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dictionary138号
高橋 盾(UNDERCOVER デザイナー)インタビュー (11/03/09)


高橋 盾 × 久保菜穂美(プレス) × 関野一彦(生産)

「わがままなデザイナーとの作業は毎日大変だと思いますが、
 その苦労以上に得るものが多いよう頑張りますのでガッチリついて来て下さい」
 高橋 盾(UNDERCOVER デザイナー)


Photo by Chikashi Suzuki
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インタビュー#5

高橋 盾(UNDERCOVER デザイナー)

聞き手:桑原茂一


だったらそのまま自分で手作りでもいいから
作って売っていくような、独立したやり方を取りたいな、
というのが学生の時からありました。


高橋 今年42 歳になるから、UNDERCOVER を始めて20 年越
えていますね。学生の時に友達とUNDERCOVER という名前を
つけて、T シャツを手刷りで刷り始めたんです。あと、TOKYO
SEX PISTOLS というSEX PISTOLS のコピーバンドをやってい
たじゃないですか。その自分たちの衣装とか。それを周りに売っ
たりあげたり。その頃は文化服装学院で勉強していたので、ゆ
くゆくは洋服の仕事に就きたいという前提で行っていたんです
けど、すぐ、「ここはデザインを勉強する所じゃなくて技術を習
得すればいいな」という、自分でもう頭を切り替えて。しかも
その頃、夜遊びの方が忙しくて、そっちの方が楽しいじゃない
ですか。色々な人に会う事ができるし。ファッションの勉強を
するなら、そっちの方がすごく勉強になったので。夜は遊んで、
友達を作ったりしながら、昼間は技術を学ぶ、みたいな感じで
考えていましたね。そのうち企業研修というものに行かされる
んですけど、1 週間ぐらい会社に通うんですね。成績のいい人が、
大手の所に行くんですけど、何故か成績の悪い俺がそこに行か
されたんです。1 週間、企業研修をして、そこで改めて会社に
属するのが自分は向いていないなと感じました。だから、もう
自分でUNDERCOVER をやっていたし、だったらそのまま自分
で手作りでもいいから作って売っていくような、独立したやり
方を取りたいな、というのが学生の時からありました。
―その判断がポイントだと思うんだけど、文化服装学院に行く
前の高校生はどうだったの?
高橋 普通の共学の学校に行っていて、いわゆるパンク好きの
フォーク好きでした。フォークと言っても日本語のラディカル
なフォーク系が好きですね。岡林信康とか友川かずきとか、泉
谷しげるとか、あと頭脳警察とかを聴いていました。群馬県の
桐生市で育ったんですけど、だから普通の学生ではありました
けど。それで同時にファッションや音楽が好きで、もう中学校
の文集に「デザイナーになる」って書いていましたね。実際「洋
服を作りたい」ということを中学生の時に漠然と思っていたん
ですね。
―何かきっかけはなかったの? 例えば映画を見たとか、本を読
んだとか、雑誌とか、誰かと知り合ったとか。
高橋 音楽は、パンクやロックが大好きだったので。映画も、
わりと邦画が好きで。それこそ、中学校の時に内田裕也さんの
映像に影響を受けたんですね。ちょっとラディカルな部分とい
うか、反権力的なものにすごい憧れがあって。そして、パンク・
ファッションを通じて、そこからファッションに興味を持ちま
したね。
 すごく仲の良い友達が3 人いて、その友達が割と偏った趣
味で、自分と一緒だったので、4 人で集まってはそういう映画
や音楽を一緒に見たり聞いたり、ちょっと変わった中学生でし
たね。仲の良かった友達の1 人にお兄さんがいて、家に行く
とLED ZEPPELIN のポスターが貼ってあったりだとか、THE
CLASH の「無線衝突」のポスターが貼ってあったり、SEX
PISTOLS のレコード・ジャケットに衝撃を受けて。と、同時に
THE BEATLES とかFM も聞いていて、色々なものをそこから吸
収しました。「ベスト・ヒット・USA」が流行っていた時期なの
で、それもちょっと聞きつつ、色々な音楽を同時に聴いていま
したね。



