2007年09月29日
ニュータウン入り口 作・宮沢章夫

宮沢章夫の芝居をみた。
長い芝居をみていたはずなのに、
気がついたら
いつのまにか美しい映画を見終わったような
時間と空間と思考のズレにまんまとハマった。
しかもそれはとても
かっこいい
ことだった。
スクリーンに現れる限定されたイメージが観客を支配しない膝間づかせない…
つまり送り手のイメージに観客が囚われることなく、
観客自身が自由に想像力を解き放ち
そのひとりひとりの想像力が目の前に映し出される映像に加味されることで
いつのまにか観客自身が主体となって
そこにしかなかった時間と作品が生まれること
そんな映画(映像表現)がつくれたらといつも思う…
ここにはそれがある
時代は暴力的にすべての意味を明快にさせたがるが、
分かりやすさを優先させ過ぎると大切なものを失うのではないか
主人と奴隷
女性たちがリードする日本の脆弱で経済中心主義の文化シーンでは
ソフトなマゾが流行なのかもしれない。
みんな鞭で打たれたいのだ。でも痛いのは嫌よ!
たぶん、主体を放棄したいのだ。
…もしかしたら、それほどまでに社会はみんなの知らないうちに
ファシズム化しているのかも知れない。
夢を持つなんて、本当の自由を求めるなんて、こんな社会で誰が、
どんだけ?
使い方が違うかも知れない

それにしても宮沢章夫は、いい顔してたな。
満足している男の顔は誰もがハンサムだ。
満足=煙草を深く吸う男
○ットでもやっぱりいまだに男はそうなのか
それにしても、くりかえし、前にも書いたが、よけいな詮索だが、
いつみても女優のように美しい宮沢章夫のパートナーの存在は存在は存在は
ず〜と昔から私には謎で、人類はまだまだ知らないことが多すぎると
ぼんやりと示唆してくれるくれてるぐれてやる

で、とてもいい気分で
世田谷線に乗り
最近割とよくいくsasayaで
ひとり
食事をした
隣でワインを冷却装置付きデカンタで飲んでいたふたりのサラリーマンの会話が恐かった
やんわりお互いがお互いを非難し合っているのだ。
ゲイの喧嘩にもみえなくはない。
病んでいるぞこの社会は働けば好きなだけ酒が飲めるのも今のうちかも知れない…
小雨の中をそんなことを考えながら歩いた歩いた歩いたあるかいだ

いい話し。
休刊中のMacPowerの高橋編集長もやはり宮沢ファンでこの芝居もプロセスから追いかけているようだ。そこがセンスがいい。
しかもしきたりやたてまえやあれやこれやで本を作らないところも尊敬している
時代を真っ直ぐみている姿勢がほんとうにかっこいい。
復刊は間違いないだろう。
廃刊は時代が許さないさ。
高橋くんもいい顔してたな。
顔は正直だ。
鏡は見ない。
投稿者 kuwaharamoichi : 2007年09月29日 06:38
