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dictionary139号
中村 ヒロキ(visvim ディレクター)インタビュー (11/02/16)



中村ヒロキ× Blaise Mautin( パフューマー)


「“ISIPCA”、“OSMOTHEQUE DE VERSAILLES” で数年にわたり製法を習得、
現在はフレグランスデザイナーとしては稀少なフリーランスで活動する
フランスで最も有望なパフューマーの一人。
PARK HYATT PARIS VENDOMEを始め世界各地にクライアントを持っています。」
中村ヒロキ(visvim ディレクター)


Photo by Chikashi Suzuki
nakamura.JPG




インタビュー#1
中村ヒロキ(visvim ディレクター)
聞き手:桑原茂一


メーカーで学んだ基礎的なことが、その後の成長に繋がった



中村 最初は靴を作る時に、オーセンティックなプロダクトは
どうやったらできるかとよく考えていました。その当時、東京
発の洋服のブランドは数多くあったので、僕は何かギア的な要
素だったり、ファンクションだったりというもので、いわゆる
見た目やデザインではないところで奥行きが出せるもので始め
たいと考えました。僕はたまたまアメリカの会社で仕事をさせ
て頂いていて、結構海外に行くことがあったんです。最初、社
内ベンチャーだったので、スタッフは3 人で始めました。「ど
ういうのを作ったらいい?」という話から、「工場行って検品し
てきて」という話まで。そういう意味では、いい経験をさせて
もらって。メーカーのベーシックというか基礎の部分を、そこ
でかなり色々勉強させてもらいました。場所はスノーボードの
ベンチャー企業です。だから逆に僕が自分でブランドを始める
時は、「どういう工場からスタートしようかな」というところか
ら始めました。最初は失敗が多かったですけど。本当結構、辛
かったですね。なかなか思うようにできなくて。ただ、工程か
ら目を離したら変になってしまうと思い、工場にずっといまし
た。生産ラインに革が来るじゃないですか、裁断から始まって
パーツが全部届いてアセンブルするまで全部見ておかないと心
配だったので、ずっと見ていたんです。
― 行程を見るという責任は、自分が作りたいというプロダクト
ができないと困るという物作りへの欲求が基本的にはあったと
思うけど、お金のリスクはあったの?
中村 ありましたね。けれど、もともと最初からそんなに大き
なお金ではありませんでした。ただお客様にはもう約束してい
るんですね、「こういうものを作ります」とサンプルをお見せし
ているんです。例えば当時、EVA1 のインジェクション系のソー
ルと、革オイルコーティング、もしくはオイルドのレザーを合
体させてというのは、もともとない物だったんですね。そうし
た、ない物を工場の人に作ってもらうというのは、まず嫌がら
れます。それをどう説明して、その人たちに頼むか?「これは
金の卵だから、やるしかない。やってくれ」と。それで、自分
も経験がないから、モカシンなんかに使うオイルが入ったレザー
は、取れやすいんですね。接着剤が付かないんですよ、オイル
が入っているから。そういうことも、経験がないからわからな
くて。もちろん、やっているうちにわかってきましたが。それ
は、工場のラインに立ちながら、全然帰ってこられないんです
ね。韓国の釜山の工場に行ったきり、1 カ月半とか2 カ月帰っ
てこられないとか、普通にありましたね。でも、目を離すと精
度の低い商品を箱に詰められてしまって送られたら困るので、
朝一で工場に行って検品しました。「それダメでしょ、引いて引
いて」って。僕が行くと半分以上引いちゃうんですよ。すると、
向こうは工場だから、納得いかない商品は他へ流そうとするん
です。だから欠陥品は全部自分でハサミを入れて、それが10 年
ぐらい前の29 歳の時です。最初のオーダーは、当時やっぱり原
宿のムーブメントというのもありましたし、スニーカーのブー
ムもあったので、結構多かったと思います。一型で1500 ペア
とか。ただ、半分ぐらいしか納品できなかったですね。自分た
ちの倉庫もないから、実家の母親が食品関係の仕事をしていた
関係で倉庫を紹介してもらったんですけど、隣が冷蔵庫だった
んです(笑)。すごく寒くて。ベストな状態の商品を出したいので、
右の色と左の色をきちんと合わせていましたね、一個一個全部。
今だから言えますけど。


