西山 徹 × ジャン(パタンナー)× ナオユキ(生産) × せんせい(生産チーフ)
「ここに写る彼らは最初の最初、
1ミクロンのアイディアから製品ができるまでの間に中心となるスタッフです。
最後の最後、製品として販売するまではもっともっと大勢の人たちの手をかりていますが、
WTAPS の制作プロセスは彼ら無くてはあり得ません」
西山 徹(WTAPS ディレクター)
Photo by Shin Okishima

インタビュー#2
西山 徹(WTAPS ディレクター/チーフデザイナー)
聞き手:桑原茂一
「彼らのようになりたい」と思うようになったんです。
西山 何か自分も表現したいと思ったのは、(藤原)ヒロシ君1
とかスケシン2 とか、今でいうクリエーターみたいな人たちと
の出会いからですね。当時スケートボードから彼らと仲良くなっ
て、遊んでもらえるようになって、それから色々なものを見せ
てもらえるようになって、今の自分があると思うんですよね。
例えば当時はスケシンだったらイラストレーターになろうとし
ていたので、イラストを書いて入稿していたりとか、ヒロシ君
だったらページを持ってそのロゴを考えていたりとか…夜はDJ
をやったり、色々な分野の友達が集まって夜な夜な「ああでも
なく、こうでもなく」やっているんですね。それが素敵に見え
ていて、僕もそこに参加させてもらえるようになって、「彼らの
ようになりたい」と思うようになったんです。最初、スケシン
からシルクスクリーンを習っていた、というより手伝わせても
らっていたんですね。それがきっかけで今の世界に入ったんで
すね。だから、元々共通点がスケートボードというものがあって、
その後バイクがあって、どんどん広がっていったんです。で彼
らと同じようにやって来て、年を重ねるごとに段々同一化して
きてしまってきた所があると思うんですよ。と言うのは、「自分
も出来る」というイメージ・幻想を持ってしまいがちなんです、
彼らと一緒に居れることによって。僕は何もしていないんです
けど、彼らと一緒に居ることによって、同じものを見せてもら
う、幻想を見ることによって同一化してきて、はたしてそれが
一人になった時にどうなるか? …アイデンティティ・クライ
シスみたいな、それで一回洋服の仕事を辞めていた時期もあっ
たりするんですね。このフィロソフィー・ジン3 がその発端と
なっているんですけど、「自分がどこから来て何をやってどこに
行くのか?」という事を、自分自身のルーツを探る為に、こう
いった事を自分でやってみて、一種のリハビリみたいなモノだっ
たんですね。「フィロソフィー」は原宿で同名の店をオープンさ
せて、本や雑貨やCD とか、いわゆるカルチャー、自分が影響
を受けてきたバックボーンをインスタレーションしたお店にし
たんです。それは滝沢4 の後ろ盾もあって、「リハビリの為に」
というか、当初滝沢が持っているお店の場を少し借りてやらせ
てもらっていて、そこでいわゆるサロンみたいなスペースとし
て機能させてやっていたんです。それがこの「フィロソフィー
(ZINE)」のきっかけなんですね。その時に考えた事と言うのは、
自分自身、洋服を作りたいと思ってこの業界に入って来た訳で
はなかったので、「何をしたらいいか?」と言うのを特に考えて
いなかったと思うんです、当時は20 代前半だったので。取り敢
えず、やりたい事をやっていたという状況が続いていて、最初
はシルクスクリーンから始まって、もうちょっとワードローブっ
ぽいモノを作ろうという事で、自分が着るジャケットや、パー
カーといったモノを作ろうと、アパレルに着手しだしたんです。
そうすると、次は春夏秋冬といったようなコレクションに展開
していこうという段階があったんですけど、段々ついていけな
くなってしまって、それが一種の挫折で、2 年間ぐらい休止し
ていたんですね。そして、また戻れたのは…自分の中で多分、「誰
の支えがあって、どこから来て、どこに行くのか?」というの
が、その間に見えて来たんじゃないかなと思ったんですね。あ
と、デザインとか服作りに関しての自分なりのフィロソフィー
を持ってやっていく実感が湧き始めたんです。
どういう仕事でどのように歩んでいくのか、