クラブカルチャーから人の繋がりが広がっていった
文化服装学院時代


高橋 高校受験で第一志望に落ちたんですね。新島学園という、
布袋寅泰さんが行っていた学校なんですけど、そこに落ちて滑
り止めの普通の県立高校へ行ったんです。でも、それがまたよ
かったのかも知れないですね。新島学園はすごく自由な校風だっ
たので、行っていたら行っていたで大分違う人生があったかも
しれない。新島学園は、ちょっと変わった学校なんです、キリ
スト教系で。そこにまんまと落ちて。
―そこで挫折感はあったの?
高橋 ありましたね、やっぱり。受かった県立高校は滑り止め
だったので、ちょっとランクを落とした学校でしたし。でも、
今考えるとそこがまたよかったですね。パンクというものに対
して、すごく共感する友達がたくさんいたんです。
―自分には会社勤めではなくて、自分でやっていくというのは、
結構勇気のいる事じゃない? それは、学生時代に夜遊んでいた
のがよかったのかな?
高橋 そうですね。遊びに行くと色々な人と知り合うじゃない
ですか。MILK の大川ひとみ1 さんも学生の時に遊んでいたので。
ひとみさんにも毎日色々な所に連れ出されて遊びに行きました
ね。だから、学校で教わらない洋服屋の仕事とか考え方とか見
ていると、企業に入って、そこからこう勉強してデザイナーに
なってという道が、すごく退屈なものに見えていたんです。だ
から、ひとみさんに会ったということが、結構影響が大きいで
すね。同時に藤原ヒロシ君2 にも会っていたので、そういう人
を見ていると、完全に決められたレールの上を走っている人と
は違うじゃないですか。だから見ていて、自分もそういう方向
の方が絶対合っているんだなと思っていて。確か高崎市の高島
屋でのことだったかな? MILK のお店がリニューアルするとい
うので、「じゃあ、ジョニオたちもオープニングに店で何かやり
なさい」って言われて、連れて行かれたんですね。そこで高島
屋のお偉いさんみたいな人たちが来ていて、ひとみさんがその
人たちに「この人は将来有名なデザイナーになるから、ちょっ
とよろしく頼むわよ」みたいな事を言ってくれたのを覚えてい
て、そう言ってくれたのが、すごく嬉しかったですね。
―昔は、そこに行くと色々な人と出会える場所があったよね。
ピテカントロプス3 には来た事ないんだっけ? 年齢的にもう終
わっているか。84 年で終わっているからね。
高橋 そうですね。ウチらでもやっぱり20 歳、22 歳ぐらいま
では、そういう場所でしたね、クラブは特に。俺たちの時は、
ツバキの後だったので、ピカソとか。あとは、芝浦インクや渋
谷に行っていましたね。そうした場所に行くと、色々な人がい
ましたね。DJ パーティーが曜日で別れていましたけど、みんな
集まる曜日というのがあるんですね。そういう時が結構面白かっ
たですね。あとは、大貫憲章4 さんとかもヒロシ君たちとDJ パー
ティー「ジャングルジム」をやっていましたね。ジャンルを越
えて、混ぜた状況というか、そういう遊び場もあったから。今
みたいに、「ヒップホップはヒップホップだけ」みたいに完全に
ジャンル毎に分かれている感じではなかったですね。遊び方の
選択肢がそんなになかった時代じゃないですか。まだ20 年前の
ことですけど、そこは現在とは大分違いますよね。だから、自
分で情報を本や雑誌で探って電話して、それから自分で足を運
ばないと何も分からない。今だったら、インターネットで一瞬
で分かっちゃうじゃないですか? 便利ではありますけど。だ
から、若い人たちもそこまで探ろうという感覚が少ないですよ
ね。ウチらの時はやっぱり、例えば、SEX PISTOLS に関しても、
本当に情報が少なかったし、その情報を隈無く探して、穴があ
く程ビデオも写真集も色々見て、色々な人から話を聞いて、古
本屋で昔の雑誌を探して、そうやって自分で足を運んで掘り下
げていくというような。例えばムーヴメントとしたら、ウチら
の世代だと「裏原宿」と言われているようなものがあったじゃ
ないですか? NIGO5 とかヒロシ君、ムラ6 とか徹7 とかもそう。
そこが終わって次の段階といったら、例えばDEXPISTOLS、ユ
リアちゃんとかには、そうした繋がりがあると思うんですよね。
そこから先はちょっと分からないですけど。俺は割と、そうし
たデックスたちとまだ交流があるので、一緒に仕事をしたりも
するし。でも、遊び場に行ってみんなでワイワイやって、ウチ
らがそこに交わっているかといったら、正直交わってはないで
すよね。