若い人たちが物に興味がないというのは、
若い人たちのせいじゃなくて、
作っている人の責任だと思います。



中村 最初の頃は、手探りじゃないですけど、いわゆるマーケッ
トが今まで作られていない物は、なかなか難しいと自分でもわ
かっていました。あまり日本でそうしたメーカーがなかったの
で、それで一つの物にギューっとフォーカスしていくと、オー
センティックな物になっていくんじゃないかなと仮定して、僕
は「履きやすさ」にこだわろうと思いました。軽さにこだわろ
うとか、履いていて疲れないところにこだわろうとか。「良い物
ですよ」というとおこがましいですけど、自分が胸を張って世
の中に出せるものを作りたかったですね。
―正義感というか、職人のプライドみたいなものが、何故その
年齢で持てたの? お父さんの影響もある?
中村 実家は食品メーカーだったので、絶対的に「誠実さ」が
ないとダメなんですね。僕は、14 歳ぐらいから集めてきたビン
テージの物だったり、古着だったり、好きな物がすごくいっぱ
いあって、誠実さを感じる物は昔の物が多いんですね。それが
ある時から、特に80 年代に入ってからの靴、被服に関しての
プロダクトというのが、ベクトルが変わってきているように感
じていますね。ファッションとしてではないですよ。僕はそれ
以前の物が作りたいと思って。80 年代以前、たとえば60 年代、
70 年代前半まで、それまでの物の持つ、なんというかピュアさ
にすごく惹かれていて、そこを目指すにはどうしたらいいのか
なというところを、自分なりに考えていたんですけど。サブプ
ライムで色々起こったのが、一つのピークだったと思うんです
けど、やっぱり本質的に物が良くなるスピードと、ビジネス的
なバランスがちょっと振れてしまうような気がするんですね。
若い人たちが物に興味がないというのは、若い人たちのせいじゃ
なくて、僕は作っている人の責任だと思いますね。価値とプラ
イスのバランスが崩れた時に、多分本能的にあんまり物を欲し
くなくなるんですよね。いくらデザインとか何とか言っても。
そうした事を10 年やってきた中で感じています。



どうやったらオーセンティックな物作りに近づけるのか
というテーマでできたらと思っています。



中村 あんまり自分で「デザイナー」になろうとか、そういう
ことは思ってなくて。普遍的な物というか、自分があと50 年し
たときに、「これ集めたいな」と後で思える物をどうやったら作
れるかなと。自分の育った環境や、80 年代に情報が増える日本
の中で育ったことはすごくラッキーだったと思うんですね。自
分の感性みたいな物は、そういう中で自然と身に付いているか
ら、あんまり意識しなくても、自然とそれが出てないとおかし
いと途中で気づいて。だったら僕はもう、「どうやったらオーセ
ンティックな物作りに近づけるのか」というテーマでできたら
なあ、と思っているんですけど。でも、どうやったらオーセン
ティックな物、本物になれるのか。洋服も工業製品じゃないで
すか。工場のラインで作ってしまう。どんどんそうなっていく
と、作った人の考えだったりとか、思想だったりが反映できない。
というのは、アセンブリングラインで、ここからここまでやる
人はここからここまでしかやらない。そうなると、デジタルと
一緒でフラットになってしまうんですね。僕はフラットな物は
作りたくない。いくらそこにデザインをしても、表面的な物は
フラットになってしまいます。だから、僕が色々な所を旅して、
自分で現場も全部見ようと思ったのは、パーソナルなタッチを
入れて、そこをデザインということにしようと。つまり、自分
が全部手を入れることによって、僕自身の考え方や、フィロソ
フィーを入れて、それをデザインと仮定しようと。そういう所
に行き着きましたね。僕ができるだけ自分で現場に行って、見て、
ちょっとしたツイーク2 を加えたり、その人たちと実際話して
感じて、色を変えてみたりとか。そういうことを積み重ねてい
くことで、マニュファクチュアでもパーソナルなフィーリング、
どうしても僕はこういうのが大好きだから、これに敵わなくて
も近い物ができないかなという風に思ってやっているんですけ
どね。だから、それが僕のデザインだと思います。



