 moichi : 16:53


2008年01月13日

BORATはali-Gだった。

borat-wallpapers-07.jpg

Borat


うわさのボラット「BORAT」とを
ようやくレンタルDVDで見た。

超右翼の集結するロデオ大会の開会式で
この映画の主人公のBORATが
アメリカ国家の節回しで自国カザフスタンのデタラメ国家を
さも朗々と歌うシーンに痺れた。

まるでこれはどっきりカメラか?と思わせる
超絶手法で、まったく見事な仕上がりに舌を巻いた。

だって本気でセットなら莫大な予算がかかるでしょう。

しかし、まさかね…

だから、これが日本映画には絶対出来ないところなんだ。

つまり誰が見ても、これはヤバイ!という瞬間を

切り取らなければ真のコメディは生まれない。

わかってるんだけどね…

とにもかくにも、この映画のすごいところは、

一見、へりくだって、安っぽくみせて、

どうしようもないB級ドタバタコメディに見せながら、

油断した相手の隙をところかまわず繰り替えし繰り返し
ぐいぐい差し込んで痛いところをグリグリつっついて
ヤバイところへドカドカ突っ込んでいく

この視点と手法が

そこだ。そこだ。と分かっていても

やっぱり臭面白いコメディを生み出すことになるのだ。

それにしても、糞くやしい出来映えだ。

で、この骨太の精神は柔な脳みそからは生まれない。

強靭なインテリジェンスがなければ

破壊的なコメディー制作者にはなれない所以が

この作品が証明している。命がけとも言うかも…

首占めてますよ…

さて、人類史上かつてない馬鹿殿

ブッシュ大統領をお飾りにしてしまった

あのまったく迷惑な巨人アメリカを笑うために、

覆すことさえ諦めた常識を破壊する為に、

蟻のような小国カザフスタンに糞扮して、隠れ蓑にして、

それにしても、その国はどこだ?

頭の超切れるBORATは
大バカの振りしたカザフスタンのテレビレポーターに扮して異文化のズレをエキスキューズをワ・タ・シ・シリマセン、
お大臣様どうか教えてください を
最新兵器の武器にして
日常を、常識を、信じることを、絶対を、
そのすべを見事に破壊し尽くす。

それはまるでアメリカの戦争のやり方を猿真似し追従し

そのまま笑いでコメディで映画という手法で
完璧になぞっているようだ。

しかも、イマッっぽい。そうこれが大事。

それが笑いのすべてを決める。
笑いのセンスと言っても良い、

これがなければなければその笑いは死んでいるとか…

なおかつ、ここまでやらなければ、もうYOUTUBEにも

勝てないという激しさ。日本人くん?ぼくどうする?

borat.jpg


さて、その昔、ピーターセラーズ扮するインド人が

アメリカの上流社会のパーティーに忍び込み

この作品とおなじく、異文化のズレを

ドタバタコメディとして描き

シャレたコメディ作品に仕立てたが、

きっといま見るとソフト過ぎて手ぬるいだろうな。

多分。でも音楽がエレガントな

ヘンリー・マンシーニだからな〜

で、笑いにも普遍はあるが、

今を感じる視覚触覚が優れていないと

寒い結果に終わってしまうという恐怖な事実がある。

繰り返してない?首締めてない?

つまり制作者に破壊力が求められている。

しかも映画はひとりではつくれないから…。

まさに文化の質が問われている。

うん?これ誰に説明してるの?

製作に関与するすべてのスタッフに

その技量とセンスを求められている。

もちろん、打てば響く観客が不毛では詮無いが。

そのどちらもここは怪しいが…。でも、

もう泣かないことに決めたのだ。

日本を受け入れるというか…ね。

なんのことやら…

とにもかくにも音楽にセンスがないと

どんなドタバタも耐えられないよね。
これだけは譲れない。

このBoratも真夜中のカーボーイ(Midnight Cowboy)