俺は自分を見せているデザイナーだと思いますけどね。


―若い世代との繋がりというか、自分たちのファッションを買っ
てくれるお客さんたちは、この二十年どういう風に推移してき
ている感じがするの?
高橋 若い人たちが付いて来ているのかというと、ちょっと分
からないですね。若い人に向けての、プロモーションができて
いる訳ではないので。もちろん、若い人には着てもらいたいで
すけど。これだけ情報が発達しているのに、情報がありすぎる
のか、意外にもあまり広がる様相が見えないんですね。アピー
ルをしていきたいですけど、若い人のために洋服を作っている
という感覚が元々ないから、そこが大きいかも知れませんね。
でも、ウチは地方でイベントやるんですけど、僕がドールメイ
キングのパフォーマンスをやるんです。縫いぐるみをパフォー
マンスで作って、(高木)完8 ちゃんが音を出して、あとVJ 入
れてイベントをやりますけど、地方は若い子が遊びに来ていま
すよ。あと、こうして地方でイベントやって、自分からパフォー
マンスやっている人はいないじゃないですか、デザイナーで。
人前ではちょっと苦手ですけど、こういう場で喋るし。なるべ
くそういう事に答えようとしています。あと、自分から情報発
信していくっていうことが割と好きなので。意外に俺は、洋服
以外のクリエイションも含めて、多分すごく外に出ている方だ
と思うんですね。なるべく見せたいと思っていますし、積極的
にやっている方だと思います。ただ、最終的な自分のクリエイ
ションを発表するファッションというツールだと、その発表の
場所は厳選したいですよね。そこはこだわりたい。
―知らなかっただけで、すごく積極的だったんだね、それはす
ごくホッとしたな。イベントも定期的にやっているんだ。
高橋 去年もだいたい月1 回くらいはドールメイキングしてい
たからね。色々な地方、色々な国で。最近完ちゃんとフランキーっ
ていうDJ のやつがいるんですけど、それと、あと永戸鉄也っ
ていうアーティストの子と4 人で開催していますね。ドールメ
イキングは、イベントの一部として自分がお客さんの前で縫い
ぐるみを解体して、また新しく「グレース」っていうクリーチャー
を作っているんです。そこで、後ろで完ちゃんたちがそれに合
わせて即興で音を作っていくっていう。本当に人前で喋るのは
苦手ですけど、ライブでドールメイキングとかはできますよ。
何にも打ち合わせなしで始めるんですよ。そのアブストラクト
な感じがいいんですね。洋服のプロダクトの作業と違って、無
計画に始めるライブ感はめちゃくちゃ面白いですね。そういう
偶然性もあったりして、生が好きなんですよね。パリでライブ
やった時もUstream で流したんですけど、やっぱりそのライブ
感は伝わらないんですよね。やっぱり難しいですよね。少ない
人数でも生で見せた方がいい。




自分の考え方はずっとアグレッシブですね



高橋 普通ファッション学校に行っていると、「川久保玲9 さん
みたいになってパリに行って…」という風にパリに憧れが強い
人が多いじゃないですか。自分の場合、出発点が全然違うので、
まるっきりそういうのがなくて始めたんですけど。でもやっぱ
り東京コレクションでやっていくうちに、色々な国の人にも見
てほしいなっていう風に頭が切り替わってきて。東コレでやっ
ていても結局同じ人たちしか見てないし、気持ちは強気でやっ
ていたんですけど、見に来る人があまりいないじゃないですか。
そうしたら自分で行くしかないのかな、と思って。面倒くさい
けれども、色々な人に見てもらいたいっていう気持ちの方が強
かったので、仕方なくっていう感じで、やってみようっていう。
だから洋服って結局商品になって、それを流通させていくって
いうことだったら、輸出していかなきゃならないじゃないです
か。自分たちで足を運んで向こうで展示会をやってオーダーを
とらないと、広がっていかないですよね。自信はありましたし、
今までも考え方としては、ずっとアグレッシブですね。今の若
い人にそれをあんまり感じないのは自分だけかもしれないです
けど…。「なんでこんな詰まらない服があるんだろう」とか。逆
に川久保さんの服を見て、「なんでこんな服があるんだろう、な
んでこれまで知らなかったんだろう」ってものすごくショック
を受けたし、川久保さんとお会いして話したことによって、ま
た自分のやっていることを川久保さんがすごく応援してくれた
ので、すごく励みになったし。「もうそろそろパリでショーをし
たらいいんじゃないの?」みたいな事も言ってもらえて。だか
ら自信というか、パリコレに関しては面白いものを見せてやるっ
ていうそういう自信はすごくありましたね。
―世界で見せるためには、あらゆる面でのクオリティーが求め
られるよね。その自信を持つためにはどのくらいの時間がかかっ
たの?
高橋 実際自分で納得がいく仕上がりの服ができたのはパリに
行ってからですね。東コレでも何回かそういう手ごたえが、自
分の中でこれは上手くいけたなっていうようなシーズンはあり
ますけど、洋服の質とか縫製とかまでいくと、やっぱりそれに
はものすごい年月かかっていますね。10 年どころじゃないし。
でも、ある一方でクオリティーにしても、じゃあ果たして本当
に縫製が、生地が良いものがいいのかっていうのもあるんです
ね、自分の中で。そういう観点じゃない部分で、何か強いもの
ができないのかなっていうのも思いますね。