僕は、マーケットは広くとりたい



中村 昔のジャガードだったりとかいう物は手で織っているか
ら、お腹が減っていたら打ち込みが弱くなったりとか、頭にき
ていたら強くなったりとか、それが表情になっている。僕は音
楽のことはわからないんですけど、きっと音楽なんかでもそう
なんじゃないかなと思うんですよね。そこを今僕らの時代にど
うできるかということが、今非常に興味があることです。僕は
高額な物を作ろうとしているわけじゃないんですけど、ある程
度長く使ってもらえる物を作ろうとすると、ちょっと値段が張っ
てしまうんですね。ただ僕は消費のサイクル自体も変わった方
がいいと思っていて。スニーカーでもソールが交換できること
を考えて実際にプロダクトとして展開しています。それを僕は
自分の役目というか、物として前に進めたいという思いがあっ
たので、そういう物を作ってみたんです。どうしてもそれで高
額にはなってしまうんですけど。例えば自分の娘の世代になっ
たときに、振り返って「この時代、何も良い物がないじゃない」
と言われたら、かなりの衝撃ですよ、僕は(笑)。耐えられない
と思います。だから60 年代の人たちには敵わなくても、まあ
2010 年で頑張っているヤツいたなあというぐらいにはなりたい
と思っているんです。最初に履き心地にこだわったのも、自分
がやりたいことに賛同してくれる人は、きっと最初から少ない
だろうなと思ったからなんですね。「こんなの作りました、サポー
トして下さい」って言っても、最初は色々なムーブメントがあっ
て、それに後押しされた部分もあるんですけど、「1万円の白
いT シャツ作ります。すごく着心地が良くて、一回着たらもう
ヤミツキになりますよ」と言っても、それに賛同するという人
を最初から小さいマーケットで見ると、当然ビジネスとして成
り立たない。だから僕は、マーケットは広くとりたい。最初か
らそれはありました。日本ということじゃなくて、どこにでも
通じる言語というか。例えば着心地とか履き心地の良さとかは、
きっと万国共通なんじゃないかなと思っていました。




ニートと呼ばれているような人達だって、
多分色々な面白いことができると思います。



中村 若い人はどんどん海外に進出した方が面白いと思うんで
すけどね、僕は。日本はユニークなカルチャーを持つ国だと思
いますし、すごく恵まれている国だと思いますし、そういうこ
とも外に出てみて感じました。僕は旅行したり色々な人に出会っ
たり、色々なところに行ったりすることで、自分自身の視野と
いうか考え方というものをオープンにできた。視野が広がった
というか。だから、違いを楽しむこともできるようになったし、
それを恐れなくなったし。一度勇気を振り絞ってドンとこう出
てみるといいかもしれません。ニートと呼ばれているような人
達だって、多分色々な面白いことができると思います。外国だっ
たら普通仕事がなくてお金がなかったら、悪い人になったりす
るのに、親と一緒に住んで、なんて品がある人たちなんだろうっ
て僕は思いますけどね(笑)。ç