歩んできたものをまた壊し、始めて、乗り越える
西山 この五冊のZINE を振り返ると、(0 号は「ゼロ」なので、
ゼロなんですけど)1 号目は“CRAFT WITH PRIDE” と、2 号目
は“WAY OF LIFE”、3 号が“BUILT TO DESTROY”、最後が“RISE
ABOVE” というタイトルなんです。1 号目の“CRAFT WITH
PRIDE” は、自分が何を持ってモノ作りをしていくかとかをいろ
いろ考えて纏めたつもりではいるんですね。2 号目は、これか
ら自分がどの道でどのように歩んでいくのか、どういう仕事を
持ってどういう道を歩いていくのか。歩んできたものに、頂点
に立った時に天狗ではいけないと思って、それをもう一度壊し
て始める。それが(3 号の)“BUILT TO DESTROY”、最終的に“RISE
ABOVE” で、何かを乗り越えるっていう、自分の中で起承転結
みたいなものを作ってやってきたものが編集方針ではあるんで
すけど。
―どの号の時に一番苦しんだの?
西山 う~ん、多分3 号の“BUILT TO DESTROY” がやっぱり苦
しみましたね。今まで洋服を作っても、お客さんと話すことも
なければ、どんな人が買ってくれて、どのように思って評価し
てくれているのかっていうのが見えなかったもので、これを0
号から作ることによって、更にいえば、サロン的な店をやる事
で、なんかコール・アンド・レスポンスが出来るようになった
んですね。それで、期待も凄く膨らんで「次の号を楽しみにし
ています」と言ってくれたり、自分のモチベーションも上がっ
たり、意欲も凄く出てくるんですけど、そこで逆に気を使って
失敗してはいけないような気持ちになってくるんですね。「この
先ずっと続けてください」と言われたりしても、例えば資金の
部分も色々あったので、どのように続けていく事が一番ベター
なのかな? と思って。これが10 号目まで続く事もイメージも湧
かないですし、その時のいわゆる条件みたいなもので纏めたかっ
たので。10 号目までやって、ダラダラやってもしょうがないと
思ったし、資金を集めるのに販売しても仕方のない内容だとも
思っていたので、この辺でやめるかっていうことで、“BUILT TO
DESTROY” は、これは初めてやめるっていう事だったんですね。
̶この5 冊を作る事で、自分の中の整理が出来たんだ。
西山 はい、その通りです。最後の“RISE ABOVE”は、スケートボー
ドにフォーカスしてインタビューやフィーチャリングしているん
ですけど、やっぱり自分の一番始めのルーツだって事で。
見方を変えて捉えるスケートボードの視点を
デザインにしていきたい
西山 僕は地元が渋谷なんですよ。言ってみれば、こんなとこ
ろなので、土とかほぼないに等しいじゃないですか。自然とコ
ンクリートの遊びになって、というとスケートボードが必然と
出てきて。スケートボーダーの目線って、ちょっと普通の人が
歩いている時の目線と変わっていて、路面をみたり、坂があっ
たり、ちょっとしたギャップがあったり、バンクがあったりす
る所にすぐ目線が行っていて…通常と違う使い方をするってい
う、「視点を変える」「アングルを変えられる」所がスケートボー
ドのいい所かなと思っているんですね。もちろん、フィジカル
な部分もハード・コアというか、そういう所もいい所だと思う
んですよね。マーク・ゴンザレスとか有名なんですけど、彼ら
のようなアカデミックなスケートボーダーな人たちというのは、
そういった所をすごく考えながら路面を捉えて滑っていたりす
る事は、コンクリートで普通の人が使って歩くものをちょっと
ひねくれた視点で見ていて、例えば手摺であったら、本当は転
ばないように手を携えて降りていくものなのに、スケートボー
ドだとすぐ飛び乗って滑り降りたりとか、屈折した捉え方とい
うか、視点を変えて見ているというか。そういうのがクリエイ
ティブだなと思って、スケートボードの好きな所、リペクトし
ている所はそこなんです。それを持ち込んで自分のデザインに
していけたらいいなとか、そんな事を考えていますね。
―それは、自分が洋服を作る上で、一番大事なものが見つかっ
たという事?