の主題歌などを巧みに使ってなかなか泣かせていたもんね。

ところどころ私の持ってる民族音楽が
聞こえてきて、ふふふ、と親近感を感じたしね。

そう選曲はさりげなくボディーブローに効いてくるのよ。


ali_borat.jpg


やっぱりそうか、「Borat」は「Ali-G」だったのか。

ヒップホップ文化をスマートに苔にして笑いをとっていていて

偶然の拾い物だったあの映画「ALIーG」

あのコメディの主役がやっぱりBoratだった。

結局、このレベルの俳優がいなければ

どんなコメディもつくれない。

同じ顔した俳優の出る日本とは全く別のレベルという意味。

で、今年の抱負はコメディをつくること。

うん?毎年思ってない?るが…

だから個人ムービーでも個人ラジオでもいい。

出来ることから始めてみようとかいうから…。

そうそう、休み明けに、

あの大好きな俳優、大堀こういちと

会食の予定が決まっているではないか。なんちゃんて。

そういえば、高崎くん、どうしてるかなぁ〜

投稿者 moichi : 15:03


2008年01月10日

海馬20に乗る その一

dictionary 003 1988/10

勢いよく刊行された第3号。Love & Peaceがテーマ。

この号が出た同じ月、J-WAVEが開局。

dic03cover.jpg

もう二十年前になるのか、

今朝は景山さんとのインタビューを読んでいるうちになんだかじわっときて…

その昔景山さんがマガジンハウス系の雑誌で連載していた

スタイルのある、ライティング(面白いお話)に憧れていた。

16歳で東京に住み始めた私には東京のモダンなひとの代表でもあった…

その頃は、もう働いていたが高校生だったから…

気後れして、直接話したことは一度もなかったが、

…朝までやっていた霞町の店によく遊びにきていたから…

親近感もあったのかもしれない。それから十年以上の後に

始めたピテカンには、ほんとうによく遊びに来てくれた。

いろいろな意味でとても素敵なひとだった。

なんせ、消防車を自家用車にするひとだから…

時代もよかったのかな。まだ社会が絶望してなかった…

経済は無限に成長するんだという漠然とした高揚感が

漫然とした希望を感じていた…それも若さ故か。

あのころもいまも変わらないのは、どこか自信のなさだ…

景山さんはどうだったのだろう…

今度幸宏に話を聞いてみよう。

インタビューでは景山さんは大切なことを沢山話してくれている。

大切なことはいつまでも過去のことにはならない。

いつだって今日の話しだ。

つづく。

ここで、勢い良く、というコピーは、

始めて選曲家(DJ)が拳を天に突き立てた頃 だったからかな。


ckrogo20.jpg


今年も感謝!

投稿者 moichi : 08:20


2008年01月05日

続 初夢はなかった。

2008Tosca.jpg

少しお待ち頂くことになります。

お聞かせするのは蓄音機で鳴る音楽です。

Tosca/Puccini/Baccarat Crystal

映像編集はiMovie/デジタルカメラXactiHD 

by moichi

投稿者 moichi : 16:33


2008年01月04日

忘れないでください.

2008.jpg

茂一さん、よいを年を.今年もこれから健康でいて日本でユーモアやエスプリを持つのは毎日の戦いだと思いますが、そのセンスを大切にして忘れないでください.今年こそどこかで会って直接会えると期待しています.

Laurent Anzai Momy


パリに住む友人のローランから年賀メイルが届いた。

いつものことだが、頑固な反逆者で、とてもセンスがいい。

だから当然なんだが、

彼のブログの視線は、まさにローランそのもので、

他ではみることのできないオリジナリティーに

私はいつも感心させられる。

いつ更新するかわからないところも自然でいい。

で、彼はどこに住んでいようと、

世界を見る目のシャープさは変わらないと思うが、

日本に住んでいたのでは到底感じることの出来ない

グローバルな視点というものが、

あのパリの街には存在しているのではないかと思う。

もちろん、なんとなくだが…

そうした世界の中の”パリ”と比べると

一見、”東京”も世界都市風なんだが、

この正月の街のように実は閑散としていて

え〜、ひとはものすごく溢れているにもかかわらず、

よ〜く目こらしてみると時間と共に人々がどんどん消え始めているような街…

とてつもない数のひとはいるが、実は存在していない。っていうか。

”空っぽの街” そんな風に私にはみえる。

この数年前から私がからっぽの空間に惹かれているのは

もしかしたら、そのせいかもしれない…

そう、どこかこの国は世界への門を閉ざしているように感じるンです私。

答えはものすごく複雑だが、私なりにひとつ上げれば、

それは勤勉さと規律を重んじる国民性故に、

この恐ろしいほどの情報の一元化に対しても

ノン!と叫ばないからではないかと思う。

しかし、そのノンを封じ込めたら、

いつしかひとの生きる命の豊かさは奪われ

もちろん真の笑いも封印されていくことになってるよね…もう。

もちろん、パリは、フランスは民衆が革命を起こして自分たちで手に入れた

自分たちの国「共和国」だという誇りがあることも大きいだろが…

うん?話しが蛇行している?

