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2007年06月24日

浅草の夜だった

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無防備な後ろ姿に惹かれるのは
ついかっこつけたがる私の性質の裏返しだ
いつも憧れのひとのまえにでると
貧しい生い立ちを取り繕ってすましている風呂敷がするすると滑り落ちていく
いくつになってもその頃の自分に戻ってしまうのだ
あがきながらも生きてしまうことで
いつのまにか身についてしまう開き直る術を
覚えてしまう前の弱い動物に戻るのだ
こうやって息を切らしながら前に進んでいたはずの自分が
あの頃から一ミリも動いていないことに気づき赤面する

もう私には故郷はないが
あそこが私の故郷になっている


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生きることに動じないひとは美しい


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これはホノカアボーイを読んで浮かんだことだが
ひとは誰かに100%の愛情を注ぐことができれば
いつまでも届かない”永遠”を求めることを止めるのではないか

死ぬ程愛しているといっていながらどこかの片隅に
自分だけの為の愛情を少しだけ残してしまうと
目に見えないはずの”みたらないもの”が勝手に増殖を始める
その”みたらないものお化け”は
いつのまにか恋愛も家族愛をも自分への愛にすり替へてしまう
そのことに気づかない”永遠”を求める巡礼者たちは
決して手に入らない”永遠”をいつまでも求めつづけることになる

ところが、ほんの稀に 奇跡が起こったように
濁りのない100%の愛を受けたひとは
また同じように誰かに100%の愛を与えることができるのだと思う

ならばこのいつまでも届かないみたない連鎖を断ち切り
100%の愛を与える勇気に飛び込むことで
いつしか私にも100%の愛がうまれるかもと…

美しい父と息子の存在に生きる摂理を覚えた

幸福な 浅草の夜だった

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投稿者 moichi : 2007年06月24日 09:01