西山 言葉にはできなかったですけど、結果的にはそうなのか
もしれないですけどね。
― 要するに俺には俺の視点というのがちゃんとあるじゃない
か、という事に気付くことになった、結果的に。
西山 そう思うんですね。言葉にした事はなかったんですけど。
―「フィロソフィー」を作っている時には、ファミリーとの関
係は、どういう風に働いたの?
西山 当時(制作と平行して)車屋さんに入って、バイクを一
回バラして一から作る作業もやっていたんです。その工場の中
では僕はメカニックではないので一番下の立場で、朝行って掃
除して…手伝ったり色々な事をするんですけど、その間に自分
のバイクを作ったりしていたんですね。そこには色々な人がい
るんですね、その間に工場に来る職人さんとか板金やペンキ屋、
エンジンだけを扱うおじさんとか窓を扱うおじさんとか…色々
な人が出入りするんです。そういった人たちの人脈とかも入れ
つつ、ヒロシ君にもちょっと書いてもらっていたりしているん
です。何かもう更に、言ってみればフラットに見せたかったな
と思って、色々な人が出ていますけどね。それこそお客さんに
も登場してもらったりとかしています。僕としては、自分が上
に立ってどうこうするというより、広く何かやっていきたいな、
という気持ちがあったので。
色々な人たちと関わっていくなかで
自分の立ち位置がわかってきた
西山 みんなあるのかも知れないんですけど、自分がどこにい
たらいいのかという所が見えなくなってくる時があると思うん
ですね。例えば、作りたいものを作る事はデザイナーではない
と思っているんですね、僕は。むしろ、社会の為に何か貢献で
きる人をデザイナーだと思うんですね。更に言うと、やりたい
事をやる、内なるものを発信していく人はアーティストだと思っ
ているんですね。その中の葛藤があると思うので、色々と自分
の中でこれをやっている時であったり、それ以前とかは、(気持
ちが)行き来していて「自分は一体なんなのか?」「どこにハマ
るのか?」とか分からなかったんですけど。だんだんやるに連
れて、そういった職人さんと会って師弟関係があったりして、
そういう事の美しさとかもよく分かったりとか、潔さとかもよ
く分かったり。だから、相手の事を凄くリスペクト出来るよう
になったんだと思います。結果、アトリエを自分で作ったんで
すが、車屋に限らず全く違う環境の人たち、鉄工所の人たち、
工務店に居るような人たち、木工に居るような人たち、設備の
人たちなど、色々な人たちと話しながらやっていたもので。だ
んだん自分の立ち位置が見えてきて、僕は職人という憧れはあっ
たんですけど、そういう所ではないと思って、潔くそこからは
外れていきましたけど。
― 今日の時点でたどり着いている所はどこなの?
西山 ファッション・ディレクターなのかな、と自分の中では
考えています。
― デザイナーとは違うの?
西山 デザイナーでもあるんですけど、いわゆる全行程を見て
いかないといけないな、と思っているんですね。見ていく中で、
編集する能力とか整える事が、いわゆるデザイナーに求められ
ると思うんですけど。更に広く言うと、それはディレクターの
仕事でもあるのかなと思って。
― 映画で言う監督の事?
