ニューヨークで感じたafter311 Yuri Shimojo Special interview

311をニューヨークから見つめて
- 311のニュースを耳にして、一番最初に何を思いましたか?
家族どころか、今度は‘ふるさと=自分の国’がなくなってしまうんじゃないかと思いました。
-311があなたの作品に与えた影響はありますか?
911の後に『Peace of Shit』 という反戦・環境問題をテーマにした作品を発表しました。世界中で今も人気があり、いろいろな形で広まっています。アートが確実に意識革命に貢献できるという自信を持ちました。でも、911の後のアメリカ政府&メディア・アメリカ人の反応と、311の後の日本政府&メディア・日本人の反応を比べて思うことがあります。プロパガンダの戦略が、国民性の違いから、ある意味真逆に思えるんです。アメリカは恐怖感と緊張感をあおって、日本は大丈夫感と出る杭は打つ感をあおる。だから革命を起こすにも、戦闘的な正義感で団結っぽく盛り上がるアメリカ人と、沈着冷静に癒し助け合いながらの日本人という風に趣の違いがあると思うんです。アメリカ人はプロテスト好きだけど日本人はリサーチ好き、みたいな。
NYに拠点を移すʼ97年以前のわたしは、日本でイラストレーターをしていました。イラストレーターというのは、主にマスメディアに向けて視覚的に商品や情報を売るお手伝いをするわけで、大袈裟に言えば社会に向けて戦略みたいなものを意識して絵を描くんです。少なくともわたしはそういう部分マジメにやってたんですヨ(笑)。そんなことを考えながら、じゃあ今の自分は絵というユニバーサルな伝達方法で、なにか日本の社会に伝えられないかな、というところにふと立ち還ったのです。
「イラストレーター・下條ユリ」時代、家族の死や別れをたくさん経験したある日、わたしは「じぶんのため」に描きたいと思う人生の岐路に立ち、日本を離れてからは自分を探求するための自己表現として描いてきました。でも、震災後に動物や自然たちと対話すればするほど、「わたしたちの叫びを描いて伝えてくれ」の声が聞こえてくるし、日本の現実を知れば知るほど、これほど「だれかのため」に絵を描かなきゃ、と思えたことがありませんでした。まあ結局はそれも自分のためなのですけどね。というわけで、311後、‘宝の持ち腐れ’と化していた(笑)自分のイラストレーション・スキルをtoolにして、具体的な目的を果たすための絵、物語を伝える絵を描いたわけです。でもそれは現実という物語。そういう意味で言えば、311があったからこそ今、自分が伝えたい事を描きたい、と。それもその絵を見ながら子どもと大人が一緒に会話ができる役にたてたら、そう願ってあの絵が産まれました。
-ご自身の中で、作風が変わったと感じたことはありますか?
いつも変わっていく中で、自分の普遍性を探るのが最近楽しくなってきました。
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