一概に上へ上へという目線だけじゃないんですよね。
下を見る時もあるんですね。



―世界基準にしようと思うと、経営能力も含めて磨いていかな
きゃならない。そうなると生き残っていくのは、前には高い山
しかない、続けるのはその状況を恐れずに進んでいく人たちだ
けなんだよね。
高橋 続けていくには、ある意味そうしていかないとならない
ですね。自分の場合は、川久保さんがやられてきたような、パ
リに行ったらずっとファッション・ショーをやり続けないとダ
メだよねって言われたんですけど。やっていくうちに自分は今
回3 年ショーをやってないんですけど、ショーじゃなくて色々
な発表の仕方もあるし、洋服も世界照準じゃなくてもそれは全
然構わないと思うし、好きなように自分が思うようにやってい
くようなシステム作りをしたいと思います。だから、それは規
模がどんどん大きくなっていくって言ったらそうでもないと思
うし。だから一概に上へ上へという目線だけじゃないんですよ
ね。下を見る時もあるんですね。本当に日常の服、ショーをや
らずにやってやろうとか。じゃあ次は映画をやってやろうとか。
だから次に3 年ぶりのファッション・ショーをやりますけど、
そういう時もあるし。また、やらなくなるかもしれないですし。
だから、クオリティーもそうですよね。あえて良い生地だけを
使っている訳でもないですし。コストのかからない服作りとい
うのはなんなのかな、そういう事にトライしてみようかとか。
―前年度比を少しでも良くしなきゃいけないっていう考え方に、
もう今はとらわれてないんだ。
高橋 いや、実際あるべきですね。それは経営していく上で必
要になってきますけど。そうでありたいですけど、それでどん
どん会社をでかくしていこうっていう意識はないです。今のレ
ベルをキープしたいなっていう感じですよね。やりたいことを
やってく上で、色々なことを試そうとするとやっぱりお金もか
かるじゃないですか。だからある程度小さくしたら、自分が本
当にやりたいことってできないのかなっていうのも考えて。け
れど、やりたいことだけやっていればいいって訳でもないです
から。それを恐れていたら何も進まないですし。それ以外の違
うやり方があるのかって言ったら、確かに色々なやり方はある
と思うんですけど。やる内容にもよりますけどね。うちらがや
ろうとしていることって、クオリティー含めて、やっぱりお金っ
ていうのは切り離せないですよね。本来自分は経営者向きでは
ないんです。そこをちゃんと分かった上で自分ができることを
自分だけでやりたいですけど。
―でも、いいパートナーがたくさん自然と集まってきているっ
ていうことが今日こうして話を聞いていても本当に幸運な人生
だよね。いいところで誰かが支えてくれているよね。
高橋 本当にそうですね。そういう人の輪に関して、すごく運
がいいかもしれないですね。だから自分がものを作りたいって
言う意思があって、それがまずコアにないと周りがそれに賛同
してこないじゃないですか。あと、そこをすごくいいものにし
たいという気持ちとか。それがあれば自然に周りがそういう状
況にはなってきますよね。だから自分がテンション低ければ、
やっぱりそれ以上のテンションには周りがならないんですよね。
―苦しいこともあるでしょ?
高橋 めちゃくちゃありますね。でも、それは自分の中では経
営とかお金の面の苦手な部分を考えるときはそうですね。クリ
エイションでは苦しい時っていうのはないんですよね。楽しい
んですよね、やっぱり。家でデザイン画を描きますけど、寝る
前に描くんです。夜の1 時2 時くらいまで。そうすると、楽し
くなってくると、もうテンションが上がって寝つきが悪いって
いうような( 笑)。会社で前の夜に描いたものをみんなに見せて、
生地とかコーディネートをどうしようかってなる時は、めちゃ
くちゃ機嫌悪い時がすごく多いんです。それってなんで機嫌悪
いかって言ったら、自分がすごく高いテンションで描いてきた
ものをみんなが同じテンションで感じられないことっていうの
が納得できなくて。自分勝手なんですけど(笑)。でも、そうあ
るべきところに本来自分がみんなを持ちあげていかないといけ
ないんですよ。でも、そうした役割が自分は下手なんです。でも、
やっていくうちに揃う時があるんですよね。そうしたら周りも
そこから楽しいですよね。