西山 そうですね、ディレクション。
―ひとりの人が責任を持って全部を見る。
西山 はい、そうです。だから、アーティストではないですね。
FORTY PERCENTS というブランドをやっているんですけど、
そのスイッチ、チャンネルに関しては、割とデザイナーとして
自分を置いて考えてないかもしれないですね。
― 分かりやすく言うと、デザイナーというのは、社会のニーズ
に合わせて的確に作れる能力という事? アーティストの方は、
それを無視して自分が本当に作りたいものを作る。
西山 そうですね。僕らのように、元は内なる事から発信して
いるようなデザイナー、デザイン、アパレル、ブランド、ファッ
ションという人たちっていうのは、何かそういったチャンネル
を持っていないと今後やっていけないんじゃないかと思ってい
るんですね。今後逆にそれがないと、ちょっとやり辛くなる環
境なのかな、僕らみたいな人間は。
―ファッションの世界は、アーティストとデザイナーというの
は歴然と分かれているっていう事は間違いないの?
西山 大体は、とは思っています。
―その人が本当に作りたいものを作って売れていくってこと?
西山 それが、ベストだと思うんですけど。
成長して次に行ける事が幸せなのではないかな、と思う
― 高校生だった時の事をふと思い出したりすることある?
もう無理?
西山 いや、よく思い出します。それこそ、音楽や映画や、そ
ういったカルチャーに触れた時とか…
―どういう時に「幸福」と思うの?
西山 上昇志向みたいな事を植え付けてこない学校(和光学園)
で育ったから、競わせないというか、アメリカとか海外みたい
にディベートをして相手を負かすとか、そういった考えが全く
ない、ある意味超フラットな。だから僕の周りには全く人を踏
み台にしたり、上に上にという上昇志向が全くない環境だった
ので、大きな夢を見てどこに行こう? と考えている人たちがい
なかったですね。そうした環境で育ってきたなかで、僕は成長
する事がたぶん幸せ、幸福な事なのかな、と思っていますけど。
仕事では、人と会ったりする事も多いので、学べる事も多かっ
たり。そこで、モチベーションが上がるのではないかな、と思っ
ていますけどね。僕の場合趣味はなくて、スケートボードとか
バイクとかはあったりするんだけど…やっぱり仕事がすごく好
きで、それが一番になっていて、仕事で何かが生まれる事がいっ
ぱいあったので、それで自分が成長させられて次に行けるとい
う事が、幸せなことだなと思っていますけど。特にここ最近、
この僕の若さで、2 人ぐらい仲の良かった友達がこの世からい
なくなってしまって、そういう事というのは、本当の意味で自
分を成長させられますね。自分がどうこの後生きていくかとか、
そういう事を学ばせられる、というか。だから成長が幸福なの
ではないかな、と思うんですけど。
1. 藤原ヒロシ/ミュージシャン、DJ、プロデューサー。裏原宿系のファッション・デ
ザイナーの中心的人物。
2. SKATE THING(スケートシング)/裏原宿系コミュニティーと親交の深い日本のグ
ラフィック・デザイナー。
3. フィロソフィー・ジン/西山徹が編集を務めていたフリーペーパー。各号テーマを
変えて現在五冊発行されている。
4. 滝沢伸介/ネイバーフッド・デザイナー。
Profile

西山 徹(a.k.a. TET/BLITZ Director)
東京都出身
93 年に友人らと共に、D.I.Y をコンセプトにFORTY PERCENTS AGAINST RIGHTS®
の名でシルクスクリーンを中心とした活動を開始。開店当初の原宿NOWHERE でラ
インアップされ、いくつかのアイテムをリリースした後、96 年に活動を休止。その
後、アパレルブランドであるWTAPS のデザイナーとして同年より活動を開始。09 年
にはA BATHING APE® 発の新ラインであるURSUS BAPE のディレクターに就任。同
年、10 数年の時を経てFORTY PERCENTS AGAINST RIGHTS® を復活させ“Media
Guerrilla” という新たなテーマを掲げT シャツなどのアパレルをメディアと見立てメッ
セージを発信する活動も行う。ミュージシャンの照井利幸の発案であるクリエイティ
ブ・コミュニティWELD http://weld-chamber.com/ にも籍を置く。
Recruit
WTAPS では制作プロセスに興味のある人たちに興味を持っています。
是非ご意見ご感想をインフォまでお寄せ下さい!
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