これからは、外国の企業が日本人の感性を欲しがって、
日本のクリエイターを目指している人たちを、
逆にハントしに来ると思う。



中村 ただ、そういう時に、相手側のスタンダードも理解して
いないといけない。いくら自分たちの作っている物が洗練され
ていても、相手側のスタンダードを理解していなかったら、チー
プに見えてしまう可能性もある。そこが結構大変かもしれない。
「僕らのこだわりはこうだ」という、特に日本には職人気質の人
が多いんじゃないですかね。僕は最初にプロダクトを作りはじ
めた時に、自分で定義というか、「どういう物を作ろうかな」と
思ったときに、商品で幸せになれるというか、幸せを感じられ
る物を作ろうと思いました。色々な幸せがあると思うんですけ
ど、「女の子にモテたい」とか「背が5cm 高く見える」とか。
ただ僕はより多くの人に幸せを感じてもらえるようなプロダク
トって何だろうかと考えて、そういう物ができるのであれば、
すごく幸せな世の中になるのかなとそういう風に思っていまし
た。今は会社がスタートしてちょうど10 年経ったんですけど、
自分がプロダクトを作っていることを通じて、商品に対する考
え方だったり、プロダクトに対する考え方だったり、そういう
物を持続的に表現できるといいなという風に思っています。そ
して、色々な新しいブランドが出てきたり、そういうプロダク
トが増えると、自分の娘の時代になった時に僕の時代を誇れる
かなと考えています。






1. EVA /エチレン、ビニール、アセテート樹脂の略。それぞれを調合し、圧縮したスポンジ素材のミッドソールのことで、スニーカーに最適な硬度が特徴。
2. ツイーク/ちょっとした捻り。





Profile
prf nakamura.jpg

中村ヒロキ
cubism 代表。ファッションブランド「visvim」のディレクターとしてスタイリッシュ
なフットウェアを中心に今ではアパレル、アクセサリーを扱うトータルブランドへ。
タイムレスなプロダクトと世界観は、トーキョー・アーバン・カジュアルとして世界
的に認知されている。

○経歴
2001.12  キュビズムを設立しvisvimを立ち上げ靴の販売をスタート。
2003.5  visvimアパレルを含むコレクションをスタート。
2005.5  原宿にvisvimフラッグシップショップF.I.L.をオープン。
2006.8  表参道にvisvimフラッグシップショップF.I.L.をリニューアルオープン。
2006.2  ロス・アンジェルスとカリフォルニアを拠点にグローバルに発信する
            GLOBAL LINE をスタート。
            アウターウェアー、アクセサリー、フットウェアを中心にアメリカとF.I.L. 東京、
            F.I.L. 仙台、新宿伊勢丹のみで展開される特別なコレクションライン。
2007.2  仙台にvisvimフラッグシップショップ2 店舗目となるF.I.L. 仙台をオープン。
2007.4  コム・デ・ギャルソンとコラボレーションを展開。ロンドンのドーバースト
            リートマーケット、東京のドーバーストリートマーケットではスペースの一角に
            てvisvim のプロダクトを展開。
            香港にvisvimフラッグシップショップ3 店舗目となるF.I.L. 香港をオープン。
2007.11  金沢にvisvim フラッグシップショップ4 店舗目となるF.I.L. 金沢をオープン。
2008.4  新宿伊勢丹本館1 階「ザ・ステージ」にて4 月9日から15日までの期間限定で
            『F.I.L.at the stage』として、オープンする。
2008.8  西日本発となるフラッグシップショップ5 店舗目となるF.I.L. 広島をオープン。
2009.1  パリにて初の展示会。
2009.5   関西発となるフラッグシップショップ6 店舗目となるF.I.L. 京都をオープン。
2010.9   7 店舗目となるF.I.L. 名古屋をオープン。







Recruit

○業務内容
1:プレス 2:マーケティング  3:営業  4:経理  5:生産管理・アシスタント
F.I.L.
6:販売 7:アルバイト
○応募資格
1~ 5、6 ~7:学歴不問23 ~ 30歳位迄・英語力必須(日常会話程度)
○待遇
交通費支給・試用期間3ヶ月有
○勤務地
1~5:目黒区東山 6~7:渋谷区神宮前、仙台、金沢、広島、京都、名古屋
○休日・休暇
1~5:週休2日・祝日・年末年始・有給休暇有*年数回休日出勤有
6:月8日(シフト制)・有給休暇有 7:月8日(シフト制)
○応募方法
TEL 後、履歴書(写貼)・職務経歴書をご郵送ください。
履歴書には自己PR及び希望職種を明記してください。
書類選考後、面接をさせて頂く方のみにご連絡をさせて頂きます。
株式会社 キュビズム
電話:03-5725-9565
担当:杉山