自分の範囲を超えてものを作りたい。
自分のまだ知らない部分を見ていきたい。



―走るのは、体力的な問題?
高橋 至って普通で、基本的に体力作りというか、運動不足だ
し走ろうか。みたいなところからスタートしたんです。自分の
中で目標立てて走り始めて。そうしたら慣れてきて、それじゃ
あ3 kmにしよう、次は5 kmにしようって。友達と話しなが
ら走ると楽しいんですよね、それで距離も伸びていって、ある
時から10 km走れるようになったんです。達成感が気持ちいい
んですね。だいたい1 日おきに10 ~ 13 kmぐらい走っていま
す。走る良さは、それだけじゃないですけどね。頭が家庭や仕事、
趣味とは全然違うエリアに行けるので、それがすごく自分の中
で大きいですね。
―常に高い山を目指すとか、絶壁に立つとか、本能的に進んで
行ってしまう?
高橋 自分の中でストップをかけて、ゆっくりやりたいってい
う時期があったんですけど、結局やっぱりダメですね。やっぱ
り常に新しいことをやっていきたいっていうか、アグレッシブ
でいた方が、ある程度自分でコントロールできる規模とスピー
ドであれば、回っていた方がいいですね。ここまでやれるんだ
なっていう。自分では思ってもいないレベルであったりするじゃ
ないですか、10km という数字なんて。走り始めた頃には、考
えられなかった数字だし。フルマラソンに自分が出るなんてこ
とは想像もしていなかったわけだけど、出たら出たで今度は記
録を狙いたいとかなってくるじゃないですか。そういう欲が出
てくるんです。
―今日聞いている限りは、自分の進む道もファッションの役割
も、全くフレッシュな感じがするけど。
高橋 自分の中では、ずっとフレッシュですね。新鮮なことを
やっているつもりなので。常にこう、新しいチャレンジって続
くじゃないですか。自分としては新鮮なことをやってないとダ
メですね。止まったら「止まった感じ」が外に出るじゃないで
すか。この2 ~ 3 年っていうのは、自分の中ではある意味「止まっ
た感じ」も出していたんで、それがネガティブに捉えている人
も、もしかしたらいるかもしれないですね。さっき言ったような、
ちょっとゆっくりしたいなっていう気持ちがあって、それが「止
まった感じ」と思われていたかもしれない。でも、自分のある
部分ではやっぱり攻めているんです。今は経済的にもいい状況
ではないじゃないですか、みんな。それでも攻めたいっていうか、
攻撃したいっていう気持ちが、今はまたどんどん強くなってき
ていますね。だけど、それをやるのは大変なわけです。面白い
ですけどね。でも、ものを作ることってそういうことですよね。
自分のわかっている、計算できているものを作るか、自分の範
囲を超えてものを作りたいかって二通りあると思うんです。同
じものをずっと作っている人もいるし、それを壊して自分のま
だ知らない部分を見ていこうっていうような人もいる。自分は
どちらかというと後者なので、攻め続けていきたいですね。