つまり、世界市民とか地球市民とかの時代を

もし私たちが受け入れるならば…

ま、おとそはこのぐらいにして、ともかく、

私の孤独は今年も深く重い。が、

決してそれを止めるつもりはないっす。nice!って

こうしてパリに住む友人が勇気づけてくれるしね。

ありがとう。ローラン。

そうそう、ローランがdictionaryの百号に

命について…大切な言葉を寄稿してくれている。

ぜひ。


ふつう

投稿者 moichi : 17:40


2008年01月02日

初夢はなかった。

m2008.jpg

明けましておめでとうございます。

東京のお正月は、空も晴れ、空気も爽やかです。

初夢は残念ながら覚えていません。

一富士(ふじ)、二鷹(たか)、三茄子(なすび)

それにしても、なすびとは、江戸時代はなすびは高価な食材だったのでしょうか?

さて、さて、パソコンの前には正月が溢れているが、

私の部屋からの目線はいつもと変わらぬ風景があるだけです。

読み始めたプルーストの漫画にこんな印象的なシーンがある。

主人公が紅茶に浸したマドレーヌを口に入れ、

そこから沸き上がる想像の世界への描写だ。


”私の求める真実は、確かに、味ではなく、私のなかにある。

私のなかで目覚めたのだ…”

途中略

…日本人が水を入れた瀬戸物の鉢に
小さな紙切れをひたす遊びと同じだ。
紙切れは、最初は形が分からないが、
水につかるとすぐに、
広がり、よじれ、色づき、
それぞれに分かれて、
手ごたえのある、まぎれもない、
花や、家や、人になる。

それと同じく、いま、うちの庭や
スワン氏の庭園のすべての花、ヴィヴォーヌ川の睡蓮、
善良な村人と彼らの小さな家、教会、
そしてコンプレー全体とその周辺、
それらがしっかりと形をとって、
町も、庭も、すべてが、
私の一杯のお茶から出てきたのだ。

 マルセル・プルースト作

ステファヌ・ウエ 翻案・画 中条省平 翻訳・解説

 失われた時を求めて フランスコミック版

第一巻 コンブレー(「スワン家の方へ」第一部)

一部を勝手に引用させていただいた。

小説でも映画でもない漫画にしか描けない世界が私は昔から好きだ。

もっと今年は漫画を見るか。

で、いつになく今年の正月は内省的だ。もしかしたらメランコリー?

生きていることを実感するためだけに

なにかを考えなければならない時間とでもいえばいいのか…

とても居心地がわるい。

たとえば、元気な時には、心臓があることを忘れているように…

生きていることを忘れている時はきっと幸福な時だ。とも。

ゴールのないトラックを追い立てられるように、やみくもに生きている日々と、

こうして社会が暫く立ち止まっている時間…

とても不安だが、貴重な時間だとはもちろんわかっている。

しかもゴールはないのではなく、しっかりとみようとしなければ、

それはみえてこないということも、だ。

忘れている方が楽だよ!と社会は魔の手を伸ばしてくるから

ゴールはいつまでも先延ばしになる。とかもね。

というわけで、正月はそのことを静かに考える時間に…

目の前に沸き上がる正月という時間のスイッチを切る勇気があればだが…

めくるめく、めくるくるくる、カレンダー 


sugiyama2008.jpg


古くからの友人からの年賀状が届く。

偶有性とか、セレディピティーとか

使い慣れない言葉を使おうとすると心が骨折するからやめとくが、

人生には自分を守ってくれる守護神がいる。天使と言ってもいい。

しかし、その幸運に出会うには、日々をしっかり生きるしかない。

誰、にも、なに、にも、決してすがることはできない。

問題はいつも自分の中にあるのだから。

さて、久しぶりに蓄音機でも回すか…

Toscca^2.jpg

正月に〜坊主がふたり歩いていて…

和尚が2には、やっぱり、この曲だ。

Tosca2008.jpg

音と映像は後日。

投稿者 moichi : 11:54


2008年01月01日

謹賀新年

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投稿者 moichi : 17:29