安定はしていたいんだけど、僕はスピード感が欲しい


― 幸福感って飢餓感みたいなものがないと生まれないらしいっ
て最近の発表で出ていたけど、その辺りも含めて、「幸福」って
考えたりすることある?
高橋 ありますよ。子供もいるし、家族もいるし、作っているも
の、作りたいものがあって、どこが一番バランス的に幸福なのかっ
ていうことは考えますけど、わからないですね。精神的な安定み
たいなところがあるじゃないですか。ですけど、そこの状況が果
たして幸福なのかなって考えると、求めてないかもしれないです
ね。もちろん安定はしていたいですけど、自分がやっていること
や、やりたいことを考えると少し違いが出てくるんです。ゆっく
りものを作りたいっていうことは、安定だと思うんですけど、そ
れとまたちょっと違うんですよね。スピード感が僕には足りない
んです。だから安定はしていたいんですけど、「スピード感のあ
る安定」だったらいいかもしれないですね。
― 当面の目標とかって、今何かある?
高橋 次のショーまでの道のりを、今ショートフィルムで撮り
始めていて、それをショートショートフィルムフェスティバルに
出展するっていうのを、うちの群馬県桐生市の町興しの一環で
ちょっと頼まれて。それなら、自分のやっているクリエイション
をどうやって作ってどうやって発表して、どういう舞台でやって
いるのかっていうのを、そのままやろうっていうのを、今追い始
めていて、それを6 月くらいに発表したいなっていう。尺は25
分って決められているんですけど、本編は自分たちで1 時間以上
の作品にしておこうって言っていて。それをどういう風に見せよ
うかって今考えているんですけど。ファッション・デザイナーっ
て煌びやかなイメージがありますけど、本当は真逆で、ものすご
くストイックな作業を延々と続ける仕事じゃないですか。それを
いきなり表舞台で華やかに見せるっていうそのテンションとライ
ブ感。パリに行った日本人の立場っていうのもちょっと見せられ
たら面白いかなと思っています。そういう意味でも、自分がちょっ
と外側に出ていきたいなというか、出たがりなわけではないんで
すけど、人間として自分がものを発表するっていう立場で考える
と、そういうのもありかなっていう。





1. 大川ひとみ /ファッション・ブランドMILK のデザイナー。
2. 藤原ヒロシ/ミュージシャン、DJ、プロデューサー。裏原宿系のファッション・デ
ザイナーの中心的人物。
3. ピテカントロプス/ピテカントロプス・エレクトス。クラブキング代表桑原茂一が
プロデュースした原宿のクラブ。通称ピテカン。
4. 大貫憲章/音楽評論家・DJ。DJ イベント「ロンドン・ナイト」主催。
5. NIGO /ファッション・ブランドA BATHING APE のプロデューサー/ DJ。
6. ムラ/裏原宿系ファッション・ブランドの店舗内装を多く手がける内装業者M & M 主
宰。
7. 徹/西山徹。今号インタビューにも登場するWTAPS のディレクター/チーフデザイ
ナー。
8. 高木完/ミュージシャン、DJ、プロデューサー。東京ロッカーズ周辺から活躍し、
日本ヒップホップ黎明期の立役者。
9. 川久保玲/コム・デ・ギャルソン デザイナー。




Profile
Jun-Takahashi-(portraitA4).jpg



□高橋 盾(アンダーカバー デザイナー)

1969.9  群馬県桐生市生まれ
1988.4  文化服装学院入学
1990   在学中、友人とブランド(アンダーカバー)を始める
1991.3  同学院アパレルデザイン科卒業
1994.4  94 – 95 秋冬東京コレクションに初参加
1994.9  有限会社アンダーカバーを設立
1997.9  毎日新聞社 毎日ファッション大賞新人賞受賞
2000.1  有限会社アンダーカバーより株式会社アンダーカバーへ移行する
2001.9  毎日新聞社 毎日ファッション大賞受賞
2002.10 03 春夏 Paris COLLECTION に初参加
2009.6  第76 回ピッティ・ウオモにゲストデザイナーとして参加し、10 春夏メンズコレ
     クションを発表。初のメンズ単独のランウェーショーとなった
2010.3  アンダーカバー初の香水、HOLYGRACEとHOLYGRAPIE を発表


Recruit
○業務内容
1: 販売 2: パタンナー 3: 生産 4: 営業 5: 営業事務(アシスタント)
○雇用形態 
契約社員
○応募資格
1:学歴不問、30 歳位迄の方、経験者優遇
2:学歴不問、30 歳位迄の方、経験3年以上
3:学歴不問、30 歳位迄の方、経験3年以上
4:学歴不問、経験者優遇、英語中級以上
5:学歴不問、貿易事務経験者優遇、英語中級以上
○給与
経験、能力を考慮の上、当社規定により優遇(研修期間あり)
○待遇
各種社会保険完備、有給休暇、交通費支給、社員割引制度
○勤務地
1:青山新宿 2 ~ 5:渋谷区神宮前
○備考
1:月8日(シフト制)、夏季・冬季休暇 2 ~ 5:土日祝日、夏季・冬季休暇
○応募方法
履歴書(写貼)・職務経歴書(書式自由)に希望職種を明記の上、以下までご郵送下さい。
書類選考後、通過者のみにご連絡致します。
応募書類の返送はいたしませんのでご了承下さい。

UNDERCOVER
Tel: 03-577-4805
〒107-0062 東京都港区南青山5-3-18
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